第18話

「えぇい! 何をしておる!」


九石の投げた灰皿が壁に当たり砕け散った。


「も、申し訳ございません! 至急、対応しておりますので……」


「当たり前だぁ! こ……こんなところで、終わってたまるか!」

「旦那様、必ず解決してご覧に入れます、どうか安静に……」


橘は主人の容態を気遣い宥めようとする。

肩で息をしていた九石も、次第に落ち着きを取り戻した。


ドサッとソファに座ると九石がブランデーを呷り、グラスをテーブルに叩き付けるように置く。


「淫魔の方は?」

「はい、今、エージェントを向かわせました」

「問題ないだろうな?」

「はっ、淫魔は反結界の展開で相当な魔力を消費しているはず、それに送ったのは当家の精鋭チーム、何ら心配はございません」

「……エルフの方はどう対応する?」

「こちらは、私が直々に……」

「ほほぉ、そうかそうか、腕は鈍っておらんだろうな?」

「問題ございません」


そう答える橘の目が暗く光った。



 * * *



廃ビルの中、理子は一人反結界を構築していた。

フロアの中心で淡い魔力の輝きを放ちながら宙に浮いている。


そこに無遠慮な大勢の足音が聞こえた。


「思ったより早かったわね……」


数秒後、黒ずくめの戦闘服に身を包んだ集団が理子を取り囲んでいた。

隊長らしき男が他の隊員に合図すると、一斉にアサルトライフルを理子に向けた。


「淫魔、大人しく投降するか、ここで朽ちるかだ」

「あはははは!」


理子が大声で笑った。

隊長はそれを見て顔を歪めた。


「ハンッ! 大聖堂で祝福された銀弾を受けても笑ってられるか?」


「――総員、撃て!」


薄闇の中、銃口から閃光が迸る。

空気をつんざく射撃音が廃ビルに響いた。


隊長が手を上げる。


充満する煙、火薬の臭いが辺りに立ちこめている。


隊員達の目線の先には、蜂の巣になった理子の姿があった――。


「や、やった! 淫魔を倒したぞ!」

「OK、よくやった」


隊長は銃口を下ろし、隊員達にねぎらいの言葉をかける。

そして肩口にあった通信機に向かって言った。


「こちらアイルズベリー、オーダーをクリア、これより帰還する」


そう言って満足げに微笑み、隊員達の方に振り返った。


「――ガハッ⁉」


隊員達は全て精気が抜かれており、干からびた朽ち木のように横たわっていた。

そして隊長は本来の姿になった理子の魔力で宙に持ち上げられる。

水鳥のように隊長の足が宙を掻く。


「ワタシの体に傷を付けたことは褒めてあげる……」

「ぐっ……! この……い、淫魔め!」


「せいぜい抗いなさい、自我を保てるならね?」


理子の瞳が妖しい輝きを放ち、その淫靡な唇が隊長に迫る――。


「う、うわぁああああーーーーーーー!!!!」



 * * *



橘は数人の従者を連れ、シルフィを閉じ込めた部屋の前に居た。


「お前達は解呪に務めなさい」

「「畏まりました」」


従者たちは扉に向かって、何やら唱え始めた。

白い手袋を嵌め、橘は扉の前で腰を落とすと拳を打ち込んだ。


――――ドンッ!!!!


建物が揺れ、凄まじい衝撃が走った。

従者の何人かが体勢を崩す。


だが、あれ程の衝撃にもかかわらず、扉には傷一つ付いていない。


「ふむ……やはり一筋縄ではいきませんか」


そう呟き、橘は扉を殴り始めた。



 * * *



シルフィの体が淡い金色の光に包まれている。

この目で見たことはないが、その姿はまるで……天使のようだと俺は思った。


背中を向け、窓の外の闇を眺めるシルフィ。


「……戻ったのか?」

「ああ」


シルフィは俺を見ない。


「どうしたんだよ、何か不満があったとか? ま、まあ、初めてだったし……その夢中で何が何だか……」

「森田、魔力が戻るとな……今まで見えなかったものまで見えてしまうんだ」

「え……や、やめろよ⁉ 俺の心を読むとかナシだぞ!」

「お前の気持ちは……十分伝わった」


俺は自分の顔が熱くなるのを感じた。


「い、いや、今更隠しても……まあ、しょうがないとは思うが……日本人ってのは黙して美とする文化ってのもあってだな……そのぉ……」


シルフィが振り返る。

そのマリンブルーの瞳にはうっすらと涙が溜まっていた。


「森田、ありがとう……この恩は決して忘れない」


「シルフィ……」


「後は我に任せろ」


――瞬間、シルフィの足元に巨大な魔方陣が展開された。

幾重にも複雑に絡み合った紋様は緩やかに回転を始める。


その時、部屋の扉が破壊される。


橘さんと数人の従者が部屋に駆け込んできた。


「こ、これは……」


驚きの表情でシルフィを見る橘さん達。


「人間達よ下がれ。もはや、お前達では我の相手にならぬ」


「……それはできません。大人しく投降していただきます」


橘さんの言葉に従者達が一斉に何かを唱え始めた。

すると橘さんの体から赤い湯気のようなオーラが立ち上る。


「シ、シルフィ……」

「森田、そこにいろ」


そう言ってシルフィは橘さん達に手を向けた。


――金色の粒子が橘さん達を包む。


「こ、ここは……一体何が……」


橘さんと従者達がきょとんとした顔で辺りを見回している。


「どうなってんだ……?」


「我の魔法だ。彼らは我らのことを綺麗さっぱり忘れているだろう、後はお前を家に送れば……」


シルフィが少し寂しそうに目を伏せた。


「お、おい、何を辛気くさい顔してんだよ、一緒に帰るだろ? あ、寿司でも出前取るか?」


シルフィが小さく顔を振る。


「なんだよ、肉か? バウムクーヘンはその辺に売ってないからな……デパ地下とかなら……」



「森田、ここでお別れだ――」



「ちょ……シルフィ! 行くな!」



――次の瞬間、俺は光に包まれていた。

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