第8話 公卿どもの御密談

 年が明け、半月が過ぎた。そこはこの国の古い建築様式らしい薄暗さだった。夏を主体に造られている為、冬は快適とはいえない。底冷えがひどく、何も対策せずに暮らせばすぐに身体を壊すだろう。空は薄曇り、先の天気を信用できない気持ちにさせる。いや、雨は降るだろうが、雨傘が必要かどうかが読めない。

古神奈公名代ふるかなこうみょうだい正五位しょうごい古神奈幸政ふるかなゆきまさ殿、参られ候」

 そう御簾附みすづきが告げると同時に、男が部屋に入ってきた。歳は三〇かそこらだろう。龍前の人特有の、まろやかな目をしている。だからといって、考えが穏やかというわけではないのだが。

「おお、幸政殿。公の御容態は如何かな。上屋敷に隠られて、もう四年になるが」

 部屋にいた数人の官服、その一人が言った。他家の主人の容態など機密もいいとこ、それを訊くなぞ礼節無視も甚だしいのだが、場が場だけに気にされない。彼らの目的には、必要な情報だからだ。

「公は相変わらず茶を点てておるが、呆けがひどくなっておる。もはや、政には手を入れれまい」

 男は頷き、後ろに控えていた者に目線をやった。

「うちの田浦から報告がある」

「田浦中佐です。兵部省陸軍部情報外課ひょうぶしょうりくぐんぶじょうほうがいかよりの知らせです」

 田浦はいくつかの書類を出した。

「ツァール国ですが、ほぼ間違いなく華国との戦争になります。懸念のとおり、国境民族のいさかいが大きくなりました。春王朝はツァール国内に在する華系民族の保護を理由に侵攻するでしょう」

「開戦時期は」

 幸政は尋ねた。

「遅くとも二年以内には」

 幸政を含む全員が唸った。二年とは、この国がとれる準備時間でもあるからだ。

 ツァール国と華国が戦争をすれば、皇国も巻き込まれる。少なくともこの国の執政連中は、ツァール国への派兵を検討するだろう。そしてツァール国は東方の戦線を皇国陸軍派遣部隊をあてにして構築する。五〇〇年前より続いてきた両国関係は、片方が華国の侵攻を受ければもう片方が駆けつける、そういうことで成り立っていた。

「二年、執政どもが派兵を叫び出す前に、軍の増強を行わねばならん。弱兵を送ろうものならツァール国が敗けるかもしれない。そうなれば、次はうち皇国だ」

 幸政は発言と同時に、心中で苦笑した。そんないいかげん対外戦略で、よくもまあ今まで残ったものだな、この国は。それともあれか、旨味がないのか。ああ、そうかもしれない。なにせ、すぐ敵を殺そうとする将家ども、複雑極まりない朝廷と公族の関係。しかも、世界をみれば辺境に位置する小さな島国。入り混んだ島の位置も相まって、責める気など起きないのだ。そのはずだ、自分でも責めるとなったら嫌だ。何しろこの国は面倒が多すぎる。あれ、本当に春王朝は皇国を攻めるかな。うまくやれば、ツァール国は領土を捕られても、皇国は見逃してくれるかも。でもなあ、ツァール国を見捨てるのはなあ、いろいろな人はそれを許容できまい。

 幸政の言葉に苛立ったのか、男が机を叩き怒鳴った。

「久城だ!久城を中心とした穏健派が邪魔だ!あやつら、春王朝との対話は可能だとほざきおる。久城は学の系統だろう、奴ら、二〇〇年前の悌雅ていがの役を忘れたのか。対話を試みたら、危うく本州まで攻め込まれそうになったではないか」

 男の言っていることも正しい。が、久城ら穏健派の言い分も間違ってはなかった。春王朝は、歴代王朝と比してその戦役の前に対話を挟む傾向がある。それを指して穏健派は「もしかしたら、やりようによってはいけるのじゃないか」というまさに穏健的な(男に言わせれば楽観的な)ことをいっているのだ。

「──久城を君側の奸とし、禁裏での力を削ぐ為の決起、その上での強硬的軍拡か。あの陛下が、臣下が排されるところを御静視遊ばずだろうか。なにせ、久城公は陛下が親王のころ、御附学師せんせいだったのだから」

「その点については考えがある」

 男は口角を上げ言った。

「決起の際、陛下の大御心を安んじ奉るとして禁裏を兵で囲む。あとは簡単だ。女官龍声文書にょかんりゅうせいもんじょをだす」

 女官龍声文書──陛下の御独言ひとりごと耳にしてしまった世話女がその玉言を文書にしたため、然るべきところへ渡したという体裁の発布。勅命と同等の効果を持ちながら、失敗しても誰も(勿論陛下も)責任をとらなくてよいというもの──という言葉に幸政が反応した。

「偽勅になりませんか」

「我々の目的は、来ることがわかっている戦争に備えることだ。最終的には、陛下に認めていただく。無論、すべてが終われば国政を騒がし奉った責をとり、私はすべての官職を退く」

 幸政は確信した。ああ、畜生め。目の前の男に野心などない。質が悪いことにただ義務、責務のみで動いているのだ。それならば、あるいは陛下の御理解も賜ることができるかもしれない。手荒だが、我々は間違ってはいない。そのはずだ。そう思うでもせんとやっとれんな。まったく。

「細かい計画は田浦中佐が策定中だ」

「──やるのですな」

「しなければ御国は亡ぶやもしれん。そうすれば、亡国を見過ごした公卿として名を残すことになろう。やるしかないのだ。たとえ、何を犠牲にしても、戦争に備えなければならん」

 男、いや、三條龍後守実雅さんじょうたつごのかみさねまさはみなを見回し、朗々たる声で言った。その顔は、義務に苛まれた色をしている。

「心せよ諸卿、これは御国に必要なのことなのだ。御国の平安の為、戦に備えよ」


 ああ、面倒だ、面倒だ。今世において公族とは、茶歌を吟じ、家を続けることに注力すべきだ。もはや、昔のようには振る舞えない。各領から集めた兵隊をどうこうするのは、そろそろ我々の手を離れてすべきじゃないか。そう、この国は我々の手を離れなければならない。でなければ、この先の動乱を、戦争を、世界に棹指さおさすことなど叶わない。

 これからの公族とは、ただ家を残すためだけの装置であらねばならないのだ。畜生め。

 御国、帝、古神奈家、万歳。

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