第6話 青い御相談 弐

 春一が「若様をお連れしなさい」といって渡した鍵は、作務所の裏手の道向かいに建てられた新書館のものだった。

 新書館は、書蔵には納めないような新しめの本、とくに娯楽本やその他のものが納められている場所で、建てられたのはつい五年前だ。

 歌詠みの本は書蔵にもあるが、あちらはとても貴重だし、素人に送るには難解がすぎる。対して新書館には、それなりの入門書のようなものもある為、そちらがよいと春一は判断したのだろう。

龍前たつぜんの姫様は、どのような方でいらっしゃるのですか?」

 新書館の鍵を解きつつ、友美はそばの少年に訊ねた。

「文のやり取りしかしていないから、そこから読み取れるものだけだけれども」

「ええ、若様の感じたお人柄をお教えください」

 そこから宗彦は数瞬の間思案し、断言した。

「僕のことを想ってくれているようだ。それもひどく。まだ会ったこともないのにね」

「あの、許嫁だから当然なんですが、疑問におもってしまって」

「なにを?」

「婚儀まで一度も顔を合わさないで、不安にならないのですか」

 宗彦は柔和な表情を変えずに問いを聞くと、うつむいて思案をはじめてしまった。友美は慌ててすみませんと言おうとしたが、しかしそれを宗彦の答えがそれを遮った。

「大丈夫。僕らは文を通して互いを理解しようとしている。そして、自身の事が相手に伝わるように書いている。お互いにだ。だから僕らにはそれで十分なんだ。それにね、僕が未来の奥の君として捉えているのは、文に表された有紀乃嬢ではなく、それを書いた、文の向こう側にいる有紀乃嬢だ。間違いなく、ね」

 友美は数瞬固まった。同時にほんのりと頬を赤らめる。それを隠すように新書館の扉を開いた。やっとのことでひねり出した言葉は、

「素敵ですね」

それだけだった。目の前にいる男が、御伽話の人物に思えて仕方なかったのだ。しかし、宗彦が突然きこえた「焼餅ー草餅ーもちーもちー」という餅売りの声にちらりと視線を向けるのを見て、何か妙に納得してしまった。そうか、この人はこういう人物で、そして現実の、ほんとの人なんだ。


 本の選定は、何の滞りもなく進んだ。宗彦自身の歌詠みに関する知識はなかなかのものだったし、それをもとにした友美の選定も見事なものだった。候補の数冊を選び出すのに、半時間も要さなかった。

「ありがとう、篠原文庫官」

「いえ、よい本をお選びになりました。きっと、有紀乃嬢様もお喜びになるでしょう」

「うん。ああ、そうだ」

 宗彦は手提げの風呂敷から木箱を取り出し、友美に渡した。見かけによらない重さで、思わず取り落としそうになる。

「これは?」

「上鷺さんに、父上からだ。街で良い金扇子かなぜんすを見つけたそうでね。そうだ。この通り伝えて、渡してくれるかい」

「かしこまりました」

 丁度、さっきの餅屋が新書館の前を通った。宗彦は悪戯を企む子供のように口端を吊り上げ、友美にいった。

「礼もかねて、どうだい。一つ奢ろう」

「え、はあ、よろしいので?」

 やはり公族の若様ともなれば羽振りが違うのかなあ。友美はそう考え、相伴にあずかった。


「おきぬ、おきぬや!」

 古神奈家上屋敷ふるかなけかみやしきに設けられた一室で、有紀乃は附世話女つきせわめを呼んだ。手には一通の文と、新しめの歌詠みについての本があった。

「嬢様や、いかがされました」

 有紀乃の丁度一〇離れた世話女がぱたぱたと顔を出す。そこには顔を輝かせた有紀乃がいた。

「ごらんなさいな!宗彦さんがね、本を送ってくださったの。野点のご本の御返しに、歌詠みについてのご本ですって!」

「まあ、久城の若様は歌をお詠みになられるのですね」

「そう!あの方の歌、とってもすてきなのよ!そうだ、おきぬ。私が開いた野点で、私が点てた濃茶をお召した宗彦が、歌を詠まれる。どう、とっても素敵でなくて?」

「それはそれは、見てみとうございますねえ」

 半月後の文には、宗彦は茶点てを、有紀乃は歌詠みをさわり始めたことが互いに記されていた。二人ともが、六弁の御門桜みかどざくらが舞うなかで開かれた野点を夢想していたのである。

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