第5話 青い御相談 壱

 久城の宗家は現在、三人の男により構成されている。

 まず、当主たる久城公、久城宗徳むねのり。都でも有名な書集卿で、その蔵書はこの国の学術研究によく貢献している。久城は他の公族同様、学者の家系としての側面もあるのだ。

 次に、その息子で、「若殿様」と呼ばれる久城宗義むねよし。彼は好事家然とした父親と違い、執政者として卓越していた。無論、宗徳の執政も悪いわけではなかったが、彼が政に深く身を投じることとなったのは、宗義が二〇の歳に起こった大きな執政改革に因るものだ。それまでの公族が直接街を統治し、都の執政寮がそれを監督するという仕組みから、それぞれの街に街府がいふが置かれ、都から派遣されたり地元で採用されたりする文官たちで、より統括的な執政を目指す仕組みになった。

 無論、旧きをよしとし、無用な変革を忌む公族の連中は、執政改革に顔をしかめた。それは自身の監理が及ぶ範囲の縮小に他ならないからだ。都の執政寮は解決策として、街府に一名、その地の公族より連絡調整担当官として着任させる旨通達した。それにより久城から出されたのが宗義なのだ。

 さて、久城宗義は最條家より嫁いできた紀子のりことの間に、息子と娘を一人づつもうけた。息子の方は、友美と同い歳。名を、久城宗彦むねひこという。


「友美くん、お使い頼まれてくれんかね」

 いつもの如く友美の淹れた茶を啜った春一は、不意にいった。

「ええ、いいですよ。どこにです?」

御学舎御用掛ごがくしゃごようがかりの藤本さんとこに、来年入り用の教本目録を受け取りにね」

「ええと、久城御学舎は通っていたのでわかりますが。妙子さん、御用掛の方ってどこにいるんです?」

 朝の書類整理を行っていた妙子が、紙の山の隙間から顔を覗かせる。

「ええとね、本邸をギャッと横切って、バッと左に曲がって、そのままググイッと行ったらバンって着くわよ」

「すみませんもう一回」

「久城邸領は広いからね。迷ったら、本邸の迎客官のところへ行くといい。妙子くんよりはマシな言い方で教えてくれるはずだ」

「かみさぎさぁん?」

 妙子の笑顔がゆっくりと春一に向いた。いや、あれを笑顔と形容してよいものか疑問はあるが。ひゃあ怖い。

「じ、じゃあいってきますね」

「うん、よろしく頼むね」

 友美はそそくさと作務所をあとにする。閉めた障子のむこうから、こんな会話がきこえた。

「お昼の漬物、ちょっと減らしますよ?」

「すまんかった。勘弁しておくれ」

 夫婦か何かかな。上司の会話に、友美はそんなことを考えた。


 濃紺の居間羽織を纏った礼儀のよい少年が御文庫を訪ねたのは、友美が藤本御学舎掛のもつ立派な口髭が寝癖によって明後日の方向に曲がっているのを見て、思わず吹き出しそうになった頃だった。ちなみに友美は不断の努力を以て笑うのをこらえた為、藤本からちらりと睨まれるだけで済んだ。

 少年の応対は、上鷺筆頭文庫官自らあたっていた。それに足る身分なのだった。

「ただいま戻りました」

 作務所に顔を出す。誰もいなかった。

「友美ちゃん」

 呼ばれて脇を見ると、隣の応接間から妙子が手招きしていた。とてとてとそちらに向かうと、手前に春一が、そして奥、つまりは上座に少年が座していた。

「若様」

 友美は腰を折り、然るべき姿勢をとる。若様と呼ばれた少年──久城宗彦はそれに頷く。まったく、将来の久城家当主に相応しい態度だった。

「若様はきみに御用のようだよ」

 振り向いた春一がいった。声には若干、この展開を面白がっているような響きがある。

「伺います」

 反対に、友美の声は強張りを含んでいる。無理もない。自分に用件があるのは、同い歳とはいえ、座る場所が違うのだ。まあその違いも、都におわす皇王陛下や親王殿下たち御歴々に比べればまだ近いものではあるが。

「人に送る本を見繕って欲しいんだ」

 宗彦は口を開いた。彼の父祖と同様の穏やかな、丸みを帯びた発音だ。

「お送りする相手を伺っても?」

「うん。相手は龍前たつぜんの若姫、古神奈有紀乃ふるかなゆきの嬢」

 ああ、なるほどと友美は考えた。ちらりと春一を見ると、「そういうことだ」と言わんばかりに頷いている。

 龍前を治めていた古神奈家、その令嬢であらせられる古神奈有紀乃は宗彦の許嫁だった。婚姻の儀が行われるのは来年、宗彦が一八になったら。許嫁の取り決めが行われたのは彼が一五のときだったから、かれこれ二年は文やものを送りあって、互いの人柄を知ろうと試みているのだった。

 しかしどうしてそれが自分に任せられるのだろう。本を見繕うのなら、春一や妙子でも十分なはず。友美はそう考えたが、すぐにそれを止めた。妙子あたりが「それなら歳の近い友美ちゃんに任せましょう」とか言い出したのだろうと当たりをつけたからだ。件が色恋ごとということも、妙子のしたであろう発言を確信づける要因の一つだった。もっとも、公族の臣家の間では許嫁をたてることが主流のため、友美もそういう大恋愛劇とは無縁に等しく、恋愛経験なぞ無いのだが。ああ、そういえば。御学舎にいた一四のころ、新任の若い教務官にときめいたことはあったな。

 とまあ、そんなことを考えていた友美の意識は、柔らかな、しかしどこか強制力のある少年の声で現実に引き戻された。

「それでね、このあいだ文と一緒にこれが送られてきた」

 宗彦は一冊の本を差し出した。

「拝見します」

 見れば、どうやら野点のだて──屋外で催す茶会──に関する書物らしかった。

「ええと、これは?」

「いままでの文通から読み取ると、彼女は茶会を開くのが趣味らしくてね。よく乳母たちに振る舞っているそうだ。ある時互いの趣味に関する本を送り合おうということになって、それが送られてきた」

「なるほど。つまり、御用件とは──」

「ああ。僕の趣味、歌詠みに関する本を選んでほしい。できれば、僕も一緒に選びたいのだが、よろしいか」

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