ノック・インサンド(現代ドラマ)

 三月を迎えて間もない頃は、半袖が心地よいほどに暑くなったあとで、コートをまとうくらいに寒くなる。気まぐれなる弥生やよいは、心地良さを探すように天気を変化させていくのだ。

 今日は曇天どんてんかんじつ。私はトレンチコートを身に着けて外を歩いている。今年で二十六になるけれども、相応の精神年齢はまだ獲得していない。彼氏は一度作ってから逃し、それきりいない。

 今日は思考がひどく乱れる。目的のことを考えることもままならない状態だ。あたかも、物が散乱した部屋の中を移動するのが難しい具合のように。

 経験上、頭の整理が必要なときは冷たい空気に触れるのが一番である。

 それを踏まえると、私はこの上ない天気のもとを歩いているのだ。

 たとえ赤鼻あかはなを育てることになっても、私には頭の整理が必要だった。

 コートを着てひたすら歩く。この氷点ひょうてんに留まる外気の中で煩雑になった頭を冷やし、ぴしゃりと正すように努めた。

 頭を無にして歩くことに集中するのだ。

 でも、気がつくと考えごとをしている。

 一番親しくて、最も遠いリエについて。

 リエは中学校の友人だ。

 映画が好きで、私は彼女に連れられて一年のうちに五回も映画館に行ったこともあった。そのうちの四回は昔の映画の再上映。リバイバル上映という概念を知ったのもこの時。

 でも、レンタルDVDで映画を観ることがきっかけで彼女を私の部屋に招くことがあり、それからはたいてい私の部屋にあるテレビでDVDを観ることになった。

 リエを最初に招いた日。それは中学一年生だった私たちからさかのぼって三年前に公開された映画をレンタルで観た日だった。

 たしか制服が冬服に切り替わったころで、秋というよりも夏が沈みかけるような日。淋しいけれど爽やかな日々の中。

 映画の鑑賞後にリエが映画の話のついでに彼女の家に対して不満を漏らしたことが事の発端だった。

 私の部屋にあったお下がりお古の32インチ液晶テレビとDVDプレーヤーが原因なのだ。

 彼女はそれをとてもうらやましがっていた。

 その理由は次のようなもの。

 リエの家にはテレビが一台だけあり、リビングに置かれている。しかしDVDプレーヤーはない。

 そもそもリエにとってリビングという空間は落ち着かない場所らしい。

 一人でじっくり映画を観たいときに家族の出入りがあったり、声かけをされると興が冷めると言っていた。

 部屋にテレビがある私だけど、その気持ちには共感できた。

 唯一ある映画のスクリーンは彼女が以前買ってもらったノートパソコン。何気なく使うテレビはリエにとっては贅沢品だったのだ。

 ふと我に返ると、彼女へ不憫な心持ちを寄せていた。

 私がテレビを活用していたかと問われればいなである。

 思いついたままに、私はその場で可能な現実的提案を彼女に述べた。

「よかったら一緒にDVDを観ようよ。このテレビでいいんだったらさ」

 私の一声で机上を眺めるようにぼんやりしていた彼女が機敏に顔を仰向あおむけた。

「いいの?」

「いいんじゃない? DVDは再生できるんだし。ディスクさえ持ってきてくれれば、私はいいよ」

 私は宣言したあとで大事なことを急いで付け加える。「でもホラー系、グロい系はダメ」

 いつも冷静沈着な彼女は目をみはるほどに舞い上がっていった。

 はしゃぐリエが歓喜に任せて私の部屋でぴょんぴょん弾む。学校での振る舞いからは想像出来ないほど快活だった。彼女らしくない。

 でも、もしかして彼女らしくないのは学校での振舞いではないだろうか? 

 我に返ったリエが私に声をかけるまで、私は仮説を思い巡らしていた。

 一緒に映画を観ることは、一時でも彼女を抑圧から休ませてあげられるかもしれない。

 私は少しでいいから彼女に彼女らしさを取り戻してほしかった。リエという人物を見てみたかったのだから。

 こんなきっかけがあって、私たちはテレビでの映画鑑賞を頻繁に行うようになった。

 彼女が観たい映画を観る回数は私の観たい映画の回数を上回った。これは必然だ。

 彼女の持ってくる映画は古いものが多かった。私が知るものはまずなかった。後でウェブを検索すると、いずれも世から名作の評を受けたものばかり。

 私の評価は、

『名作は変わり者である』

 ということだった。各々にすんなりと受け入れがたい主張がある。今でも分からなかったりする。

 最初にリエが持ってきた映画を観たときはいつまでも映像が流れていくだけにしか感じられなかった。

 まるで二時間も待ちぼうけを食らった気分。

 ちんぷんかんぷん、という単語が脳裏に浮かんだのをはっきりと覚えている。

 鑑賞後に、

「ちょっとよく分からなかった」

 と詫びるようにして伝えると、

「そっか、ごめんね」

 と、彼女も謝った。

 同じくして彼女は悔やんでいるようだった。

 リエが悔やむことが当時の私には不思議だった。

 今の私が要するに、リエはおもしろいと思う事柄を私と共有したかった。しかし伝わらなかった。

 彼女にとっての面白さが気に入らないとか嫌いだのように否定的な感覚は存在しなかったのだけれど、面食らってしまったのだ。

 例えるなら、私はいきなり懐石料理店に招待されて見たこともない料理と身に付いていない作法に戸惑い呆然としているような有様だったから。

 作法は身についていた方がカッコいいし、懐石料理はきっと美味しいに決まっている。

 要は映画の世界への入り方を知らなかったのだ。

 その一件以降、リエは鑑賞が終わってからゆっくり質問に答えてくれるようになった。

 上映前に質問すれば、時代背景などは明らかに、あらすじの核心は見事に包み隠す具合。楽しみを削ぐこともなかった。

 解説する彼女の言葉はほとぼりを秘めていて、古い映像から私がかたくなに抱いた難解さは、春を迎えた野原の雪みたいにゆっくりとせていくのだ。

 もちろん、私も映画を理解するために少しずつ調べごとを進めた。

 映画の世界が明るくなるにつれ、うんともすんともいわなかった学校の成績も良くなっていった。本当にこの現象が不思議だったのを思い出す。

 彼女の選んでくる映画はクラシックな世界観を強くにじませていた。

 私の祖父母よりも年上の映画を観たことも何回もあり、それらはリエの解説がなければ理解できない代物だった。

 白黒で、音が割れていて、人々はナンセンスな法律や習慣に翻弄される。私の父母でも理解できない古さだ。

 でも私には、その映画を観ていて気付いたこともあった。

 物語の筋書きや演出が古臭くても、登場人物の喜怒哀楽は作りものではなく私たちが継承したものだった。

 各々の感情は生き生きしている。

 古いものに触れるまで、それを当たり前として鑑賞していたから気がつかなかった。ストーリーが変わったことで、変わらないものに気付いた。

 古臭い筋書きと生き生きとした感情の成す不均衡は不思議で、私は突飛な想像さえした。

 映画に出演する女優さんと私。

 もし二人が赤ん坊のときに時代を越えて入れ替わったらどうなるだろうか? という並行世界の話であった。

 世界が狂うとか狂わないとか、そもそも世界は狂っているといったたぐいの想定は全くしなかった。

 夢想の中では私が女優になっている。画面上で白黒に写り、甲高い声ではしゃぐ。たった今、私がテレビで観た通りに女優さんの代わりを演じるのだ。

 その演技をテレビ越しに観るリエと私になって過ごしている入れ替わりの彼女が大笑いしている世界だ。

 女優のはずだった彼女は入れ替わっているのだから、中学校の制服を着て日本語を話している。もちろん、当時のガラケーも使いこなしている。

 私がそんな他愛のない妄想をリエに打ち明けると、彼女は腹を抱えテーブルに伏して大笑いした。笑壺えつぼるとはまさにこのこと。

「そんなに笑わなくても」

「ごめんごめん」

 私が不服をあらわにすると、謝りつつも笑いをこらえてリエは続けた。

「でも、ヴィンテージ仕様のユイカが甲高い声ではしゃぐんでしょ?」

 私をじっと見つめ、ほころびた口からまた愉快がる声が漏れた。

「ユイカの場合、演技というか学校での振る舞い通りじゃん」

 言葉のあと、またリエはテーブルに伏した。

 しばらくの間、他愛のないやりとりを挟んでから映画を再開。私がマグカップに口をつけると飲みごろだったコーヒーが冷めていて、時計よりも時間の流れを訴えていた。

 そこに流れていた全てをひっくるめてリエの言葉は、

『素敵な贅沢』

 と表現するらしい。

 あの時間と空間は、まるで小学生だった私が夏休みに泳いだ川だった。それも川の淵みたい。

 緩い流れに足もつかない深さ。ゆとりを最優先して構築した空間。

 一番自由に泳げた日々を思い出すと今は、

『同じ川には二度入れない』

 という言葉が朧気おぼろげに浮かぶ。

 そう、戻れないのに。

 中学生に戻ったら何をやるかを我に返るまでひたすら今の私は考えている。

 その想像自体が楽しいということもあるけれどあれはやはり、贅沢なのだ。

 そこまで回想した現在の私は歩きながら脳内の回顧録を一度閉じ、近くのコンビニでアイスコーヒーを購入すると、真っすぐマンションの自室に戻った。

 照明を落とした部屋はほの明るく心地よかった。

 静かに息をすることができるようになるまで、私はドアの先で立ちつくしていた。

 呼吸音とホワイトノイズ。

 それだけ。

 テーブルの上にアイスコーヒーを置き、外気とアイスコーヒーでかじかんだ手でコートをハンガーにぎこちなく吊るしてから、再び机に戻る。

 その際、私の中でよぎる言葉があった。

 じゃれあうことのできる近さでリエが紡いだ言葉だ。

 その言葉を思い出すときは、たいてい私が混乱しているとき。

 一番近い椅子を引き寄せて腰掛け、ゆっくりと息を吐く。

 彼女の言葉は私が何歳いくつになっても響けば鳴り続ける鐘だった。

 他に言い換えることのできない言葉。

 どこかで火種になるものがくすぶっている限り、響き続ける。

 その言葉はもうすぐ中学生ではなくなってしまうときに渡された。

 中学校卒業式が間近のころ。

 厳密にはまだ高校生ではない。宙に浮くような不安を私は感じていた。

「ねぇリエ、そういえばさ」

 二月のよく晴れた平日。私は十五歳だった。卒業間近という一抹のむなしさでうれう気分になっていた。

「ん、なぁに」

 対して、リエの声は鏡像の世界からのように呑気のんきだった。

「前からずーっと気になっていたことがあるんだけど。いい、聞いても?」

「うん、いいよ」

 彼女の声に青色の気分は全くもって感じられなかった。

 卒業式まであと一週間。目前に迫っているのに登校日は限られていた。

 いつものようにリエが部屋を訪れて、当たり前のように映画を一緒に観ていた。

 映画のエンドロールを眺めながら、私はこんな質問をした。

「どうして、みんな海外の映画なの?」

 リエの選んだ映画というのは、最近の洋画があっても、邦画は新旧問わず観ていなかったからだ。

 橙色だいだいいろみたいな気分の声で、リエはのんびりと言った。

「私、海外が好きだからだよ。将来移住したいと思うくらいに。たぶん、そのきっかけが映画なのも関係しているかな」

 コーヒーを手に取り、含むようにリエは一口。ゆっくり戻したマグカップがコトリ、と着地の合図を立てた。

 彼女は再び話し始めたが、真面目な話をするように抑揚が変化していた。

「きっかけになったその映画を観てから私、海外のことをいろいろ調べたの。うらやましく思えば思うほど調べて、ますます惹かれるんだよね」

 私と視線が合うと両肩をすくめてみせた。

『そのせいだよ』

 という不文の台詞だ。

「外国で暮らしたい憧れがあるから偏ったチョイスになるのかもね。でも日本の映画だって好きだよ」

「外国に行っちゃうの?」

 彼女の言い方は実現へ向けて模索している様子をただよわせていた。

 リエは笑顔を横に振った。

「いつか住みたいなって、憧れているだけだよ」

 少しの間、沈黙が流れた。

 うつむいたり上を天井を仰いだりしていたがまた口を開いた。

「外国で暮らすには外国で仕事をしなきゃいけないじゃん? でもなりたい職業も決まっていない。なりたい職業によっては大学じゃなくて専門学校に行ったほうがいい仕事かもしれない」

 彼女はゆっくりと息を吸った。

 建設的に考えているあたりが尚更、彼女の思いの強さを象徴しているようだった。

「私、挑戦するんだ。だからその体力をつけるために高校からはもっと勉強する」

 はっきりした目標と、きっぱりとした言葉遣い。

 当時、私には将来の夢なんて描けていなかった。

 白紙に戻すどころかまだ用紙も準備していない私の机上。これでは空論を表すことすらもできない。

「私も、もうちょっと考えないとなぁ」

 冗談かつ自嘲じちょうの言葉は、声に出すようで噛みしめていた。

 部屋の窓をのぞいて、特に変わり映えのない晴天を観察していた。本当は眺める素振りを示していただけ。

 リエの面持ちが気になり、首を彼女へ向けて大げさなくらいゆっくりと戻した。

 些細な問題を払い落とすようにリエは笑っていた。

「いいじゃん別に。私と一緒に行くわけじゃないんだし」

 そりゃそうだけど、と本心では思っていたが両親や他の友人に言われたときとは違い、強い反発は生まれなかった。わかってない人に言われると腹が立つのだ。

 リエは私より聡明なことは明らかだった。なので問題なかった。

 そのかわり、期待していたなぐさめもなかった。

「それに私の夢にユイカを連れていくことはできないよ、私の未来だもの。ユイカの舞台じゃないからさ」

 この言葉も強烈だった。

 私は惰性に身を委ねてもリエと一緒にいることができると錯覚していた。しかし、この思い込みを明確な言葉にできたのはもっともっと後になってからだ。

 このやり取りをしていた当時、私の錯覚は煙やもやをつかむような手応えしかなかった。

 リエの未来であって私の未来ではない。

 そう言ったあとに見せたリエの表情。

 今でも、それを覚えている。

 ぴたりと静止した表情で、私がしっかりと話を聴くことができるようになるまで見つめているようだった。

「ユイカ。唐突だけどね」

 私の方へそっと身を乗り出してからリエは言葉を続けた。

「私が考えるのは『知らない自分』に挨拶しにいくためなんだよ」

 唐突なことは確かだが興味を引く話だった。

『知らない自分に挨拶をする』

 という興味をかき立てる言い回し。それはまさに殺し文句。

 興味を持ちつつ、おずおずと私は尋ねた。

「知らない自分って?」

 リエは一旦、身を引いて微笑から真顔になった。

「さっき、将来は外国で暮らしたいっていったけれどさ。実際には今のあこがれとは違った未来に進んでいるかもしれないじゃん?」

 彼女はゆっくり大きく息を吸い、口から吐いた。同時に、コーヒーの液面を見つめていた。

 私も気になってつられるようにコーヒーを覗き込んだ。

 私のと同じものが映っているのであれば、円形の蛍光灯が黒い液面に揺れて見えるはずだ。

 リエの言葉はゆっくり進みだす。

「挫折の末に道を変えることも、決意のあとに目指す場所へ再出発する可能性も排除できないからさ」

 顔を上げて彼女を見据えると、向かい顔はちょっとだけおどけた。これも不文の台詞だ。

「いろんなやり方や可能性があるんだよね。私はそう思う」

 私は夢というものが一意専心の先にあるものだと信じていたので即座に受け入れ難く、首を傾げた。

「そんなに変わるのかなぁ?」

「私は変わってもいいよ。夢を叶えられさえすれば」

 確認するようにまたつぶやくリエ。

「たとえ七変化したって、最後に捕まえることができればそれでいい」

 七変化という表現を当時は大げさだけど面白い表現と捉えたが、今の私は的確だと評している。

「それでね。知らない私に出会うと自分が好きなものとかも変わると思うんだ」

 彼女は話を本筋に戻し、私は話の続きを聞く姿勢を整えた。

「別に考えることに限らなくてもいいの。何かをやってみて初めて気づくことってあるでしょ? それこそ初めてのことでも、いつもやっていることでもさ」

 リエの問いかけには曖昧に返した。

 心当たりが少ないばかりか、真意を図りかねたからだ。

「同じようにさ。何かを考えていると、おんなじ考えかたをしていたり、何かに反応してうれしくなったり、嫌になったりするんだよね」

 彼女はテーブルに置いたコーヒーを一口飲んでから軽やかな溜息ついでに元の位置に戻した。

「何かに気づいたときはドアの前にいると思うの。少なくとも、私はそう」

 彼女の視線は問いかけた。私の意見を促すように。

 でも、私は考えても何も思いつかなかったので考えているふりをして茶を濁したが、リエには見透かされていただろう。

 元々私は嘘をついても身体の何処かが密告していることが多く、ひとえに分かりやすい人間の部類だった。

 現在もそう。昔よりマシだが。

 たまに、ミダスの王はロバの耳であるという真実を漏らした理髪師に自分を重ねたりする。

 観念して姿勢を正すと、正直に答えた。

「難しくて分かんないよ、もう」

 降参の意も含めて朗らかに笑った。

「いつもそんなことを考えているの?」

 返すようにリエもさっぱりと笑った。

「いいじゃん、別に」

 私たちは実に晴れやかだった。

「私は必要だから分かるようになっただけだと思ってるよ。だからさ」

 私の目を見据えてから、彼女はしっかりと呼びかけた。

「ユイカは、ユイカの舞台を見つけてね。そしたら私は観客として見に行くからさ」

 これが、リエからの金言。

 リエのそういう垢抜けた言葉が、彼女の存在を私の脳裏に留めるのだ。

「うん、きっと。招待する」

 そして中学卒業後に、私は川の淵から岸辺へと上がった。

 現在の私の進捗。今も舞台の場所に見当をつけられていない。

 高校に進学したあとはリエに会うことが難しくなった。

 それでもガラケーのメールでまだ繋がっていると思っていた。

 その慢心がいけなかった。

 部活を始めたり、中学生のときより難しくなった勉強についていこうと、気を張って過ごすうちに彼女に返信することをおろそかにしてしまった。

 その結果、彼女からメールは絶え果ててしまった。心の中で揺るぎない信頼を語る不遜ふそんの仕業だったが、身から出たさびでもあった。

 つながりは全て絶えたと、当然覚悟した。

 話を今の時間に戻す。

 私がさっき頭を冷やしたのはきっかけがある。

 今日、実家から送られてきた封筒の中にエアメールが入っていた。母の添えた手紙には今から五日前に届いたものだと簡単な説明だけ記してあった。遅い転送だが、そこは大したことではない。

 差出人はリエ。表裏に書かれたアルファベットを見ながら不思議に思うことがあった。

 姓、いわゆる苗字にあたる部分が若干違う。別のものを付け足されたような書き方がされていたのだ。

 消印の文字に目を凝らす。かすれたスタンプをどうにか読み取ると、オランダから送られてきたものらしい、ということが判明した。

 ヨーロッパから私のもとに届いた手紙の中には写真が一枚と便箋が二枚。

 リエと男性が仲良く写っている写真。見た目では年齢はさほど変わらない。

 手をつないだ二人を見て、オランダからのエアメールは彼女の夢がひとまず叶ったことの何よりの証拠と捉えた。

 便箋を左右に一枚ずつ持ったときに、強い主張に笑ってしまった。次いで、私の心が抱えた憂鬱は乾いた風に吹かれたように揮発していった。

 一枚には、成田空港からリエの家までの行きかたが簡潔に書かれていた。

 日本語、英語、そしておそらくオランダ語の三か国語で書かれているのだから、向こうで道を尋ねても困ることはないだろう。

 もう一方には彼女らしい表現が。

 大げさなほど強調された、

『話したいことが、ざっと十年分溜まっています。是非!』

 という文言。

 はっきりと伝わるように凝らされた文字の装飾と大きさには迫力さえ感じる。直接話したいという明確なこだわりだ。

 リエが会いたがっているのは間違いない。嬉しい限りだ。

 さて、私はどうするのか? 

 それをしっかり決めるためにさっきまで頭を整理したのだ。

 フライトの時間と費用。ホテルの手配。有給休暇の申請と交渉。

 事務的な懸念のはざまで、かつてリエのメールに返事をしなかったことを何か形にして謝りたいという自身の感情をつかんでいた。

 便箋をもう一度見て自分の中を探り、再度手紙を見遣みやる。

 いろいろな主張が自分の中にあった。

 自分の非をとにかく責める私もいれば、リエに対してのんびりとした羨望を送る自分もいる。思うところは色とりどりで、色の数だけ、ドアがあった。ドアは思いの象徴色で彩られているのだ。

 それでも、ドアの先にいた全ての私はみんなリエに会いたがってた。

 その点で異論はない。

 複雑に色々と考えていた。だからよどむのだ。原点に帰れば、私はとにかく彼女と会って話がしたかった。

 ならば一本道を進む覚悟さえあればいい。そのために思いきった計画を立てるのだ。

 たとえば、リエを何食わぬ顔で訪れて驚かすのも面白いかもしれない。

 そうなるとまず、付け焼き刃なのにさび付いた英語の実力を鍛え直した方が無難だ。

 他には、純粋な一人旅としての計画も練りこむといいだろう。私にとっとも、この旅行が自分の舞台を見つける手掛かりになればいい。

 私たちの間には十年分の話題がある。

 片手に持ったスマートフォンの情報では、成田空港からアムステルダム・スキポール空港まで約九三〇二キロメートルだそうだ。

 現地で一人きりの時間に何をしたいかを考えてみた。字幕がなかろうが、オランダ語だろうが、とにかく向こうの映画を一回は見てみたい。オランダ語が分からない状態で、身振りを見てストーリーを想像するのだ。

 自分の舞台を見つけるためには、自身の開かれていないドアをノックして回るしかないから。

 オランダまで九三〇〇マイル飛び越える計画を立てながら時々、写真に写る十年分大人びたリエを見つめた。

「私も、これからだけど探すよ」

 計り知れない吉報を噛みしめるように、私は幸せのにじむ彼女の顔を指で何度も撫でていた。

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