第4話 風、タナトス。のち、エウレカ。

 風が死を運んでくるという概念が私には随分と長い間理解できませんでした。私にとっては生の象徴だったからです。

 オフィス街を歩いていた私をとても強い夏風が吹きつけた日に佐々木先輩は車にかれて亡くなりました。

 告白したいくらいに大好きだった先輩。

 まごついて結局出来なかったけれど、それでよかったのかもしれません。

 お葬式のときに見かけた宮田さんという女性が脳裏に浮かびます。

 聞いた話によると佐々木先輩の彼女さん。遠巻きに見ても百合のように綺麗で脆そうでした。

 どうにもこうにも横恋慕よこれんぼでした。

 一週間と四日がたつのだけれど、空虚のせいで空回りします。私だけではなく、みんなどこかしらでうっかりとミスをしています。

 誰かが死ぬってこういうことなのでしょう。

 今日は木曜日。帰り道にコンビニに寄りました。冷やかすつもりで入店したけど結局はサイダーを買って出ました。

 帰宅してから私はソファに腰かけて胸中にかかるもやを晴らそうと試みました。

 佐々木典人先輩。新入社員だった頃の私はとにかくお世話になりました。

 正直なことをいうと、なんで先輩はあんなにも色々なことができたのかと当時は少し怖いくらいでした。

 それでも、怖いと思っていても惚れてしまうのですから人の心は分かりませんね。

 先ほど買ったサイダーのキャップを回し開け、パンッと軽い音を鳴らし、カラカラに乾いた私が口をつけると軽やかな水が喉をこくりと越えるたびに渇きは鳴りを潜めていきました。

 私は熱低夜のアスファルトやコンクリートみたいにまだ火照っているんだと思わざるを得ないくらいに先輩が死んだ事実を受け止めきれていません。

 先輩は私のことを、

長田ながたさん」

 と、さん付けで呼びました。それが私の耳には甘かったのです。

 恋をしていたのは分かっていました。

 ただ々、横恋慕でした。

 加えて、私は別のことで悩んでいました。

『自分は可愛い女性ではない』

 ということに。

 こういう悩みは口にした途端にあざといと嫌われるので結局口にしませんでした。それに顔立ちのことを悩んでいたのではありません。むしろ顔立ちは良いほうだと思います。

 可愛くないのは性格です。気を付けなければあまりにもさっぱりしているんです。

 人に話さないのであれば言葉は何事でも正直であるべきです。

 例えるなら、お祭りで他の女子たちが浴衣を着てはしゃいでいるのに私ははんてんまとって掛け声かけて御神輿おみこしをかついでいるようなもの。

 お洒落なバーで他の女子たちがカクテルを頼んでいるのに私だけジンをロックで頼むようなもの。

 日頃の振舞いのせいなのでしょうけど、近所の子供が他の女子には甘えるのに私には、

「紗希姉さん」

 あるいは、

「アネさん」

姉御あねご

 とまことに礼儀正しいようなもの。

 まぁ、そういう子のほうがしっかりしていて見込みがあると私は思います。

 あとは例え話のはずなのにしっかり正直に話しているところ。

 私は竹を割ったようにさっぱりとしていて可愛さとは無縁。そのせいで典人先輩に見てもらえないんじゃないかって恐くなりました。

 だから私はこっちを見てもらいたくて可愛くなろうとしたんです。カマトトを演じるのではなく骨のずいから可愛くなれるように。

 もう一度サイダーを含むと口の中は爽やかに甘くなりました。

 結局は私が自分に嘘をついているだけで何も得ることはできませんでした。

 そういえば、まだ解決していないことがあります。

 先に述べた風が死を運んでくるという概念についてです。典人先輩の言っていたこの概念が未だによく分かりません。

 たしか去年か一昨年おととしの夏でした。

 台風一過の力強い南風が我が物顔で街を抜けるように吹いた日。

「今日はすごい風だね」

 典人先輩が昼休みの談笑中に驚きながらもぼんやりとこぼしましたから、

「景気よく吹き回ってますね」

 と相槌あいづちを返しました。

「景気が良いっていう表現は面白いね」

 先輩が嫌味なく笑ってくれたおかげで、はにかんでうやむやにすることができました。

 その頃はまだ何か喋ると素の自分が出てしまうことがありました。

「でも、風って『生きている』って感じがすごいしますよね」

 話題の筋を逸らすべく切り出すと少し唸ってから、

「僕は必ずしもそうじゃないけどね」

 と返されました。

「そうなんですか?」

 私は確かに疑問からそう聞き返しました。

「風が死を運んでくることもあるよ。恩恵ばかりは受けられないさ」

「台風とかですか?」

「そうだね。あとは竜巻とか、昼夜で異なる性質かおをもつ砂漠の風とか、ブリザードとか。寒いものでいえばやまも死を運んできた。今は昔ほどじゃないと思うけどね」

 腑に落ちなかった私は尋ねました。

「山背って東北のやつですよね。たしか、夏に吹くやつだったような気がするんですが、そんな吹雪みたいなものでしたっけ?」

 先輩は一拍の間をおいてから答えました。

「あれは冷害を引き起こすんだ。やがての飢饉ききんを運ぶ風だったんだよ」

 本当によくそんな色々と知っているなぁ、と思わざるを得ない程に博識。

 もしもこれから五十年勉強して七十四のおばあちゃんになったとしても、典人先輩には敵わないだろうと強く思います。最早、先輩の時が止まっていたとしてもです。

 あの日、私を吹き抜けたあの風は死の風だったのでしょうか。

 サイダーだから酔うはずなんてないのに、何かが私をクラクラさせるのですから調子が悪いんだなぁと我が身を察しました。

 今日はもう何も食べたくありませんでしたからお風呂に入ってさっさと寝てしまうことにしました。

 お風呂を沸かして、夜のとばりから光を漏らす穿孔せんこうの数を数えて待ち、湯を張り終わってから脱衣所に入って着替えるまでぼんやりとしながらも考えごとをしていました。

 みそぎのこと。

 それと、

「風呂は命の洗濯」

 という言葉について。

 これらが頭の中をぐるぐると渦巻いて浮きつ沈みつしていました。

 前者は大学生のときに授業レポートを書く際に調べたときの知識から。

 語源は「みずすすぎ」や「すすぎ」という説や「身削みそぎ」が由来とする説がありました。

 今は身を削ぐほうがしっくりきます。

 後者の言葉は私が見たことのないアニメで有名な台詞せりふらしく、旧友が教えてくれたものです。けれど、近所のおばあちゃんと仲良くしていたら、そう声掛けしてくれそうです。

 昔から、『鬼の居ぬ間に洗濯』とか『心が洗われるよう』のように表現するくらいですから、古今東西を問わず日本の人々は心をざぶざぶ洗いざらす文化に暮らしているのです。勿論もちろん私も。

 しかしながら、仮に日本が砂漠の国だったならば水が勿体もったい無くて、きっとそんなことはできませんね。無論私も。

 ふと気に掛かるのは砂漠にはどんな風が吹くのかということ。

 脱衣所で服を脱いでいる間に私は典人先輩に教わった蘊蓄うんちくを思い出していました。

 砂漠は日中と夜間の寒暖差がとても大きくて故に昼は焼けるような風が、夜は凍てるような風が吹くそうです。

 本当に先輩は何でも知っていました。

 寒いのならば砂漠の夜に入るお風呂も中々楽しいかもしれません。

 あぁ、たった今思い出したことが一つ。

 禊の一種にと呼ばれるものがあります。これは湯に浸かることで身を清めるものです。

 かつて私もレポートを書きながら、

「私も毎日禊をしていたんだ」

 と目から鱗が落ちるようでした。

 一瞬のうちに十年分の記憶が流れるなかで現実から意識のかいが起き、にもかかわらず私の眼は浴室の扉越しに湯舟を見つめ、並行して後ろ手にブラのホックを外すと何に導かれたのかアルキメデスのことを思い出しました。

 かつての科学者はシラクサの王に依頼され王冠を純金で作られているか否かを確かめるすべに悩みつつ共同浴場にいたところ、浴場の湯船から湯があふれるのを見てこの術を思いつき、

「エウレカ! エウレカ!」

 と叫びながら裸のまま浴場を飛び出してシラクサの街を駆け抜けたといいます。

 エウレカというのは古代ギリシャ語で『見つけた』という意味。

 ちなみに一陣の風はアネモイ、死はタナトスという古代ギリシャ語で呼ばれ、この二つは神様の名前なんだとか。

 死ぬということが今更ながら分かりません。

 死ぬことに意味があるのではなく、死を見つめた生ある人間が意味を見出そうとしているからだと思います。しかしながら、生を問うことは死を問うことなのです。

 いけない。私は混乱している。

 考えないことは難しいかもしれませんが、別の考えで上書きすることは可能です。

 浴室内に入って蛇口からお湯を出して体を洗っている間、努めて死とは別のことを考えるようにしました。

 髪を洗っているときに自分の髪の毛が今どのような状態なのかを指の感覚を頼りにして確かめたり。お腹周りの肉をつまんで、まだダイエットはギリギリしないで済むかなぁなんて思ったり。意外にも四十二度のシャワーを浴びていても体はのぼせたりしないから私は冷房のせいで冷蔵庫の豆腐みたいにひんやり冷えていたんだろうなぁなんて発見したり。

 もしかしたらこれをマインドフルっていうのかな? なんて思いながら体を綺麗に洗っていました。

 体を綺麗に洗うという行為は不思議なものです。まるで汚れの中に嫌な気分が入っていて、それらを物理的に落とすと心理的には晴れやかさをもたらすかのようですから。

 前々からレモンとオレンジの皮を冷凍しておき、それを最近おろしたタオルに包んで湯船に浮かべておきましたから、もう湯船からは胸いっぱいに吸いたいくらいの良い匂いが昇っています。

 良い香りの湯船に浸かると、先程までずれたチューニングのラジオみたいにザワザワしていた頭の中が静まりかえりました。

 まるでラジオの電源を切ったみたい。

 静けさの中にいると、自分の息遣づかいをよく知ることができます。

 溜息ためいきをつく。息を吸う。レモンの香りが鼻をくすぐる。

 気分が軽やかになる湯船の中で私は繰り返し息をしました。

 静かで、温かくて、良い匂いがする。

 オレンジ色のあかりが照らす中で私の心は静謐せいひつ明瞭めいりょう輪郭りんかくを得ていきました。

 自分の輪郭を観察して分かること。

 やはり私は典人先輩が好きだったし、死んでしまった今でも好きだという想いがあること。

 でもどうして好きだったのか、なぜあの人の声があんなにも耳に甘かったのか?

 これは今も分からないのです。

 川の中にいる小魚をく気持ちのまま片手でつかもうとするものなのでしょう。

 やはり分からないままなんだろうなぁ。

 溜息をついてオレンジの匂いを鼻から肺へ通した刹那、

「長田さん」

 という不意打ちが後ろから聞こえましたからもう私は飛び上がってしまいました。そのまま胸を手で隠して立ち、後ろを振り向きました。

 案の定、誰もいませんでした。

 拍子抜けして、おずおずとお湯に浸かってから涙から先に、やがて声が続くようにポロポロ泣きました。

 空耳といえども先輩の声は私の耳にはとても甘いのです。本来ならば、もはや聞くことの叶わない声ですから切ないのです。

 でもおかげ様で、あんなにも声が心地良かった理由を思い出しました。

 私は昔からどこか男みたいといわれていて、「長田」や「紗希」と呼び捨てだったり、まるで小さな男の子を呼ぶように「紗希ちゃん」という呼称が用いられていました。

 女の子ではなかったのです。

 勿論、『さん』付けもありましたが事務的で固いのも。

 ですから先輩の、

「長田さん」

 は同じ『さん』付けでもとても柔らかいものに聞こえました。

 今までとは違ったもの。男みたいな私に優しかったのは初めてでした。

 まるで女性に接するように。そんな優しい『さん』付けはありませんでした。

 それから、自分が女らしくないと思ったから可愛くなろうとしたんです。近づきたい一心からです。

 でも、それでも。

 典人先輩が死んでしまっても、生き延びてくれたとしても、私とは結ばれることはなかったわけです。

 だからずっとむなしいのです。恋しかったから切ないのです。

 先輩が仰っていた風が死を運ぶということ。何の変哲へんてつもない空気にありがたみを感じづらいことと同じかもしれません。

 対極を知っていてこそ感じるもの。つまりは風をありがたいと思うことこそが、死を運んでくることの裏付けなのです。

「エウレカ、エウレカ」

 私は私へ言って聞かせるように呟きました。

 アルキメデスになぞらえてのことです。

 私の一つの発見、そして一つの決意について。

 一つ目。

 私は可愛いというものがどうしても性に合いませんでしたから、せめて格好良い女性になろうと思います。

 御返事を伺えないのは残念ですが先輩は格好良い女はアリだと思いますか?

 二つ目。

 どれほど心空しい思いをしても、横恋慕でも、それでも素敵な片恋でした。

 もはやかけがえのない良い思い出ですから私はもう大丈夫です。

 夏風のように、これからも軽やかに進もうと思います。

 だから今日だけ。これからの為に。

 未練をさっぱりと流す為に、私を泣かせてください。

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