第2話 あいいろにバニラアイス
夜になってから食べようと私がアイスクリームを買ってきた日、
一週間と一日が経つけれど、まだ幼馴染が死んだことからうまく立ち直れない。
私にとっては一大事。でも、社会にとっては交通事故なんて日常でしかないのだろう。現代社会に大きな影響はない。
典人は幼馴染。優という女の子と付き合っていた。
優ちゃんが心配だ。
私や典人よりも年上なのだけれど、どことなく、ちゃん付けしてしまうような雰囲気を
神様。
死に値する人間というのはちゃんと見定めてください、お願いですから。
私はあいつとの思い出を回想してみて特筆すべきなのは私のことをリュウランと呼んでいたことだろうと強く想った。
私の名前は
あいつは名前を音読みにして、からかい半分によくリュウランと呼んだ。
それを面白がってやるもんだから、中学生のときに私はこっぴどく叱ってやったし、それ以来は流石にあいつもやめた。
しかしながら、そんなことがあっても友情は壊れたりしなかった。典人は私の人間関係において、唯一といっていいほどに対等だった。
私の周囲には
でも典人の足場は私と同じ高さで、真面目なことも
対してみんなは、あいつの振舞いや能力に巻き込まれてしまう。優ちゃんもそうだ。
私が対等なのは幼馴染だからかもしれない。
昔からの付き合いだから、典人の
私の周りに波風が立つことは珍しくない。
対照的に典人はのらりくらり
なのに、災難を
途方に暮れてしまう。
その中で
旦那が婿入りしたので名字は相変わらず柳のままだった。
「よかった。まだリュウランって呼べる」
と典人が笑ったときのこと。冗談と本心の配合比率は今でも分からない。
あれほどリュウランという呼び名は嫌だったはずなのに。
もうリュウランって呼ぶ奴がいなくなってから、もう一回ぐらい、その名前で呼んでほしくなる。この
優ちゃん、大丈夫かな。
彼女のことを心配しているのは私だけじゃないはずだ。
あの
典人にも優ちゃんにも、まだ告げていないことがある。
三週間くらい前に妊娠が発覚した。
まだ典人が生きている間に命を授かったことを知ったのだ。
私は喜んでもらいたくて、そのために驚かせようとした。
だから二人には内緒にしていた。
そしたら、あの溶けるような夏の日に典人は死んだ。
あまりにも暑かったのでアイスクリームを買ってきた日に。
そういえば、まだアイスクリームは冷凍庫の中だった。
この事実を想起した途端、私の心はアイスクリームを食べたいような、食べなくてはいけないような気分を静電気のように帯びた。
アイスクリームを食べるために、私は皿とスプーンを用意することにした。
私には、私なりのアイスクリームの作法がある。
まずはスプーン。
友人が結婚祝いに贈ってくれたカップとソーサの中から拝借。お気に入りである金色のスプーン。
皿も中学生のときから使うお気に入り。
今でも親交のある友達から、
「藍ちゃんにはとてもあいいろなお皿を」
と誕生日祝いに貰ったもの。
ちなみに、まだ典人がクラスメイトの前で私のことをリュウランといいふらしていた頃でもある。
皿を見て、中学生時代の典人を思い出し、あいつにまつわることをもう一つ思い出した。
典人はこの頃から、この上なく飛行機が好きになったようで、関連する話をよく話していた。
飛行機の話といっても、歴史や小難しい物理学の話、あいつの好きなプロペラ機の話。多岐にわたって話していた。
私もクラスメイトもついていけなかったので大体は聞き流していたが、私の主観ではエンジンにまつわる話が多かったような気がする。
エンジンが
そういった、私には分からない概念が典人に
いつだったか、仕事以外にもやりたいことがあるようなことをいっていた。
でももう、うまく思い出せないや。
私の前に焦げ茶色をした木目調のテーブルがあり、その上にあいいろの皿、金色のスプーン、月光色のバニラアイスを配置する。
記憶は飛び跳ねてくるもので、昔の話をまた思い出した。
高校生のときに一度だけ、あいつに家庭教師を頼んだことがある。
三角関数の初歩に
あいつは私よりも偏差値の高い、制服のお洒落な高校に通っていた。
いつでも、あいつは頭が良かった。
思い出したこと。それは、勉強が終わったあとのこと。
典人は信頼できる人間なので、今みたいにこの皿にバニラアイスを載せて、普通の安いスプーンを添えて出してやった。単なる勉強代だ。加えて、家の食器類を使うと母が無神経な首を突っ込んでくるので私の皿を使ったのだ。
あいつは、
「ああ、なるほど」
とだけいった。
「何に対して納得してんのよ」
私は笑いつつ、少し強めの口調で尋ねた。
「いや。白い皿だとさ、ぼんやりとした印象になるじゃん?」
私は首を傾げた。
「ぼんやりって、何が?」
あいつは私を見ながら、
「コントラストだよ」
といった。
次いで皿を見つめると、
「こういう風に、青い皿だと白い領域がはっきりと綺麗に見えるなって気が付いた」
と述べた。
「ふぅん」
私の返事は単なる相槌ではなかった。
『確かにそうだけど、言葉にするほど?』
という疑問も含んでいた。
「でも、もうちょっと色の名前をこだわりたいよな。そうだ、リュウランの名前を借りて『あいいろ』にしよう」
典人は私と二人っきりのときだけはリュウランと呼ぶ癖が残っていた。
くすり、と私。
「典人、残念でした」
くすくすと笑いながら種明かしをする。
「その皿はね、私の友達が私にくれたものなのよ。私の名前に掛けてあいいろにしてくれたの。思いつくのが遅かったね」
「ああ、そっか。そうなのか」
笑いつつも先を越されたちょっぴりの悔しさを隠しきれず、それでも正直に、
「あいいろにバニラアイスはよく
と納得していた。
あいつはいつでも明るく振舞う。
演技をしているとはいい難いが、努めて明るく振舞う。
きっと、これが裏目に出てしまうこともあるのだろう。
社会人になってから典人の家を訪ねたとき、あいつが愚痴を
頻度でいえば、これは夏のオリンピックを四回経験したのちに訪れる一回のように
太陽は
典人は悩みを、
「みんなの距離感が辛い」
と吐露した。
次いで、
「リュウランだけが、対等だ」
とも。
「そんなこといったら、優ちゃん悲しむよ」
私は結婚していて、あいつは優ちゃんと同棲を始めたばかりだった。今から二年かそれ以上は昔のこと。
「優はまだ、僕を見上げているよ。そんなことをしなくてもいいのにね」
私は何もいわなかった。下手な発言は背中を切りつけるようなものだから。器量がないからいえなかったのでもある。
無言というのは冷たいように感じるが、ときに全てを包んでくれる。
あのひんやりとした空気が、頭に昇った血から熱を奪って正常に戻すのだ。
「ちょうどいい距離感に」
あいつはそこで一旦切って、
「対等な人がいるのは嬉しいよ。近すぎると全体が見えないし、遠すぎると細部が見えない」
と告げたので、
「全く、人妻に何をいっているんだか」
と、かっとばすように笑いのけた。
典人も笑った。
でもあれは、私の為に笑ったのだろうか?
気付いたら、あいいろの皿とバニラアイスに、ぽたぽたと
いつの間にか、ぽろぽろと泣いていた。
ああ、典人が死んでしまったからか。
ちょっと汚いアイスクリームになっちゃったけど、自分が食べるわけだし、まぁいいか。
勢いにまかせて無我夢中で食べた私。
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