第35話 母と娘の戦い

「孫というのは可愛いものですよね。母上」

アンソニオは麗しい笑顔を母マリィに向けた。


「ええ、もちろんですよ」

マリィも麗しい笑顔でそう答えた。


「その孫のために少し庭をいじろうと思うのですが」

アンソニオは笑顔のまま母にそう言った。


「それは息子のためにはとても素晴らしい事だと思いますよ」

マリィも笑顔でそう答える。


母と娘の笑顔は絶える事はなく、その瞳の奥には相手の出方を伺う光が満ちていた。


---


父アルフレッド・ロイヤと違って母マリィは手強い交渉相手である。貴顕と言われる血統なのは父のほうなのだが、むしろ母のほうがそういう風に見える。父にはわりとぞんざいな言葉使いもするが母には決してそんな事はできないアンソニオであった。


交渉の前哨戦でもお互い油断はない。アンソニオは息子エドワードをさりげなく孫と表現し、マリィは孫エドワードを息子と言っている。つまりどちらが主体であるかをさりげなく押し付けあっているのだ。


家にプールが欲しい


それはアンソニオの悲願であった。極普通にお嬢様として生まれ育ったアンソニオは子供の頃から家にプールが欲しかった。別に水泳が好きな訳ではない。要するに見栄ステータスとして欲しい。臭い厩なんていらないから。


「水泳というのは身体に負担なく成長を促すらしいですね」

アンソニオは本題を切り出した。


「そうですか。そう言えば市営プールでも水泳教室が開かれたそうですね」

マリィは軽く受け流した。もちろん娘の悲願などとっくに知っている。子供の頃からさんざん言っていたものだ。そしてアンソニオもこの反応は想定の範囲内だった。


「孫が目の届かないところに行くのはすこし不安でございましょう?」

アンソニオは用意していたカードを一枚切った。昔この理屈で学校帰りの寄り道などを何度たしなめられたことか。


「……」

マリィは少し考える風だった。よしここは攻勢に出るべきだ。


「それにまだ幼いので市営プールなどでは適切な訓練は難しいかと」

二枚目のカードだ。押せ押せ。


「ゆくゆくは王国騎士となる身、幼いうちからできる事はすべきかと」

三枚目のカードだ。あまり表には表さないが母マリィはエドワードを溺愛している。父はあくまで身代わりとしてエドワードへ王国騎士位を継がそうとしているが、母は孫への愛情として王国騎士位を継がせたがっているのだ。すぐにではないが。


「そのためにはまず婿殿を王国騎士にしなくてはなりませんね」

ここで母が反撃に出た。おおっとお?


「婿殿の勇名は伝え聞いておりますが、些か武に偏りすぎなのではと」

実はマリィはあまりウォードを好いていない。どうもあの婿殿は学の匂いがしない。


「まあ婿殿が居ればエドワードの身体のほうは問題ないでしょうけどね」

それより文机でも揃えたほうがいいのでは、と締めくくった。くぅ手強い。


「…まあ、少し様子を見るしかありませんね」

アンソニオにはまだカードがあったが今の流れではあまり有効ではない事を悟った。ここは一旦撤収すべきだ。


ふふふ。まだまだ娘には負けませんよ。プールなんてとんでもない贅沢です。それもこの館に作るならまだしも従者の邸宅になんて。


---


帰りしなにアンソニオは少し沈思していた。話をウォードのほうに引っ張られたのは失敗だった。あのあほさ加減は言い繕ってどうにかなるものじゃない。いっそマクシミリアンと結婚すれば良かったかな。いやあなんか夫婦喧嘩が増えそうだな。


あーあベスが男だったらなあ。奇しくも父アルフレッド・ロイヤと似たような事を考えてしまうアンソニオだった。そんな事を考えていたらエドワードがぐずりだした。


おおよしよし。お前は私の息子だよ。誰の胤で産まれてもお前はお前だよ。まあ一番質が良さそうだったベスには胤がなかったんだけどね。残念だったねえ。よしよし。


アンソニオは夫ウォードを愛している。一応。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る