第10話 夏の夜の海岸で ③
「いきなりこんな話しちゃってすみません。ただうっしー先輩、ちょっと悩んじゃってるんじゃないかなぁと思って」
けれど絡めている腕は解かず、まるで支えてくれているかのようにしっかりと組み合わさっている。
「先日の神楽坂先輩がしたこととか、それに夏祭りの時にもあさひ先輩たちと色々あったみたいですし。わけわからないことに巻き込まれてるって、そう思ってるんじゃないかと……」
「気にしてくれてたんだな。ありがとう、安食ちゃん」
励ますような優しい笑みの中に、俺の気持ちを案じてくれている瞳を感じる。
そんな健気な労りを向けてくれる彼女に、俺は心からの安らぎを覚えた。
「確かに不安がなかったと言えば嘘になるよ。結果的になんとかなってきたけど、正直俺の手には負えない事がもう何度かあった。それそのものというよりは、そんなことを起こさせてしまうことが怖いって気持ちはあるよ」
俺はただ翻弄されているだけだから、超常現象に真っ向から挑んで解決を図るみたいな、そんな漫画の主人公みたいなことはしていないし、できない。
そういう意味では確かに安食ちゃんが言う通り、『
それでも、みんながそういう特別な力を携えていることは理解している。
未琴先輩がこの世界の破滅を目論む、この世界におけるラスボスのような存在だということも。
それを全部含んだ上で、俺を奪い合うという恋愛バトルなるものに身を委ねているのだから、今更巻き込まれたとも思わない。
けれどその過程で、俺みたいなちっぽけな人間のために多くを揺るがすような事態が起きてしまうことはとても忍びない。
そしてそれを未琴先輩や、もしかしたら他のみんながしてしまうかもしれないことが恐ろしい。
そうさせてしまうのは結局、俺の不甲斐なさであり、弱さであり、至らなさ故だからだ。
「
「…………?」
「確かに未琴先輩は『
「……。そんなことは……うっしー先輩が悪いわけじゃありませんよ」
「いいや、俺がはっきりしたやつなら、あんなことにはきっとならなかったんだ。今のところは幸い、全部気のせいだったっていう解釈ができるくらい実害はないけど。でももし取り返しがつかない事が起きたらって思うと。そんなことさせてしまうと思うと……」
じゃあさっさと結論を出せばいい。でも、そう簡単な話じゃないんだ。
単純に魅力的な女の子たちに囲まれている、ということももちろんあるけれど。
やっぱり一番気になるのは、未琴先輩が俺の中に一体何を見ているのか、ということだから。
世界の滅亡を目論む悪の組織の親玉。
人類の敵として強大な力をその身に宿す、掛け値なしのラスボスであるところの彼女が、その目的を差し置いても俺を求める意味。
彼女が何故、そしてどこに興味を覚えて好意を示してくれているのか。
それを見出せないことには、俺は未琴先輩という女の子と真の意味で真正面から向き合うことができないだろうから。
本当ならそんな小難しく考えないで、もっと直感的に、単純に恋愛すればいいんだろうけれど。
でもヘタレで自分に自信のなさすぎる俺は、そうやって探り探り進んでいくことしかできなくて。
だから結局、未琴先輩やみんなに対して不甲斐ない姿を晒してしまうんだ。
「ごめんね、安食ちゃん。もっと頑張らなきゃって思うんだけどさ」
自分の情けなさを誤魔化すように笑いながら謝罪の言葉を口にする。
ただでさえまともな恋愛経験のない俺には、この状況はかなりハードルが高いんだ。
未琴先輩との出会いはもちろんのこと、それを取り囲んだこの恋愛バトルの状況も。
みんなに愛想を尽かされたって文句は言えないって思ってる。
「謝らないでください。うっしー先輩は、いっぱい考えてくれてるんですよね」
そんな情けない俺に対し、安食ちゃんはとても柔らかい声でそう言った。
「大丈夫ですよ、私がついてますから。何にも怖いことなんてありません」
安食ちゃんは徐に立ち上がると、タタっと俺の目の前に躍り出た。
小柄な彼女だけれど、座っている俺の前では流石に目線が上になる。
とても優しい瞳が穏やかに俺を見下ろしていた。
「うっしー先輩は精一杯頑張ってますよ。神楽坂先輩や私たちのこと、たくさん考えてくれてるじゃないですか。わからないことにも必死で向き合って、ちゃんと答えを出そうとしてる。うっしー先輩は、とっても偉いですよ」
「でも、俺はみんなに翻弄されるばっかりで、そんなぬるま湯に甘んじて、何にもできてないんだ」
「別にそれでいいんですよ。だって今のうっしー先輩も十分素敵ですから」
ただただ情けないだけの俺なのに、安食ちゃんはまるで俺の全てをわかっているかのようにそう穏やかに笑った。
このままじゃダメだと、みんなに誇れる自分にならなきゃいけないと、そう思いながらもなかなかうまくいかない俺の心の奥底を手に取っているように。
「情けなくても、格好良くなくても、優柔不断で弱腰でも、別にいいんです。気持ちに現実がついてこなくても、うっしー先輩が私たちのことを真剣に考えてくれていることは、ちゃんと伝わってます」
「安食ちゃん、君はいつだってそうやって許してくれるけど……。でもいつまでもこんなんだったら、流石に嫌になるよ。それが更に迷惑を呼ぶようなことになったら、尚更」
「なりませんよ。なるわけないじゃないですか」
俺の不安を安食ちゃんはあっさりと一蹴する。
その小さな両手が、柔らかく俺の顔を包んだ。
「だって私、うっしー先輩のことが好きなんですから。私はうっしー先輩のそういうところを全部受け入れた上で、それで大好きなんですから。今更嫌になったりなんかしないですよ」
「安食ちゃん……」
そして、そっと頭がその腕に包まれる。
柔らかく、そして優しく、けれど力強く。
とても愛に満ちた抱擁が俺を抱きとめた。
小柄で愛らしい年下の後輩の女子。
けれど今は、敵うべくもない暖かに包まれて、その存在をとても大きく感じた。
時折彼女のことを、母親のように豊かだと感じることがあるけれど。
今ほどその慈愛を余すほど覚え、安堵に満たされたことはなかった。
「大丈夫、無理して頑張らなくていいんですよ。だって何にもしてないわけじゃないんですから。自分のペースでいいんです。今だって十分、私にとっては魅力的な男性なんですから」
「こんな、何もできない俺を、情けないとは思わないのか……?」
「思いませんよ。誰にだって得手不得手はありますし、足りない部分は私が支えます。私は、私を受け入れてくれるうっしー先輩を、同じように受け入れてあげたいんです。ありのままの、うっしー先輩を」
ぽんぽんと、優しく頭を撫でられるのがとても気持ちいい。
自分でも呆れるくらいに情けない部分を全て許容してくれる安食ちゃんの包容力が、安堵の極楽を与えてくれる。
もちろんそれに甘んじ切るのはよくないと思うけれど、自分の弱さを自ら否定し続けてはいけないと、そう思わせてくれた。
彼女の胸に
抱えていた不安、溜め込んでいた劣等感がゆっくりと溶かされて、凝り固まった心がほぐれる。
あまりの心地よさに、俺は知らず知らずのうちに安食ちゃんの華奢な背中に手を回していた。
「俺は、俺のできることをすればいいのかな。未琴先輩や安食ちゃん、みんなと向き合うこととか。その中で起きることとか。俺は、俺になりにやっていけば……」
「もちろん、それでいいに決まってるじゃないですか。確かに私たちは、うっしー先輩に振り向いて欲しくて、あの手この手でいろんなことをするとは思いますけど。でもそれをどう受け止めて、どう思うかは先輩次第なんですから」
安食ちゃんの声は、蕩けそうなほど優しく甘く、そして暖かい。
「『
「そんな無茶苦茶な……でもまぁ、そういう考え方も大切か」
思い切った言い草に戸惑いながらも、しかし決して的外れではないと思える。
一応この恋愛バトルは世界の命運云々を度外した、普通の高校生らしい恋の競い合いということになっているのだから。
そこに超常的な違和感が伴おうと、それを必要以上に意識しなければ、一般人の俺にとっては日常から大きく逸脱することはない。
「私たちの誰を選ぶのかって話だって同じことですよ。うっしー先輩は、今の自分のできることで答えてくれればそれでいいんです。どんなに時間がかかったって、優柔不断でなかなか決められなくたって、私はいつまでだって待ちますよ。どうしよもうなく困っちゃった時は、いつでもこうやってお話聞きますし」
「うん。うん……ありがとう、安食ちゃん」
年下の女の子に縋り付いて、自分はなんて情けないんだろうと思う。
けれど安食ちゃんはそんな俺すらも許してくれて、大丈夫だと、そのままでいいと言ってくれる。
その海より広い懐が、自分に自信が持てない俺の心にどれだけの安らぎを与えてくれることか。
だから彼女の前ではついつい弱音が多くなってしまう。
もちろん、いつまでも成長しないというわけにはいかない。
でも、今の自分を必要以上に卑下してはいけないんだと、そう思える心の余裕が生まれた。
「私はいつだってうっしー先輩のそばにいますからね。困った時は頼ってください。私はずっと先輩の味方ですよ」
そう言う安食ちゃんは、それからしばらくの間、ずっと俺を抱きしめ続けてくれた。
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