第24話 みんなアタシの運命の人 ③

 その後しばらくして、あさひを追って姫野先輩と安食あじきちゃんがやってきた。

 二つのルートが収束したことを感じ取ったであろう二人は、何事かと血相を変えていて慌ただしかったけれど、そんな彼女たちをあさひが宥めて公園から出ていこうと促した。


 世界が一つに戻ったことで、今日俺が一緒に祭りを回ろうと選んだのは一人ではなくなっている。

 本来であればあさひだって俺といる権利があるけれど、彼女は何も言わずに立ち去ることを選んだ。

 俺が気にしていないといっても、やっぱり後ろめたいところがあるんだろう。


 事態が飲み込めていない姫乃先輩と安食ちゃんはかなり訝しげだったけれど、あさひの元気のいい笑顔に連れられて、渋々でながらも公園から出て行った。

 二人への説明は、きっとあさひが責任を持ってしてくれるんだろう。


 そうやって二人を引き連れて立ち去っていく最中、あさひの顔にはもう影は一切見受けられなかった。

 多少無理をしているのかもしれない。けれど、決して偽りの笑顔ではないように俺には思えた。

 彼女にしかわからない気持ちはあるだろうけれど、でもきっと、これからはもっと前を向いていけるんじゃないかな。

 胸の内に潜むトラウマ、そこからくる恐怖を覚えながらも、周りの人を信じて正々堂々手を取り合えるように。


 まだ俺のことを諦めないと、そう言って笑ったあさひの笑顔を思い出して、俺ももっとしっかりしなきゃいけないなと思った。

 もしまた彼女がその胸の内を俺に告げてくれた時、その思いに正面から向き合えるように。


「ねぇたけるくん。私のこと、嫌いになっちゃった?」


 みんなが行った後、また二人でベンチに腰掛けると、未琴先輩がそうポツリと言った。

 少しだけ低い位置にある瞳が、伺うように俺を見上げていた。


「なんですか急に」

「だって、また私は勝手をして君を困らせちゃったから」


 例の如く不動の落ち着きを持ちながらも、どことなく萎らしい未琴先輩。

 ちょこんと、俺の浴衣の袖を細い指で摘む。


「もういいって言ったじゃないですか。確かにかなり困りましたけど、でもわかってもらえたならいいんです。嫌いになったりなんてしませんよ」

「なら、いいんだけど。でもなんていうか、少し不安になっちゃってね」


 ふぅと息を吐きながら告げると、未琴先輩は安堵したように肩の力を抜いた。

 それからゆっくりと俺の腕にその手を巻きつけて、さっきまでのように寄り添ってくる。

 その細くも柔らかな体の温もりが、とても心地よかった。


「私がしたことも、あさひちゃんがしたことも、君は許しちゃった。ダメなことはダメって言いながら、君は怒ったり、嫌いになったりはしなかった。それが逆に、ちょっと怖くてね。本当はどうしようもなく呆れてるのに、それを隠してるのかな、なんて」

「残念ながら、俺はそこまで器用じゃないですよ。むしろ俺は、未琴先輩やあさひを嫌いになるのが怖くて、良いところを必死で見て自分を誤魔化してるのかもしれません」


 未琴先輩がこぼした不安は俺の弱い部分を的確に指摘していて、心がちくりと痛んだ。

 それを誤魔化したくて、俺は視線を前へと向ける。


「俺なんかのことを好きだと言ってくれる子のことを、嫌いになりたくないって、そんな利己的な気持ちがあるんですよ、きっと。俺は未琴先輩のいいところや魅力的なところを知ってますし、それが自分に向けられなくなることの方が、きっと怖いんです。それはあさひのことも同じで。だから多分俺は、嫌な部分から目を背けているんだと思います」


 未琴先輩が人類の敵、この世界のおけるラスボスだと聞かされて、そしてそれが事実であろうことを目の当たりにして。

 それでも俺は、彼女が俺に見せてくれる姿を信じて、遠ざけるということを選ばなかった。

 どんな内情があろうとも、俺は神楽坂 未琴という女の子を見て、関わっていこうと決めた。


 一見それは美しいことのようだけれど、その実、現実から目を背けているだけなんだ。

 本当に未琴先輩と向き合おうとするのならば、俺はその全て受け入れて向かい立たなきゃいけないんだから。


 それは今回あさひがやったことも同じで。

 本来ならば俺はもっと、彼女が俺にやったことに対して追求しなきゃいけなかったはずだ。

 幸い彼女自身も罪を自覚していて、俺の気持ちをちゃんとわかってくれていたけれど。

 でも本当に彼女とわかり合いたかったら、ただ受け入れるだけじゃなく、ダメな部分をダメだと否定しなきゃいけなかったんだ。


 でも俺にはまだ、それが怖くてできない。


「ただもちろん、それだけが理由じゃなくて。俺は俺で未琴先輩のことが気になっていて、少しずつ好きなっている気持ちがあるから。だからこそ嫌いにならない、なれないんですよ。ただそれを自分自身がちゃんと飲み込んで形にするには、俺はまだまだ不純なんです」

「そっか」


 我ながら情けないなぁと苦い笑いすると、未琴先輩は小さな相槌を打った。

 俺の腕に絡む手が、その指が僅かに食い込む。


「君は本当に、まっすぐな男の子だね。自分の弱い部分をちゃんとわかって、それから逃げそうになりながらも、しっかり向き合おうとしてる。偉いよ」

「いや、そんな立派なものじゃ……」

「ううん。私は君のそういうところが素敵だと思うよ。確かに情けないとか、はっきりしないとか、優柔不断だって、そういう見方もあるかもしれないけど。でも私は、そうやって考えられていることこそが、君の誠実さだと思う」


 未琴先輩はそう言って、ささやかな微笑みを俺に向けてくれた。

 祭りの喧騒から離れた静かな公園で、僅かばかりの街灯の光に照らされているその透き通った美貌。

 息を飲むほどに迫力のあるそのご尊顔が、俺だけをしっかりと見つめてくれている。


「大丈夫だよ。君が私やみんなの悪い部分を飲み込んでくれるように、私も君の悪い部分を飲み込む。それでも君はきっと最後には、それを乗り越えるって私にはわかるから。今でも君がこうして私の隣にいてくれることが、その証だと思うよ」

「……ありがとうございます。どれくらい期待に応えられるかはわかりませんけど。でもいつか必ず、自分のことも未琴先輩のことも、全部含んで向き合えられるように、頑張ります」


 自分の情けなさも、未琴先輩が持つ暗さも、このまま付き合っていけばいつかは目を逸らせなくなる時が来る。

 今はまだ、それを無視して綺麗な部分だけ見ていればそれでいいかもしれないけど。

 でもこれからもこの人をもっと知っていきたいと思うのなら、避けられなくなる時は必ず来るだろうから。

 まだまだダメな俺だけれど、いつかはと、俺は決意と共に頷いてみせた。


 それを受けて表情を緩める未琴先輩を見て、自分の心がほぐれるのを感じた。

 ミステリアスで恐ろしくて、俺からはとても遠い存在のように思えてしまうことが、まだまだたくさんあるけれど。

 でもこうやって肩を並べていると、一緒にいることが楽しく、そしてどうしても興味が尽きない。

 その比類なき美しさや、健気な可愛らしさや、ひたむきな好意に、心が惹かれていってしまうんだ。


 まだまだ未琴先輩についてわからなければいけないこと、知らなければいけないことがいっぱいあって、未だに気持ちをはっきりさせることはできないけれど。

 それでも、もっと未琴先輩のことを好きになりたいと思っている自分が、確かに存在している。


 気がつけば俺は、寄り添ってきてくれている未琴先輩に対し、同じく身を傾けていた。

 頭と頭が重なって、温もりが更にまじまじと伝わってくる。


「最近君たちと一緒にいるようになったり、二つの分けた世界の向こうで、尊くんとあさひちゃんの交流を見て、私は少し、人の関わりというものを学んだ気がするよ」


 すりっと、更にその体を俺に押し付けてくる未琴先輩は、ふとそう言った。


「特にあさひちゃんの考え方は面白くて、興味深かった。友達みんなが大切で、誰もが運命の人だなんて。私とは正反対の考え方だったから」

「アイツを参考にするのもどうかと思いますよ。あさひ自身はいいやつですけど、かなり極端なやつですから」

「そうだね。確かにあの子と同じ生き方は、きっと私にはできない。でも、その考え方は一理あるかもって、ちょっと思えてきてね」


 運命なんて存在しない。全ては自分の積み上げてきた結果だと、未琴先輩は以前言っていた。

 そういう考えを持つ彼女にとっては、恋愛かどうかに問わず、運命的な出会いのようなものは理解不能だったんだろう。


「目に見えない、あるかもわからない何かに、自分の生き方が定められているだなんて、私は信じてない。けど、尊くんとの出会いや、みんなと過ごすようになる日々は確かに、私が予期したり目指したものじゃなかった。そう思うと、思いもよらないものっていうのも案外悪くないのかなって」

「そう、ですね」


 なんて事ないように語る未琴先輩だけれど、その言葉はどことなく明るげなような気がした。

 いつも澄ましているからなかなかわかりにくいけれど、彼女なりに今の日々を楽しんでいるのかもしれない。


「自分は全く目指してなかったのに、意識もしてなかったのに、それでも訪れるもの。そうなるべく決められていた出会い。もし私と尊くんが出会うことが運命だったら、もし結ばれることが運命なら、私がどんなことをしたってそうなるように定められているんでしょ? それってなんだか、絶対を約束されているみたいで素敵だなって」


 そう言って、未琴先輩が小さく微笑むのが視界の端に映った。

 いつもはどことなくお堅そうに見える彼女の、珍しく緩んだ仕草だった。

 その不意の愛らしさに、心臓がドクッと跳ねる。


 普段はいつだってクールで、微動だにしない笑みを浮かべていて。

 なかなかその胸の内を感じ取ることは難しく、けれど俺に対する好意はストレートに向けてくれる。

 それでもやっぱり俺は、まだまだ未琴先輩のことを知らないことばっかりだ。

 でもこうして少しずつ、その考えや気持ちを打ち明けてくれるようになって、それがまた俺の心を少しずつ引き寄せていく。


 ラスボス云々とか、世界がどうこうとか、どうでもよくなってしまうんだ。

 未琴先輩という女の子を前にしていると、それすらも些末なことに思えてしまうんだ。

 良いも悪いも関係なく、こうして健気に寄り添ってくれる人を、愛らしく思ってしまって。

 だから俺は、まだ何もわかっていないこの人をもっと知りたいと思ってしまって、離れられないでいる。


 俺の手に余る、大きすぎる問題だとわかっていても。

 それでも、未琴先輩ともっと一緒にいたいと思ってしまうんだ。

 面倒事はこれからもきっとあって、自分の情けなさに直面することも多くなるだろうとわかっていても。


「俺も、未琴先輩と出会えたことは運命だなって、そう思います」


 空いた片方の手を伸ばし、未琴先輩の手を握る。

 自然と指が絡まり、俺たちの体は更にピッタリと合わさった。


「でもだからこそ、自分ではっきりと答えを出したい。必要な問題を自分で乗り越えたい。ただ翻弄されるだけにならないようにしたいです。だから、もう少し待っていてください」


 未琴先輩に向き合うために必要な問題。みんなが俺に向けてくれる好意への答え。

 俺は誰のことが一番好きで、誰と一緒にいたいのか。

 それに自分が納得できる答えを出して、こうなった運命に対して自分で道を示したい。


「もちろんだよ。だって、君と一緒に答えを見つけるって私は決めてるから」


 そう頷いて、未琴先輩は身を寄せたままに再び俺の顔を見上げた。

 頭を重ねたまま顔を向け合うと、重い瞼越しのずっしりとした上目遣い間近に見えて。

 その麗しい相貌が、一層愛らしく俺を捉えているのがわかった。


「だって君は、私の運命の人。私は、尊くんを好きになったんだから。君の全てを受け入れる」


 ドンと、打ち上げ花火が上がった。

 街中の祭りだから花火そのものは大したことがなくて、だから奥まったところにあるこの公園からじゃ碌に見えやしない。

 だから、ということではないけれど。夜空に上がる鮮やかな輝きよりも、俺を切に見つめてくれる目の前の女の子の方が、俺にはよっぽど美しく映った。


 この瞬間、俺にとって世界で一番美しいものは未琴先輩で。

 俺は、まだ何にも決められていないヘタレ野郎だっていうのに。

 図々しくも、この人に好きになってもらえて良かったと、そんな思いで胸がいっぱいになった。


 俺は確実に、未琴先輩を好きになっていっている。

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