第23話 みんなアタシの運命の人 ②

「ア、アタシは……」


 未琴先輩の指摘を受けたあさひは、顔を覆っていた手を口元まで下ろしながら口籠った。

 未だ青白い顔のまま、戸惑いと不安に満ちた表情で縮こまっている。

 溌剌とした雰囲気なんてもちろんなくて、ひどく気落ちした様子で。


「ど、どういうことだよ。あさひが、俺の意思決定に干渉……してたって……」


 そんな彼女を追い詰めるつもりはなかったけれど、尋ねずにはいられなかった。

 あさひが俺に対して何か悪いことをするとは思えないけれど、しかし未琴先輩の口振りもまたその場凌ぎの嘘を言ったようには感じられない。

 状況を飲み込めない俺は、問いかけずにはいられなかった。


 あさひはといえば、俺と未琴先輩を交互に見遣って小さくなっている。

 やがて俺の顔をじっくりと見ると、覚悟を決めたように大きく息を吸った。


「……そうだよね。うっしーはアタシのこと、あさひって呼んでくれるんだよね。アタシの能力のことも、知ってるんだ……」


 自分自身に確認するように、はたまた言い聞かせるように呟くあさひ。

 そう、二つのルートを通ってきた俺たちは違う展開の両方を体験した上でここにいる。

 知っていると知らないが混在して、非常に紛らわしい。


 でも俺たちが距離を縮めた時間は確かに存在していた。

 それはもう一つのルートがあるとわかっても変わらない確かな事実だ。

 ここに一人で駆け込んできたあさひも、俺と一緒に歩いてきたあさひも、どっちも現実なんだ。


 その事実を確かめるように頷いてから、あさひは浴衣をぎゅっと握りしめてゆっくりと続けた。


「……うん。みこっち先輩の言う通り、アタシはここ最近何度か、うっしーの選択を勝手に変えてきた。私の『みんなアタシレッド・ストの運命の人リングス』で」

「ほ、本当なのか……あさひが……でも、そんなこと……」


 噛み締めるように告白したあさひに、俺は愕然とするしかなかった。

 けれどどうしても信じられない。だって『みんなアタシレッド・ストの運命の人リングス』は、行動に影響を及ぼす能力のはずだ。

 俺のその疑問を予期していたように、あさひはすぐにそのわけを口にした。


「うっしーにさっき説明した能力の内容は、全部じゃないんだよ。アタシの能力はね、相手の行動だけじゃなくて、意識にまで作用するんだ」

「意識にまで作用って……それじゃあつまり……」

「そ。アタシの能力は、人の体を操るだけじゃなくて、意識までも操ることができる。心の繋がりを経由してアタシの意思をみんなに伝えて影響を与える。それが、アタシの『みんなアタシレッド・ストの運命の人リングス』の本当の能力ちからなんだよ」

「…………!」


 俯きながら吐き出すようにそう告げたあさひに、俺は言葉を失ってしまった。

 行動に影響を及ぼして、ちょっと引き寄せたりするだけじゃない。

 彼女は他人の意識にまで干渉して、その意思を変えてしまうことができる。

 なら、未琴先輩が言ったことっていうのは……。


「尊くんが選択を迫られた時、あさひちゃんは君の意識に干渉して自分を選ばせてたの。だから私はそれに対抗して、私を選んでくれる可能性の分岐を重複させた」

「つまり……あさひが俺に自分を選ばせるために力を使った場合と、使わなかったから俺が未琴先輩を選んだ場合の、二つになった。そういうことですか……」

「うん、そうだね。もちろん片方はそれ以外の可能性もあったかもしれないけど、何も干渉がなかった場合、尊くんは私を選んでくれたね」


 未琴先輩がそう付け足したことで、俺はようやく現状を理解することができた。

 もちろんだからといって未琴先輩がしたことが肯定されるわけではないけど、あさひがそういった強硬手段に出たからこそ、彼女はここまでダイナミックな手法にでたんだ。

 そうわかって納得できた部分もあったけれど、でも俺は動揺が隠せなかった。


 世界が二分されて二つの可能性を体験していたとはいえ、俺はそれぞれを自分で選択したと思っていた。

 けれどその実は、他人の干渉によって意思を変えられていただなんて。


「ごめん……ごめんなさい……本当にごめん、うっしー」


 愕然とする俺に、あさひが今にも泣きそうな声を上げた。


「今のアタシには、それを思いとどまった記憶もあって、それをしなかった自分もいるから、マジで自分がとんでもないことをしたって、嫌っていうほどわかってる。でもそれをしたアタシのどーしようもない気持ちもわかっちゃって……。けどやっぱり、こんなことしていいことじゃなかった……!」


 俺が衝撃を受けている以上に、あさひ自身が苦しんでいた。

 それは吐き出される言葉を聞けば明らかで。俺は、何も追求することができなかった。


「でも、みんなでうっしーの取り合いをすることになって、みこっち先輩まで部活に入るってなって、アタシすっごく焦っちゃって。どっちを選ぶとか、誰を選ぶとか、そういう話になった時、選んでもらえないのが怖くなっちゃったんだ。そんなのみんな同じだってわかってたんだけど。でも、うっしーに選んでもらえなかったら、どんどんうっしーが離れていっちゃうような気がして。それが嫌で、怖くて、寂しくて……!」


 言葉をこぼすたび、ポロポロと雫がその瞳から伝う。

 それは、俺が初めて見る彼女の涙だった。


「アタシ、誰かに離れていかれるのがホントに怖いの。耐えられないくらい、嫌なの。みんなのことが大好きだから、誰にもいなくなってほしくない。だから、大好きなうっしーには尚更、どこにもいって欲しくなかった」

「そう、だったのか……。でも、もし俺があさひを選ばなくても、お前の前からいなくなったりなんかしないよ。現に、お前が能力ちからを使わなかった方でも、俺たちは仲良くやってただろ?」

「うん、そうなんだよね。使っちゃった私もわかってたはずなのに。でもねうっしー、アタシ怖くてしょーがなくなっちゃったんだ。バカみたい、だけどさ……」


 そこまで不安に思わなくていい。そんな俺の言葉に頷きながらも、あさひは言った。

 その言葉はとても震えていて、そしてそれは彼女の体にまで伝播して、あさひは自らの肩を抱いた。


「前にさ、昔両親が死んじゃったから、アタシは施設にいるって言ったでしょ? それ、アタシが小二の時だったんだけどさ。はじめはなかなか親が死んじゃったことがうまく理解できなかったんだけど。でももう会えないんだってわかった時、一人ぼっちになっちゃったんだってわかった時、すっごくすっごく寂しくて、辛くて。それからアタシ、誰かが離れていっちゃうのが、ホントにダメになった」

「…………」

「誰かがそばにいてくれないと、不安でしょーがなくて。もう二度と会えないとか、さよならしなきゃとかになったら、震えるほど辛くなっちゃって。気がついたらアタシ、いつも誰かにしがみついて生きてた。大切な今の家族とか友達とかに、くっついてなきゃ生きてけなくなっちゃったんだよ」


 有友 あさひはいつも明るく笑顔で、友達が多くていつもみんなに囲まれてて、ずっと幸せなやつだって思ってた。

 けれどそうやって大好きな人たちに囲まれて生きている彼女に、そんな影があっただなんて。


 俺はあさひが、特定の誰かとだけいるところを見たことがない。

 いつも大勢の友達と、いろんな友達と一緒にいて、幅広く顔が広いやつだから。

 けれど同時に、俺はあさひが誰ともいず、一人でいるところも見たことがなかった。

 どんな些細な時だって彼女は、いつだって誰かと連れ立って、誰かに囲まれて過ごしていた。


 それこそが、あさひの光であり闇でもあったんだ。


「能力を悪いことに使ってないって言ったけど、それも嘘。アタシはいつも、誰かにそばにいて欲しくて、そうなるようにちょっとずつみんなの意識に影響を与えてた。もちろん、その子たちの迷惑にならない範囲でしてるつもりだけど、でも意思を勝手に変えてたのは確かだし。アタシはそうやっていつも、一人にならないことで必死だったんだ」


 あさひの告白は続く。ボロボロと涙を流し続け、嗚咽を含ませながら。

 自分の胸の内を全て吐き出すように。


 思えば彼女と一緒にいて、迷っている間に気が付けば行動してしまっていたことが何度かあった気がする。

 主に俺があさひに対して強気に出ることを怖気付いていた時、気がつけば行動を起こしていた。

 それもまた、彼女の能力が俺にそうすることを促していたのかもしれない。


「普通に考えれば、アタシが不安がりすぎだって、わかってる。でも怖いもんは怖くて。だからうっしーのことも、自分が選んでもらえなかったらもう一緒にいられないかもって思ったら、能力ちから使っちゃってた……」


 あさひを選んでいた俺はさっき、彼女が何か違うという違和感を覚えていた。

 他のものを差し置いて、俺さいれば良いなんて言うあさひは、違うんだと。

 確かに不安に駆られて行動したあさひは、俺の知る彼女の生き様とは違っていたけれど。

 でもそうやって必死に俺を離したくないという彼女もまた、有友 あさひという少女の本質なんだ。


 みんなで、大勢に囲まれていたいという彼女の欲求も。

 好きな人に離れて欲しくなくて、自分のものにしたいと独占的な欲求も。

 全て、大切な誰かと常に手を繋いでいたいという、彼女の根本的な気持ち。

 どっちのあさひも、紛れもなくあさひなんだ。


「ごめん……ごめんごめんごめん……ごめん、なさい。それでもこんなことしていいわけなかったのに。こんなことして選んでもらっても、なんの意味もなかったのに……!」

「わかった。わかったから……」


 泣き叫ぶような声を上げるあさひに、俺はゆっくりと近づきながら声をかけた。

 その震える肩に手を置いて、しっかしとその顔を覗き込む。


「わかったから、もうそれ以上、自分を責めなくていいって」

「でも、だけどさ! アタシは、自分の都合でうっしーの気持ちを捻じ曲げたんだよ? 本当は、うっしーはアタシなんて選ばなかったかもしれないのに……!」

「確かにそうかもしれないけど。でも、俺はこの結果に後悔なんてしてない!」


 ぶんぶんと首を大きく振りながら、俺を振り解こうとして喚くあさひ。

 けれど俺は肩を強く握って、決して放したりなんてしなかった。


「正直、かなりショックだった。お前といた時間の、どれが本当でどれが変えられたものかわかんないし、怖いと思う部分もある。それは確かだけど。でも俺は、ここ最近お前といて楽しかった。今日一緒に祭りを回れて、すごく楽しかった。きっかけは正しくないものだったかもしれないけど、でも俺は何にも嫌な思いなんてしてないんだ」

「でも、それはアタシがうっしーの意思を変えてたからなんだよ。他人に操られて決めたことなんだよ!? 気持ち悪いじゃん。嫌でしょ、そんなの……!」

「確かに気持ち悪い。怖いし、不安になった。でも、お前にだったら受け入れられる。だって俺は、お前がいいやつだって知ってるから。お前といるのが楽しいって知ってるから。多少引っ張られたからって、嫌だなんて思わない!」

「…………!」


 もちろん、全部自分で決めたことならって思う気持ちはあるけれど。

 でも彼女が純粋に俺を求める気持ちでやったことだということは、もう痛いほど伝わってきたから。

 元々どうしようかと迷っていたヘタレで優柔不断な俺だ。そこに方向性を与えられたって、なんの文句も言えない。

 『感傷的心象エモーショナルの影響力・エフェクト』だのと特殊能力が噛んでいるからややこしいだけで、要は迷っている俺の手を引いたのとそんなに変わらないんだから。


 俺はしっかりとあさひを捕まえ、その目をマジマジと見つめながら訴えた。


「きっと他のみんなだって一緒だ。そもそもみんな、お前といたいから側にいるんだ。あさひが寂しくてちょっと能力を使ったからって、それで怒るやつなんて誰もいないから。まぁもちろん、そういうイレギュラーなことをしないに越したことはないけどさ。でももう、そんなに自分を責めなくていいんだよ」

「うっしーは、こんなアタシのこと、許してくれるの? 勝手なこと、散々したのに。アタシ、ちょーサイテーなのに」

「びっくりはしたけど、別に最初から怒ってねぇよ。ただまぁ、今後はもうなしにして欲しいけどさ」


 あさひには自分の気持ちでちゃんと向き合いたいから。

 そう笑顔を向けると、あさひはくしゃっと顔を歪めた。


「大丈夫だ。あさひがみんなを大好きなように、みんなもあさひが大好きだから。誰もお前を、ひとりぼっちになんてしない」

「うん……ごめん……ごめん、ごめぇん……」


 そしてあさひはぶわっと泣き声をあげて、そのまま俺の胸に飛び込んできた。

 咄嗟にその体を抱き止めると、あさひはぐいぐいと俺にしがみついてきた。


「ごめん。でも、ありがと、うっしー」

「もういいから、泣くなって。俺はお前が笑ってるとこが好きなんだ」

「……うん」


 俺が背中をぽんぽんと叩きながら答えると、萎らしい返事が返ってきた。

 そしてしばらくそうやって俺に抱きついていたかと思うと、あさひはゆっくりと顔を持ち上げて、恐る恐る俺の顔を見上げてきた。


「あのね、うっしー。今言うなって感じだけどさ。やっぱりアタシ、うっしーが好き。大好き。アタシだけのうっしーに、なって欲しい」


 そしてそう、切実な眼差しで口を開いた。

 とても魅力的すぎる言葉を、確かな意思に乗せて。


 あさひと恋人になれば、どんなに楽しい日々になるだろう。

 想像するだけで気持ちが華やいで、とてもワクワクした気分になる。けど……。


「ごめん、あさひ。俺にはまだ、お前と同じ気持ちを返すことはできないんだ」

「……うん、だよね」


 俺にはまだ頷くことはできない。

 そんな返答なんてわかっていたように、あさひは苦い笑みを浮かべた。

 そんな彼女に、俺は情けなく弁明を続ける。


「あさひのことを、好きだって気持ちはある。でも俺はヘタレだから、他のみんなに対する気持ちを振り払えるところまでいけてないんだ。みんなのことが気になって、みっともなく揺れてる。こんな俺じゃ、あさひに好きだと胸張って言えないんだ」


 クソ野郎の言い分だと思いつつ、けれどそう言うことしかできなかった。

 俺にはまだ、女子四人の中から誰か一人を選ぶことなんてできないんだ。

 そんな情けない回答に、けれどあさひは笑顔を浮かべた。


「わかってるよ。うっしーはそういうところ、ホントだめだめだかんね」


 そう言って俺の胸をトンと叩き、さっと俺の腕から離れるあさひ。


「でも、好きな気持ちもあるって言ってもらえて安心した。まだ、振られたわけじゃないってことっしょ?」

「ま、まぁ……」

「なら今はそれで満足するよ。こんなことしちゃったし、またいちから頑張らないと」


 そう笑うあさひの笑顔は、少し無理をしているような気がしたけれど。

 でも今の俺には、これ以上彼女を追うことはできなかった。俺にはその資格がない。

 碌な言葉がかけられない俺にあさひはもう一度ニッと笑顔を向けてから、未琴先輩の方へと向いた。


「みこっち先輩も、卑怯なことしてごめんね。ズルにも程があるって、反省してます」

「まぁ私は対抗策なんて色々あったし。結果的に二つの可能性を見られたから、それそのものは怒ってないよ」

「ならいいけど……あ! でもみこっち先輩だってもうあんなことしちゃダメなんだからね!」

「うん、わかってる。お互い様だね」


 二人はそうやって、案外和やかに言葉を交わして決着をつけていた。

 まぁお互い様というのが正しいのかは定かじゃないけれど。

 二人が納得できているならそれでいいか。


「これからもよろしくね、うっしー」


 あさひはそう言って、徐に握手を求めるように手を差し伸べてきた。

 切り替えて改めて仲良くしていこうということかと、俺がその手を握った瞬間。

 体をグッと引っ張られ、おまけに浴衣の襟まで引っ張られて体を引き寄せられた。


 ぐらっと傾く俺に対し、あさひは迎え撃つように顔を近づけてきて。

 そして、その唇が俺の頬にちゅっと押し付けられた。


「振られてないんだもん。まだまだ諦めたりなんてしてやんないんだからっ」


 惚ける俺に、あさひは眩しい笑顔を浮かべてそう言った。

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