第10話 有友と、安食ちゃんと草むしり ② a-2

「うっしーさ、さっきかぁちゃんに指舐められた時、ちょっと興奮したんじゃないの?」


 校舎脇にあるゴミ捨て場までやってきた時、有友が徐にそんなことを言い出した。

 さっきまでのたわいもない会話とは違う、とてもニヤニヤとした表情で。


「バ、バカ、そんなわけないだろ……!」

「でも、結構顔真っ赤だったけど?」

「そりゃいきなりのことで驚いたからだよ」


 ぐいぐいと追及してくる有友に、俺は慌てて否定するしかなかった。

 安食あじきちゃんはただ健気に手当てをしてくれただけだし、それに変な気を起こしたら失礼だ。


 ただ、彼女の口内の温かさと柔らかさは未だに俺の指先に生々しく残っている。

 それを淫靡に感じてしまったことは否定できない。

 それに俺の傷口を舐めながら、彼女が傷を外れたところをやんわりと甘噛みしてきたのは、正直ゾクゾクとしてしまった。

 けれどそんなこと、他人に打ち明けられることじゃない。決して。


「ふーん。ま、そういうことにしてあげてもいいけど」


 必死に否定する俺を見て、有友は楽しそうにニヤニヤしている。

 ゴミ捨て場は校舎の影にあって、今はちょうど日差しがかわせてひんやりとしている。

 日光が遮られて気持ち薄暗い場所では、彼女の肌に張り付く白い体操着が妙に色っぽく見えた。


 ただ俺をからかっているだけなんだろうけれど、そのキラキラとした瞳が今は何か狙いを澄ましているような気がした。

 ひと気がなく、体育館や校庭から聞こえてくる運動部の喧騒も微かに遠い。

 俺たち二人だけの空間で、有友はじんわりと俺ににじり寄ってくる。


「は、早く戻ろっか。安食ちゃんを一人にしてたら可哀想だし……」

「あ、待ってうっしー」


 なんとなく居た堪れなく思った俺がそう切り出した時、有友の手が俺の腕を絡め取った。

 お互い汗まみれの腕がツルッと結びついて、しっとりと彼女の柔肌が俺に吸い付く。


「あとちょっとだけ、涼んでいこうよ。日陰にいるだけでも、結構楽でしょ?」


 そう控えめな声を上げながら、上目遣いで俺に落ち着いた笑顔を向けてくる有友。

 いつもの陽気なものとは違うそれに、思わずドキリとしてしまう。

 おまけに大事そうに俺の腕を抱き締めるものだから、ほんのりとその胸の柔らかみが伝わってきて、何というか体が硬直した。


 健康的な汗に濡れた有友は、普段とはちょっと違う雰囲気をまとっている。

 その甘酸っぱい香りも、しっとりとした肌触りも、どれもこれも俺には暴力的だった。


「────ま、まぁ、少しだけなら……」


 逃げたい気持ちもあったし、やっぱり安食ちゃんを待たせるのも良くない。

 だから断って早く戻ろうと思ったけど────気が付けば肯定の意を示していた。


 まともに有友を見下ろすことができなくて、そう返すのが精一杯だつた、のかもしれない。

 汗に濡れて肌に張り付く体操着は、彼女の水色の下着を透けさせ始めていたし。

 日向だとそこまで気にならなかったけど、光の反射が弱まった日陰では、この至近距離だとその意匠がよくわかってしまう。


 ぎこちない俺をわかってかわからずか────わかってるんだろう有友は、俺の返答に「やった」と小さく微笑む。

 そのちょっとした仕草が可愛らしく思えて、また俺は緊張を増してしまった。


「そういえば有友って、最近俺とばっかりいないか?」


 二人きりが気恥ずかしくて、そしてそれにどぎまぎしていることが悔しくて、意趣返しのつもりでそう尋ねる。

 有友は小さく首を傾げた。


「今だって理由をつけて俺と二人でゴミ捨てに来たし。普段だって、前に比べると俺に絡んでくる頻度が増えた気がする」

「そりゃ、うっしーと一緒にいたいから当然っしょ。他の子に取らちゃうのも嫌だしさ」


 そう答えた有友は少し拗ねた顔をして、「なに、嫌なの?」という視線をぶつけてくる。

 その素直な反応を可愛らしく感じながらも、俺は最近ちょっぴり感じていた疑問を重ねることにした。


「ま、まぁ俺は構わないんだけどさ。有友はいつも、色んなやつと大勢で連んでるイメージがあったから。最近はそういうの減ってるなと思って」


 今までだって教室でよく喋っていたし、彼女が絡んでくること自体は別に変わったことじゃない。

 でもそれは、有友が他の大勢の友達と関わるのと同じ、その一環のようなものだと捉えていた。

 友達が多く、そしていつも沢山のやつらに囲まれている彼女は、逆に特定の誰かとずっと一緒にいる、というのがあまりなかったから。


 ただ最近は、その均衡が崩れているというか、みんなに囲まれている有友を見るのが少し減っている気がしたんだ。

 そしてそれは決してみんなから遠ざけられているとか、そういうわけじゃなく、彼女自身が選んでそうしているようで。

 決して特別変なことではないはずなんだけど、なんとなく気になったんだ。


「もしかしてうっしー、心配してくれてんの? アタシがうっしーにうつつを抜かして、みんなからハブられるんじゃないかーとか」

「いや、心配ってほどじゃないけど……」

「なんだよー。そこは心配でしょーがないって言えよー!」


 最初はちょっぴり嬉しそうにした有友だけど、俺が首を横に振ると途端にぎゅっと眉を寄せた。

 キーキー喚きながら俺の腕を引っ張ってぐわんぐわんと揺さぶってくる。

 強い振動と共に、その勢いでふにふにと柔らかい感触が何度も押しつけられて、色んな意味で脳みそがシェイクされた。


「そ、そうじゃなくて、いやそうなんだけど……有友はその、みんなから避けられるところとか、想像できないし」


 慌ててそう言葉を続けて、ぷんすかしている有友も諌める。


「お前はみんなに好かれてるし、それくらいでどうにかならないってわかってるよ。でもなんていうか、有友はみんなと楽しそうにしてるのが特にキラキラして見えるから、お前がそれでいいのかなぁって、ちょっと思って」

「ふーん。うっしーはアタシのこと、そういう風に思ってくれてたんだぁ」


 俺が思うままを口にすると、有友は再びニヤニヤ顔へと表情を切り替えた。

 勢い余って余計なことを言ってしまったかもしれない。


「案外、うっしーってアタシのことよく見てくれてるんだね。なんか嬉しいな」

「クラスメイトだし、席は前後だし、それにお前は目立つしな」

「そこは、気になる子だから、でいいんだよ!」

「────まぁ、他の奴らよりは親しみを持ってるから」

「補欠合格だな」


 有友はそう言って口をすぼめながら、けれどどこか嬉しそうに笑った。

 改めて俺の腕を抱き直しながら、ニッコリと俺を見上げてくる。


「ありがと。でも大丈夫だよ。みんなとは今まで通り仲良くしてるし、メッセとかガンガンしてるし。確かにアタシは大勢でパーっと騒ぐのが好きだけど、たまにはこうやって誰かと……好きな人と一緒にいるのもいいかなって思ってるし」


 そう言う有友は普段通り元気に笑っていて、けれどほんのり照れを隠しているようでもあった。

 その真っ直ぐな言葉にこっちも釣られて照れてしまいそうになる。


「友達は大事だよ。みんな大好き。アタシ、友達いないと生きてけないし。でも今は、うっしーともっと仲良くなりたいって思ってる。それはまぁ、みんなもわかってくれてると思うよ」

「……もしかして有友、みんなに俺のことが好きだとか宣言したりしてるのか?」

「え、あぁちがうちがう。流石にそれは恥ずいってぇー」


 さらっと不穏なことを言った有友に恐る恐る尋ねてみると、ひどく明るい否定の言葉が返ってきた。

 それ自体を公言されることが嫌なわけじゃないけど、未琴先輩関連で目立っている俺に対する感情を有友が公にすれば、いらぬ噂が絶対に立つ。

 とりあえずそんなことにはならなさそうだと、ついつい安堵してしまった。


「まぁでも、何人かは薄々勘付いてるかも。女子はそこら辺めざといかんねぇ」

「多少は仕方ないけどさ。でもそうなると、外堀から埋められそうな気がしなくも……」

「なるほど、その手があったか」


 俺がポロッとこぼした不安を拾い上げて、それは名案だと手を合わせる有友。

 まぁそれも戦術だけど、俺の前であからさまに思いつくなと諌めると、有友はケラケラと笑った。


「でも、うっしーがアタシのこと心配してくれて嬉しいなぁ」


 ひとしきり笑ってから、有友がポツリと言う。


「いやだから、心配ってほどじゃ……」

「でも、アタシのこと考えてくれたんでしょ? それが嬉しいの」

「お、おう……」


 すっかり上機嫌の有友に、さっきの指舐めうんぬんでムクれていた面影はない。

 まぁ楽しそうに、嬉しそうにしてくれるならいいかと思っていると、徐にしっとりとした上目遣いが向けられてきた。


「……ねぇ、うっしー。もし、よかったらさ」


 唐突な切り替えに若干戸惑いながらも視線を返すと、有友は少しもじもじしながら、言った。


「今日の帰り、うち、来ない……?」




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