第18話 未琴先輩の来訪と膝枕 ③ 37148

 未琴先輩の長い前髪が垂れ下がり、俺を覆い包む。

 顔は優しげな両手に挟まれて、頭の下には柔らかな太ももがあって。

 そして彼女のこの世のものとは思えない美貌が、俺を見下ろしている。


 全てを未琴先輩に包まれて、まるでこの世には彼女しか存在しないと思わされる。

 その清らかな香り、そっと囁かれる言葉。全てが、俺だけに向けられていて。

 五感全てが未琴先輩に支配される。


 未琴先輩のことしか、考えられなくなった。


たけるくん。君は、運命って信じる?」


 そう、ポツリと問いを投げかけられる。

 薄い唇から放たれたその言葉は、しっとりと俺の耳を蕩かす。


「私は、信じていないの。定められた道行みちゆきなんてない。そんなものがあるんだとしら、私はきっと私みたいな人間には生まれてない。だから、もしそう感じるものがあるとすればそれは、数多の選択が導き出した必然なんだと、私は思ってる」


 見えない何かに決められたものではなく、自分で導き出した答え。

 未琴先輩はそう言っている。


「だから、私と君が出会ったのも、きっと色々なものが積み重なった結果。そしてこれから私たちが歩いていく行き先も、私たちが紡いでいくことで生まれるもの。私は、そう信じているの」

「未琴先輩……」


 未琴先輩の意図はわからなかったけれど、その想いはひしひしと伝わってきた。

 未だやっぱり理由はわからないけれど、それでも未琴先輩は俺のことを真剣に考えてくれている。


 だからこそ、普通なら女子が喜びそうな『運命』という言葉ですら、彼女には陳腐に見えてしまうんだろう。

 そんな曖昧で適当な、それっぽいものじゃなくて。俺たちの関係に、確かな意味を見出したいのかもしれない。


「運命なんてない。決められた未来なんて存在しない。だから私は、自分が求めるものを得るためなら、何だってできる」


 少し、未琴先輩の顔が降りてきた。

 吐息を感じそうな距離。けれど触れ合うにはまだ遠くて。

 それは、今の俺たちの関係を示しているようだった。


「今までの私からしたら、これはとんでもない遠回り。でも、私は君を見つけてしまったから。この気持ちの答えを知りたくなって、そこから得られる結果を試してみたくなったから。だから、無駄かもしれなくても、意味なんてなかったとしても、私は君が欲しい」


 あまりにもストレートな願望に、もはや動揺すらできなかった。

 そう言葉にする未琴先輩の表情が、あまりにも綺麗だったからかもしれない。

 俺はただ、彼女に見惚れることしかできなかった。


「でも、なかなかうまくいかなくて、ちょっと困っちゃった。君が悪いわけじゃないんだけどね。私がこういうのが初めてで、下手くそなのかもしれない。でもここまで上手くいかないと、信じたくもない運命をどうしても意識しちゃって」

「…………」


 それは、俺とは結ばれない運命、ということか。

 でも、そこまで気に病むほど俺たちが進展していないとは思えない。

 未琴先輩の気持ちに応えられていない俺が言うのも何だけれど、でも俺たちは着実に距離を縮めていると思う。

 俺の心の準備がなかなかできないのは申し訳ない限りだけれど、でもまだ焦るような時期じゃないはずだ。

 未琴先輩は、何をそんなに憂いているんだろう。


「やり方を変えても、道筋を変えても、アプローチを変えても、今一歩足りない。必ず邪魔が入って上手くいかなくなる。私はただ、尊くんと仲良くなりたいだけなのに。ここまで上手くいかないと、なっちゃダメなのかなって……」

「未琴先輩、俺は……」


 表情は変わらず、声色すら変わらない。

 普段通りの粛々とした未琴先輩なんだけれど、どこか弱々しさを感じて。

 俺は思わず口を開いた。


「俺が言っていいことじゃないかも、しれないですけど。俺は、あの日未琴先輩と出会ってから、少しずつ先輩のことを好きになってますよ。戸惑うこと、困ることもありますけど、でも、俺は未琴先輩といるのが楽しいって思います」

「ありがとう。君はそうやって言ってくれる。だから私は自分が間違っていないって信じたいんだけど。でもやっぱり上手くはいかなくて」

「……?」


 未琴先輩は僅かに目を細め、俺の頬を優しく撫でた。

 ここまではっきりと好意を伝えられているのに、俺がいつまでもうじうじしているから、彼女を苦しめてしまっているのかもしれない。

 俺の気持ち自体は徐々に未琴先輩に向かっているのに、それでも決定打に踏み出せないのは。

 やっぱり、そもそもの理由の部分がとても不鮮明だからだ。


 俺たちが一番最初に出会ったというあの日の出来事。

 それが俺にはあまりにも不鮮明で。そして違和感があるから。

 どうしても自分の気持ちに、そして彼女の気持ちに納得ができなくて。


 そう、違和感。違和感だ。

 記憶をぼやぼやと乱して、事実と虚構をごちゃ混ぜにする違和感。

 思えばこの違和感は、あれからずっと……。


「君が私に好意を抱き始めてくれているのは、何となくわかるよ。それでも踏ん切りがつかないのは、心の中にシコリがあるからだよね」

「え?」


 何かに気付きそうだった俺に、未琴先輩がそっと言った。


「信じてなくても、気にしないようにしていても、君の中にそれがあるから気持ちを邪魔してる。だから私はそうならないようにしたいと思っているんだけど、どうやっても、何かしらの横槍が入るの」


 それは、あのトンデモ話のことを言っているんだろうか。

 確かに未琴先輩を悪く言う内容を含むあの話には、引っかかるものがあるのは否定できない。

 でも俺はあまり信じる気がないし、未琴先輩のことの方が信じたいと思ってる。

 けれど、全く気にならないと言えば、確かにそれは嘘だった。


「そうなることが運命なんだって、ことなのかな。でも私はそんなことは認めたくない。だから何度だって、君を諦めないよ」


 今俺がここで、好きだと言ってしまえば解決するんだろうか。

 いろんな不安や疑問を全部無視して、未琴先輩の気持ちに応えれば、彼女はその苦悩から解放されるんだろうか。

 正直、好きだって言える。まだ芽生えはじめとはいえ、本心として言える。

 でも今それを口にするのはやっぱり、まだ誠実とは言えない気がして。


「いろんなものがあやふやになって、変化して、道をたがえてしまっても。私にとって、最初に君と出会ったあの時のことだけは揺るぎないものだから。それを信じているから、私は迷わない。だからごめんなさい、尊くん。もう少し私に付き合って欲しいな」


 また少し、未琴先輩の顔が近づいた。

 あとちょっとで触れ合う距離。その深淵のような瞳が、恐ろしく美しい。

 視界を埋め尽くす穏やかな微笑の中で、けれどどこか悲しみを孕んでいる未琴先輩。

 俺はそんな彼女に圧倒されながらも、声を上げずにはいられなかった。


「俺、わけわかんないことばっかりで、戸惑ったり不安だったり、ここ最近しっちゃかめっちゃかで。色んなことがごちゃ混ぜで、だから気持ちもはっきりしなくて。それで未琴先輩に辛い思いをさせてるのは、本当に申し訳なく思ってるんです」


 何が本当で何が嘘で、どう繋がってどう答えになるのか、何もわからない。

 そんな何も判断できない俺でも、今確かに言えることが、一つだけある。


「それでも俺、だからこそ、未琴先輩ともっと一緒にいたいです。ちゃんと最後まで答えを出したい。先輩が、いや俺も……違う、一緒に、納得できる答えを探したいです。そのためなら俺、いつまででも未琴先輩に付き合い続けたいですよ」


 情けない、全くもって男らしくない言葉。

 これだから俺はモテないんだと思う。

 けれどこれが今の俺の精一杯で、一番誠実な対応だから。


 目を背けたくなるほどに深い瞳を、しっかりと見つめ返す。

 未琴先輩は僅かに目を見開いてから、ほんの少しだけ頬を緩めた。


「ありがとう尊くん。私はきっと、君だから頑張れる」


 そう言うと、未琴先輩は頭を持ち上げた。

 俺を包んでいた天蓋のような前髪がさっと引き、天井照明の眩しさが目に刺さる。

 けれどそれよりも存在感のある未琴先輩の姿に、俺は釘付けのままだった。


 未琴先輩は高くなったその位置から俺をしっとりと見下ろして、小さく息を吐いた。


「何度だって迎えに行くから。待っててね、尊くん」


 未琴先輩はそう愛おしげに言いながら、自らの前髪を人差し指で左巻きにくるくると弄んだ。

 そんな大したこともない所作も様になっていて、絵画のように美してくて。


 だから、この正体不明の違和感はきっと気のせいなんだと、そう思った。




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