第10話 安食 楓とパンの山と特殊能力 ③ 5743

「その『感傷的心象エモーショナルの影響力・エフェクト』とかっていうのは、そんなにとんでもないものなのか? 俺が変わっちゃうかもしれない、くらい」


 とりあえず聞くだけ聞こう程度のつもりだったのに、ついついまともに取り合ってしまった。

 けれど健気に見上げてくる眼差しを無視できるわけなんてないから、これは仕方ないことだと自分に言い訳する。

 俺の疑問に、安食あじきちゃんはコクコクと頷いた。


「能力の内容は様々ですが、他人の精神に作用するタイプのものもあります。『感傷的心象エモーショナルの影響力・エフェクト』は異能として扱われますが、そもそもは誰もが持つ影響力の延長ですから。普通の人でも、他人を感化させたりできますよね? それが大袈裟になったもの、みたいな感じなんです」

「なんかイメージできるような、できないような……」


 頑張って噛み砕いて説明してくれる安食ちゃんに、ついつい真剣に理解しようとしてしまう俺。

 与太話だと話半分に聞いておけばいいのに、でもそうできない力を彼女の瞳が持っているからかもしれない。


「『感傷的心象エモーショナルの影響力・エフェクト』は、そういった強い情動で周囲に実際的な影響を起こす能力ちからなんです。物質を変質させたり、人の感情や行動に干渉したりと、人の心の数だけ能力の種類があります。主に、軸となる心象が強く鮮明であるほど、強い強制力のある影響力になると言われているんです」

「カリスマがある人だったり、説得力のある人の言葉が、周りの人間の心を動かしたり、行動を変えさせたりする。そういう感情の伝播が、極端になった感じってこと?」

「方向性はそんな感じです。普通だったら相手が受け取らないことには始まりませんが、『感傷的心象エモーショナルの影響力・エフェクト』は一方的に影響を与えられます。なので人はもちろん、意思の疎通の取れないもの、物質や自然現象、物理法則など、世界そのものに干渉できるんです」


 安食ちゃんは必死で頭を回転させている様子で頑張って語る。

 彼女にとっても難しい設定なのか、それとも自分の体感を言葉にするのが難しいのか。

 何にしても一生懸命にもがきながら話す様は、とっても保護欲のそそられる愛らしさを振りまいていた。

 話の内容がこれじゃなければ、かなりの癒しになったんだろうな。


「少しずつ、雰囲気だけはわかってきたけど、でもやっぱりなんとなくだな。実際にこんなふうなものって見せてもらえたら、まだ信じようもあるんだけど……」

「それは……ごめんなさい、ちょっと難しいかもです。超能力とか魔法みたいに、わかりやすく実演できるものじゃないんです」


 俺の要求に安食ちゃんはシュンと肩を落として、とても申し訳なさそうにそう言った。

 言っていることが事実なのか、はたまたただの空想だからそう言うしかないのか。

 どっちにしろ、聞いたことのあるような理由だった。


「信じられないですよね、ごめんなさい。でも今はそれでもいいんです。そういうものがあるって、何となくでもわかってもらえれば……」

「知っているだけでも違う的なことを言ってたけど、それでどう変わるもんなんだ?」


 小さい体を更に縮こませながら、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる安食ちゃん。

 いつもほんわかと暖かく笑う彼女にそんな顔をさせてしまったことが心苦しくて、俺は質問を投げてみた。

 安食ちゃんは少しだけ気を取り直して口を開く。


「さっきも少し言った通り、『感傷的心象エモーショナルの影響力・エフェクト』による影響は、普通の人だと干渉されていることになかなか気付けないんです。ものによっては、その結果はわかるんですけど。ただ事後だと手遅れのこともありますから。でも、そういうものがあるとわかっていれば、小さな違和感をきっかけに何かが起こってるとわかりやすくなるんです」

「知識の有る無しで気付きが違うってことか。じゃあちなみに、安食ちゃんは未琴先輩の能力がどんなのか知ってるのか? 未琴先輩が俺に影響を与えるとしたら、どんなものなんだ?」

「それが、実はわからないんです……」


 安食ちゃんはそう答えると、また申し訳なさそうに俯いた。

 未琴先輩の力は恐ろしいとか散々言っておいて、またその内容がわからないとは。

 知っているだけでも違うという話だったのに、そもそも自分が知らないなんて。

 ここへきてそうくるとは思わず、俺はついついズッコケそうになった。

 でも可哀想だからそれは内心で留めておく。


「神楽坂 未琴自身が表立って行動を起こしたことは、実はまだないんです。なのでその能力は本当に推測のレベルを出てなくて。でも、その段階でも十分に恐ろしいんです」

「……? じゃあ、その推測っていうのは?」

「……多数の能力を所持できる、あるいは使用できる類のものではないかと、言われています。そう言うしかないほどに、多種多様なことができるみたいで」

「………………」


 そうきたか、と思ってしまった。

 雰囲気的に、『感傷的心象エモーショナルの影響力・エフェクト』というのは一人一種類の能力なんだろう。

 能力ものの漫画やアニメでは、まぁそれが定番の設定だ。

 それを思えば、確かに色々な力を使えるというのはとんでもない能力だ。

 世界を脅かす悪の組織の親玉、ラスボスに相応しい力だと言える。


 ただまぁ言ってしまえば、最強の敵にありがちな凄さな気がした。

 確かに凄いんだろうけれど、ちょっと作り話チックだ。

 けれどそんなことを言えるわけもなく、俺は見た目だけ真面目にふむふむと頷くことで凌ぐ。


「神楽坂 未琴がどれほどの数の能力を使えるのかはわかりませんが、かなり多彩だということは確認できているみたいです。なので、どういうアプローチをしてくるかはわかりませんが、逆に何をしてきても驚きません」

「それこそ、俺に洗脳みたいなことをできるかもってことか。その影響力とやらで、俺の脳とか心に干渉したりなんかして」

「そういう、ことです……」


 言いたいことはわかったからと頷くと、安食ちゃんは恐る恐る俺のことを見上げた。

 今にも泣き出しそうなほどに瞳を潤ませ、肉食動物に狩られる小動物のような細々とした様子でこちらを窺う。


 話したはいいけれど、俺に受け入れてもらえるかどうか不安になったんだろう。

 一応不信感が出ないように普通に聞いていたつもりだけれど、それでも俺の反応はやっぱり懐疑的な部分を隠せてなかったんだろう。

 そこまで必死になる様を見せられたら、アホくさいと切り捨てることなんてできるわけがない。


「わかったよ、話してくれてありがとう。ちょっと鵜呑みにするのは難しいけど、一応覚えておくよ」

「ほ、本当ですか……? 先輩は、変な話をした私を怒ったりしないんですか?」

「別に怒る要素はなかったし。まぁ、未琴先輩の扱いには思うところがあるけど。でも、安食ちゃんに悪意があるようには思えなかったしさ」

後宮うしろぐ先輩……」


 努めて優しく声をかけてみれば、安食ちゃんはほわっと表情を緩めた。

 らしくないシュンとした顔に赤みが戻って、普段通りの温かみを取り戻す。

 その純粋な反応に、俺も釣られて頰を緩めた。


「お、うっしー呼びはやめてくれたのか」

「あ、間違えちゃいました。うっしー先輩」

「間違えてはないんだけどな……」


 俺がわざとらしく肩を落として見せると、安食ちゃんはニコニコと楽しそうに笑った。

「大丈夫、可愛いですよぉ」なんて言って俺の肩をさするくらいに調子を取り戻している。


「────まぁでも、未琴先輩とのことは自分の目で判断するよ。安食ちゃんは嫌かもしれないけど」


 少し空気が緩んだところで俺が言うと、安食ちゃんはコクコクと頷いた。


「はい、それでいいと思います。こういう話はしましたけど、私たちも神楽坂 未琴に関してはわからないことばかりで。正直私個人としては、普通の年上の綺麗なお姉さんと変わらないんです。ただ何かがあるのは確実なので、気をつけてはほしくて」

「まぁ普通の範囲で普通じゃない人だとは思うけど。でもわかったよ。気に留めておくことにする」

「はい!」


 正直な話、とてもじゃないけれど信じられる話じゃない。

 というか、信じたくないような話だ。

 特殊能力的なものがあるのは面白そうだけど、未琴先輩がラスボスだなんて、そんな滅茶苦茶な話はなんか嫌だし。

 でもここまできたら、全く考えないでいるというわけにもいかないだろうな。


 ただ俺は、俺の目に映る未琴先輩を信じたい。

 だって俺たちは、これから二人でゆっくり仲良くなっていこうって、そういう話をしたばっかりなんだから。


「やっぱりうっしー先輩は優しくていい人です。私ちょっぴり、嫌われて聞いてもらえないかもって覚悟をしてたので」

「優しい、のか? 俺はただ、一生懸命話してくれる安食ちゃんの話を、首を傾げながら聞いてただけだよ」

「それが優しいんですよ。うっしー先輩は、信じられない話をする私を信じて、ちゃんと聞いてくれたんですからね」


 安食ちゃんはそう言うと、とても穏やかに柔和な笑みを浮かべて、その小さな手で俺の手を握った。

 未だ懐疑的で偏屈な俺の心を包み込むような、母性を感じさせる懐の大きな笑み。

 小動物のように愛らしい彼女が、今は聖母様のように偉大で暖かく見えた。


「うっしー先輩は優しい人、いい人ですよぉ。だからもう少し自信持っていいんです。不安になった時は、私のこの言葉も信じてみてくださいね」

「安食ちゃん……ありがとう」


 この子の方がよっぽど優しい。

 年下の女の子に、縋りたくなるほど癒されてしまった。

 こういう風に俺を見てくれる人がいると思うだけで、俺のヘタレ精神も少しは勇気を奮わせることができるかもしれない。


 健気で輝かしく、そして心をほぐされる温かな笑顔を向けられて、とても和んでしまった。

 つい今し方までの会話は、他人に聞かれたらかなりヤバいくらいぶっ飛んでいたけれど。

 でもそんなことどうでもいいと思えるくらい、今は心が充実した。

 少しだけ、真剣に気にしてみてもいいかなと、そう思ってしまうくらいに。


 そうやって二人で穏やかに笑い合って。

 その中でふと、俺は何かを忘れていることに気がついた。

 俺がここにきた理由って、そういえば……。


「────たけるくん」


 あと一瞬でもあれば思い出せそうだった時、背後から淡々とした声が飛んできた。

 思わずビクッとして強く安食ちゃんの手を握り返して、恐る恐る振り返る。

 そこには当然の如く、未琴先輩が静かに佇んでいた。


 静かな微笑はいつもの通り。でもやっぱり、柔和な威圧感を携えておられる。


「女の子を長々と待たせるなんて。君はいけない子だね」

「す、すいません未琴先輩……! 少し話すつもりが思いの外────」

「まぁ、君の交友関係に口を挟むつもりはないけどね」


 俺の虚しい言い訳に小さな溜息をつきながら、未琴先輩はその緩やかな瞳の鋭い視線を安食ちゃんへと向けた。

 彼女はといえば、蛇に睨まれた蛙を体現するかの如く小刻みに震えている。

 ちなみに俺たちは、しっかりガッチリと手を繋いだままだった。


「ほら、早くお弁当を食べようよ。お腹空いたでしょ?」


 前髪を左巻きにくるくると弄びながらそう優しげに言葉をこぼして、未琴先輩は僅かに眉を落とした。

 慌てて大きく頷く俺の横で、安食ちゃんが小さく息を飲んだ。




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