第9話 安食 楓とパンの山と特殊能力 ② 5743
あんまり長く時間を取るつもりはなかったけれど、両手いっぱいにパンを抱えている子に立ち話をさせるわけにもいかなくて、俺たちは近くのベンチに身を寄せることにした。
ようやく大量のパンから解放された
決して届かないような高さではないけれど、そんなちょっとした動作がミニマムな雰囲気を醸し出していた。
「すみません。先輩にとっては突拍子もない、信じられない話かもしれないんですけど────」
ちょこんとベンチへと腰掛け、安食ちゃんはかしこまったようにそう言って話し出した。
小動物のように愛くるしい雰囲気はそのまま、温和な表情で、しかしキリリと俺を見上げる彼女。
その慎ましい真剣さに、俺も自然と背筋が伸びた。
そんな安食ちゃんから飛び出した話は、前置き通り突拍子もないもので。
『
それを悪用する『インフルエンサー』とかいう悪い連中がいたこと。
そして、神楽坂 未琴がこの世界に於けるラスボスであること。
どこかで聞いたことのあるような、けれど俄には信じ難い、そんなぶっ飛んだ話を彼女は必死に俺に語ったのだった。
普通であればつまらない冗談だとか、頭がおかしくなったんじゃないかと疑うような、そんな電波発言。
けれど安食ちゃんがぴょこぴょこと必死に話してくるものだから、その健気さについつい耳を傾けてしまった。
「ごめんなさい。変な子だって、思いましたよね。でも、信じられないかもしれないですけど、本当のことなんです」
あまりにも現実離れした話をしどろもどろながらも端的に話た後、安食ちゃんは一息ついてそう言った。
元々小さく視線が低い彼女が、俯き気味になりながら俺を見上げてくるものだから、パチリとした目が切実な上目遣いで俺に向けられている。
今のぶっ飛んだ話に対する不信感を音速で掻き消してしまえる、無垢な愛らしさがそこにあった。
「でも、どうしてもうっしー先輩には話しておきたくて」
そう安食ちゃんが続けた時、くーっと可愛らしい音が彼女のお腹から鳴った。
瞬間、顔を真っ赤にした彼女は慌てて俺に背を向けて、そのふわふわの髪で顔を隠した。
昼飯時だしそれも仕方ないことだろうと、食べながらでいいよと促すと、安食ちゃんはこちらに向き直るなりキラキラした笑顔を浮かべた。
隣に積み上げた山からパンをふた掴みして、右手に焼きそばパン、左手にあんぱんと両極端な二刀流の構えをとる安食ちゃん。
その漫画の食いしん坊キャラみたいな食べ方は、実際効率がいいんだろうかと疑問に思いつつも、小さな口で必死に、そして幸せそうに食らいつくその愛らしさに少し癒される俺がいた。
口は小さいけど食べるのは早く、まるでリスが木の実を食するようにタタタとパンがなくなっていくのは見ていて面白い。
というか、彼女は俺を『うっしー先輩』と呼ぶことを譲るつもりはないらしい。
「まぁ、とりあえず安食ちゃんの話はわかったよ。ちょっとまだ信じられないけど、でも言いたいことはわかった」
可愛らしい年下女子の食事風景を眺めながら、俺は会話を続ける。
人が食べているのを見たら、俺も早く未琴先輩の弁当が食べたくなった。
「よかったぁ、ありがとうございます。でも先輩、信じられない割にはあんまり不思議がらずに聞いてくれましたね。もしかして私がした話、もう知ってましたか?」
「あー、なんていうかなぁ……」
ホッと安堵の息を吐きながら、安食ちゃんは既に五つ目のパンに手をつけていた。
そうして向けられる疑問に、俺はなんと答えていいかわからず、モニョモニョと口籠った。
知っていた、と言い切っていいところか、かなり微妙なところだから。
今日もまだ頭が若干モヤっているから、自分の意識の信憑性が薄いっていうのもあるけど。
「あっ、あさひ先輩から聞いたんですかぁ? 言ったとは言ってませんでしたけど、でも同じクラスですもんね」
「う、うん。まぁ、そうだったかな……」
とりあえずこのトンデモ話は、有友と安食ちゃんの共通の認識事項らしい。
世界観の奥行きがどんどん広がっていって、もう一個人の妄想と断定するにはちょっとスケールが大き過ぎる。
もしかして、ボランティア部の今流行りの空想ごっこみたいなものだったりするのか?
でもそれにしては、安食ちゃんの語りは真に迫っていたいた気がしなくもない。
ただ、今その真偽を突き詰めている時間はないし、とりあえずは言いたいことを全部言ってもらうのがいいだろう。
あんまり長いこと未琴先輩を待たせていると、それこそどんな責任の取らされ方をするかわからない。
「それで、どうしてそんな話を俺に? 俺が未琴先輩と一緒にいるから?」
「そうですね。神楽坂 未琴は今まで目立った動きをしてこなかったのに、ここへきてうっしー先輩という特定の人にアクションを起こしました。彼女の一番近しい存在になりそうな先輩には、事情をわかっておいてもらった方がいいかなぁと」
小さな口で素早く咀嚼しながら、合間合間にコロコロと語る安食ちゃん。
この愛玩動物のような可愛いらしい後輩が、特殊能力だの世界滅亡だのラスボスだのと、奇怪な話をしている今現在が信じがたい。
「今のところ、うっしー先輩が選ばれた理由はよくわからないんですけど。でも、神楽坂 未琴にとっての『特別』になる可能性が一番高いのは、先輩なんです。そうしたら先輩は、彼女の影響を強く受けるようになるかもしれないから。だから、信じられなくても知ってもらってれば、対策が取れると思って」
「未琴先輩の影響、ね。確かに少々押しが強いようなところはあるけれど、何か悪影響を及ぼしてくるような感じは今のところないけどなぁ。それとも俺があの人を変に真似して、身の丈に合わない自信満々な振る舞いをしたらまずいとか、そういうこと?」
安食ちゃんが危惧しているところがイマイチわからず首を傾げると、彼女は小さくふるふると首を横に振った。
長い髪がファサファサと舞って、実際のモーションよりも大袈裟になっている。
ちなみに、もう十個目のパンに口をつけ始めていた。
「うっしー先輩がもう少し堂々とするようになるのは、私いいと思いますよ。先輩はちょっぴりネガティブめな……控えめなところがあるので。でもそういうことではなくて、彼女の持つ能力のことなんです」
「今さらりと俺のヘタレっぷりをディスったよね」
言い方は柔らかく、とっても気を配っている言葉遣いだったけれど、シンプルに問題点を指摘された。
ただそこに悪意は全くなく、むしろ好意を持って言ってくれているだろうことが伝わってくるから、ダメージは然程なかった。
俺が少しショゲた顔を向けると、安食ちゃんは慌てて「し、慎重なことはいいことです」とフォローを入れた。
それはそれで別のパンチが効いたけれど、あまり彼女を困らせても申し訳ないから、お礼だけ言って話を戻した。
「未琴先輩の能力、ね。『
「はい。『
いつの間にかパンの山はすっかりさっぱり消え去って、丁寧に折り畳まれた
この短時間で、しかもいろんなことを話しながら、もうぺろりと食べ終わってしまっただなんて。
その食べっぷりには慣れてきたと思っていたけれど、でもやっぱり凄まじさに圧倒される。
胃袋にブラックホールでも内包してるんじゃないだろうか。でもそんな凶悪な吸引力とは裏腹に、安食ちゃんはコロコロもふもふと癒しげだ。その矛盾に思考を放棄させられる。
すっかり食べ切った安食ちゃんは、それでも少し物欲しげに唇をつんとしながら、しかしお膝に両手を置いて俺を見上げた。
「だから……だからぁ、うっしー先輩には話しておかなきゃって、そう思ったんです。もし彼女の影響を先輩が無自覚に受け続けてしまったら、私の優しい先輩が、いなくなっちゃうかもしれないから」
不安げに眉を寄せて、もじもじとそう言う安食ちゃん。
そんなアホなと一蹴してしまいたい、奇想天外な内容ではあるけれど。
でもしかし、その健気な瞳を無碍にすることは、俺にはできなかった。
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