第7話 有友 あさひのスキンシップと不穏な話 ③ 294

「わかった。わかったよ有友」


 だから俺は、そう頷かざるを得なかった。

 どんなにその言葉を信じられなくても、彼女を蔑ろにすることはできなかったから。


「正直、話の中身は全く信じられない。その特殊能力とやらも、それで悪事が行われてるとか、まして未琴先輩がその親玉なんてことも。俺には全然、信じられない」


 そんなの当たり前だ。

 そういう話はフィクションだから成立するもので、とてもじゃないけれど現実的じゃない。

 オカルトやファンタジーなんてものは、あったら面白いなって夢見るもので、それ以上の存在じゃない。

 この世界に、そんなものあるわけがないんだ。


「それでも、俺は有友のことは信じる。話の中身はどうかしてるとしか思えないけど。でも、お前の気持ちは嘘やデタラメじゃないって、そう思うから」

「うっしー……」


 自分をそう納得させながら言うと、有友は表情を緩ませた。

 普段快活に笑顔を浮かべている彼女には珍しい、ちょっぴり萎らしい顔だ。


「あの未琴先輩が、世界を脅かす悪の親玉とは……やっぱり思えない。だから本当にお前の言う通り、頭の片隅に覚えておくだけだ」

「うん……うん。それでいいよ、うっしー!」


 頷きながらぱぁっと笑顔を咲かせる有友は、こっちが申し訳なくなるくらい嬉しそうだった。

 信じてもらえなくても、引かれてでも話しておきたかっただんて、そこにどれだけ覚悟を持っていたんだろうとは思う。

 その性根そのものは信じるけれど、ただやっぱり話の中身まで信じ切るには、俺は平凡な人生を過ごしてきすぎた。


 ただまぁ、言ってしまえば話の突拍子もなさは未琴先輩もいい勝負だ。

 俺は未だに昨日のことは不鮮明だし、そこからの因果を理解できていない。

 でもその真偽とは別に、不器用ながらも、多少わかりにくくも、あそこまで健気に相対されてしまったから。

 信じてみたいと、わかり合ってみたいと、もっと知りたいと思わされてしまった。


 ただ、それでも未琴先輩は今日知り合ったばっかりの人で。

 数ヶ月とはいえ、有友との方が気心は知れていて、単純な信頼が違う部分がある。

 それもあって、やっぱり有友の言葉をただ一蹴はできない。

 俺は未琴先輩のことを信じてるし、信じてみたいと思うけれど、有友のこともまた信じたいから。


「……特殊能力とか、それで世界が危ないとか、その辺りは信じられない。信じられないけど、一応聞いとくよ。有友、お前もその能力者なんだろ? 何ができるんだよ」


 信じないとは言い切っているけれど、でもだからと言ってここまで話をされて無視もできない。

 本当に一応のつもりで聞いてみると、有友はうーんと軽やかに唸った。


「何かこう、火を出したり物を浮かせたりするのか?」

「いや、なんてゆーか、そーゆーわかりやすい感じじゃないんだよねー。『感傷的心象エモーショナルの影響力・エフェクト』はあくまでも気持ちの延長っていうか、心の状態を外に反映させる能力ちからっていうか、現象だからさぁ」


 有友はしゃがんだ状態で自分の膝に頬杖をつき、ムムムと似合わない悩み顔を浮かべる。


「今こんな感じって実演すんのは、ちょっとむずいかなぁ。あ、でもさっきうっしーに使ったよ」

「は? いつ?」

「こっちに来る時とか、教室に引き込む時とか。うっしー、こんなとこに来るつもりなかったのに来ちゃったっしょ? あれは、私が能力を使ってそうさせたんだよ」

「さ、左様か……」


 そう言って向けられた得意げな笑顔に、なんと反応して良いかわからず眉が寄ってしまう。

 確かにここへ来た過程は少し不自然だったけれど、それが超常現象の産物だと言われても、それは俄かに信じ難い。

 特に今日の俺は頭がぼーっとしてるから、そのせいだと言った方が明らかに現実味がある。

 というか、そういう普通な理由で納得したいんだ。普通の高校生である俺は。


「ま、そのうちもう少しわかりやすく見せられる時が来るかもね。そん時まで楽しみにしといてよ」

「わかったわかった。そういうことにしとくよ」


 俺の微妙な態度にニコニコと笑顔で返して、有友は普段通りの明るい言葉を放つ。

 こうしていると本当にただの元気なやつで、さっきのぶっ飛んだ話が嘘のように思えてくる。

 いやぁ、まさか他でもない有友の口からこんな話を聞かされるなんて。

 未だ中二病を脱せていないような、クラスのオタク連中ならまだしもだけどさ。


「でもホント、ホンットちゃんと聞いてくれてサンキュー、うっしー!」


 やれやれと内心で肩を竦めていた時、有友は突如より元気な声を上げた。

 笑顔は三割り増し、そこに少し瞳を潤ませて、縋るような顔をこちらに向けている。

 なんだかちょっと、色っぽいと思ってしまった。


「アタシ、うっしーだったらきっと大丈夫だって信じてたよ」

「いや、だからまぁ、話の中身は信じられてないんだけど……」

「それでも! だって、アタシのことは信じてくれたんでしょ? それがちょー嬉しいんだよー!」


 笑顔満開、体をくねくねさせて喜びを表現する有友は、さっきの電波な話なんて関係なく、年頃の愛らしい少女だった。

 普通だったらちょっととっつきにくいような、ギャルらしいエネルギッシュな振る舞いだ。


「うっしー、ホントにありがとね。アタシ、うっしー大好き!」


 そしてそんなことを突然叫んだかと思うと、しゃがんだ体勢から脚のバネをきかさて俺に飛びついてきた。

 未だ座り込んだままだった俺は、覆い被さるように飛び込んできた有友を避けることなんてできなくて。

 がばりと大胆にひっついてきた彼女に、押し倒されるように受け入れるしかなかった。


「うっしー! うっしー! 愛してるぜぇ〜!」

「おまっ、バカ、離れろ!」


 キャッキャと一人盛り上がりながら、有友は俺の首に腕を回してぎゅーぎゅーと抱きついてくる。

 組み敷かれた俺には彼女の重くない体重とその柔らかさが全面に押し付けられて、目を白黒させるしかなかった。

 全身が女子特有の甘やかな柔らかさに包まれながら、特に胸部に究極的な弾力が染み渡る。

 健康的な発育の良さをたわわに実らせた有友の胸が、俺に容赦なく物理と精神の二重攻撃を仕掛けていた。


 おまけに、尋常じゃなく良い匂いがする。

 制汗剤か何かの柑橘系の香りに、それでもちょっぴりの汗の匂いと、そして根本的な女の子の甘い匂い。

 それが絶妙にブレンドされた香りが、主に彼女の髪から俺の鼻腔に振り撒かれて、なんだかとってもエロティックだった。


 熱い抱擁と合わせて、脳がショートしそうな刺激が全身を駆け抜ける。


「ほ、本当に、離れろって! 衝動で動くなアホ!」

「なーにー? 照れてんの? こんなの友達なら当たり前のスキンシップじゃーん」


 女子同士ならまぁそうなんだろうけど。

 有友は自分が男子に与える刺激を理解してないんだろうか。

 いや、わかっていて敢えてしてる気がしなくもない。


 ふわふわと押しつけられる胸の感触を感じながらふと、未琴先輩のことを思い出した。

 そういえばあの人は、すらっとしたカッコいいスタイルの良さで、割と線の細い華奢な感じだったな。

 スレンダーなモデル体型というか。胸に関しては見た感じは……いや決してなかったわけじゃなく、でもボリュームは────て、何考えてんだ俺!


 としても失礼なことを思い浮かべてしまった俺は、慌てて首を振った。

 胸の大きさとか、それが全てじゃない。

 それを差し引いたって未琴先輩はお美しいし、いやむしろそれがポイントを高めてるような……落ち着け俺。


「なーに顔赤くしてんの、かわいいなぁうっしーは」


 色んなことを考えてパンクしそうな俺に、有友はキャハハと笑った。

 それから「これくらいで勘弁してやろう」とのたまうと、ようやく腕を離して上体を持ち上げた。

 けれど俺に乗っかった体勢は変えず、頭の両脇に手を置いて、覆い被さったまま俺を見下ろす。


 そして、少ししんみりとした顔をして、ぽつりと言った。


「うっしーはアタシの大切な友達だから、個人的には応援してるよ。立場的にさっき言った感じだけど、アタシ単体としては正直、神楽坂 未琴個人に対する感情は一人の先輩とあんまり変わんないんだよね。実感が湧きにくいのは、実は一緒だったり」

「有友……」


 ニシシと笑ってそう言う有友からは、なんだか複雑な状態が読み取れた。

 なかなか難しいスタンスになってるみたいだ。

 それとも、ただ単にそれだけが本心なのか。

 彼女の語った話を信じきれない俺には判断がつかない。


「だから頑張って。どっちにしろうっしーは、これからあの人と関わってくんだろうから。うっしーは、そうしたいんでしょ?」

「ま、まぁ、な……」


 俺がモゴモゴと相槌を打つと、有友は「だよね」と笑った。


「まぁそれでもやっぱり立場的には止めたいし、守りたいし。だからこれからもちょっかいかけるかもしんない。そこら辺はまぁ、許してね」


 やっぱりコイツが言っていたことは全部、何もかも本当のことなのか?

 そう思わせるほどに真っ直ぐな笑顔に、心が僅かに揺れた、その時。


「────たけるくん、何してるの?」


 ぽつりと静かな声が教室の外から飛び込んできて、俺はぎょっと飛び上がった。

 有友も一緒に飛び跳ねて、二人揃って扉の方を見てみれば、絵画の中の聖女様のように、戸口の中で堂々に佇む未琴先輩の姿が見て取れた。

 その風体は柔らかく、浮かべる笑顔も静かで穏やかな優しいもの。

 けれど相変わらずの緩く開かれた瞼と、何より醸し出す雰囲気が、どことなく強烈な威圧感を振りまいていた。

 そこにいらっしゃることが様になりすぎて、怖い。


「一緒に帰ろうと思って、尊くんのことを探してたんだけど……」

「み、未琴先輩……! これは、その……!」


 別にまだ付き合っているわけじゃないし、何か後ろめたいことをしてるわけじゃない。

 けれど何だか浮気現場を目撃されたような気持ちになって、慌てて取り繕うような言葉が口から飛びだす。

 けれどそれも碌に回らなくて、未琴先輩の透き通るような眉間にひっそりと縦皺が寄った。気がした。


「やっぱり、こうなっちゃったか。なかなかどうして、難しいものだね」

「……? あの、未琴先輩……?」


 浮かべた微笑は変わらず、けれどどこか寂しそうに呟く未琴先輩。

 いや、俺がそう思いたいだけで、何も思わず淡々としている気もする。

 静かな笑みが不動すぎて、そのお心がまるで読み取れない。


 戸惑いに満たされ、俺は取り繕うのも忘れてその顔を見上げた。

 有友も不安そうに彼女を見つめている。というか、どいてくれよ。


「いいの。別に尊くんは悪くない。私が迂闊だっただけだから」

「あの、いや、未琴先輩。これはそういうんじゃなくて……なんか、その……」

「大丈夫、何も怒ってないよ。お友達と仲良くするのは大切でしょ?」


 どことなく、『お友達』が強調されている気がする。


「もし用が済んだなら、一緒に帰ろうよ」


 有友の下敷きになったままの俺を、静かに見下ろして。

 右側に垂れる自らの長い前髪を、人差し指で左巻きにクルクルと弄びながら、未琴先輩は淡白にそう言った。




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