第3話 神楽坂 未琴とキスをした責任 ③ 15

 俺が事態を理解する前に、神楽坂先輩はいそいそと昼食の準備を始めた。

 コンパクトなシートを陰の中で広げて腰を下ろすと、手提げから弁当箱を取り出す。

 女子らしい可愛い巾着袋に包まれた弁当が二つ。先輩と俺の分、ということだ。

 嘘や冗談ではなく、本当に神楽坂先輩は手作り弁当を用意してきてくれたらしい。


「ほら、こっちにおいで。どうせならゆっくり座りながら食べて欲しいよ」


 呆然としたままの俺に、神楽坂先輩はふわりと声をかける。

 自らのすぐ隣をぽんぽんと叩き、こちらに来なさいと。

 何を考えて良いかわからなくなった俺は、もうただ言われるがままに腰を下ろした。

 けれど小さなシートは二人でしっかり座ろうとすれば密着は避けられず、流石にそんな恐れ多いことはできないと、僅かな理性を働かせて端っこの方にちょこんと尻を預けた。


 そんなガチガチな俺を楽しむように眺めながら、神楽坂先輩は俺の前に弁当を広げ始める。

 本当にこの人は俺に手作り弁当を振る舞うために、こうして呼び出してきたみたいだ。

 この弁当が実はびっくり箱で、ドッキリ大成功なんて展開にならない限りは。


 俺のクラス、学年、いや今や学校中が、「あの神楽坂 未琴が二年の男子を連れ出した。しかもキスしたらしい」という噂に賑わっていると思われる。

 そんな風に学校中を騒がせて、当の俺を戸惑いと疑問で埋め尽くして、何がなされるのかと思えば手作り弁当イベント、だと?


 一体何がどうなれば、どんな間違いが起きればこんなことになるんだ。

 嬉しいといえば嬉しいけど、あまりにも不意打ちすぎて幸福感を戸惑いが打ち消してしまう。


「さ、どうぞ。ちゃんと君の好きなものをいっぱい作ってきたよ」


 俺が情けなく混乱しているうちに、神楽坂先輩は全ての支度を終えていた。

 差し出された弁当箱をされるがままに受け取って、その中身にギョッとする。

 その色鮮やかな中身は彼女が言った通り、俺の好きなもので埋め尽くされていたからだ。


 おかずが豊富で何から目を向けて良いかわからないけれど、そのどれもが手の込んだものだと一目でわかった。

 冷凍食品のようなものはまるでなく、唐揚げやコロッケなんかも今朝揚げてきたようだし、小さなハンバーグも手捏ねに見える。

 丁寧に巻かれた卵焼き、味の染みてそうな煮物、色合いや栄養価が考えられた和え物などなど。

 それに白米の上には鶏そぼろが乗っかっていて、あまりも豪勢だ。


 神楽坂 未琴の手作り弁当というだけで、きっと国宝級の価値がある。

 けれどそれがしかも、俺のために手間隙をかけ、全て好物で満たしたものとなると、もうこの命に変えてもまだ足りない神の宝物ほうもつのように思えた。


「うまそう……」

「美味しいよ。君のために作ったからね」


 思わず感嘆の声を漏らしてしまった俺に、神楽坂先輩は微笑む。

 淡々とした言葉ながらもその口振りは柔らかく、なんだか親愛を感じる。

 そんな彼女にトキメキそうになりながら、俺はなんとか疑問を口にした。


「どうして、俺の好きなものを知ってるんですか?」

「私が君の好きなものを忘れるわけがないでしょ」


 答えになっていない答えを柔らかく口にする神楽坂先輩。

 余計に疑問が増えるばかりだったけれど、「ほら食べよう」と言う先輩の言葉には逆らえなかった。

 食べるのがもったないと思いつつ、こんなうまそうな弁当をずっとお預けできるわけもなく、俺は大人しくご相伴に預かることにした。


 弁当は見た目の期待を裏切らず、どれもめちゃくちゃ美味かった。

 何がどうとリポートする余裕がないくらい何もかもが絶品で、これが俺のために作られたものだと思うと胸がいっぱいになった。

 夢中になってがっつく俺を神楽坂先輩は静かに眺めて、水筒からお茶を出して渡してくれたりして。

 甲斐甲斐しいその振る舞いに、俺は色んな疑問も吹き飛んでしまって、ただただ幸せに包まれた。


 と、ぬくぬくとした空気に飲まれてる場合じゃないと気が付いたのは、弁当食べ終わってしまった後のことだった。

 こんな嬉しいものを無視できないのは当たり前だとしても、そろそろ色んな疑問を明らかにしないといけない時だ。

 しっかりと「ご馳走様でした」を言ってから居住まいを正すと、俺は隣で既に食べ終えていた神楽坂先輩に向いた。


「……あの、神楽坂先輩」

「なぁに、尊くん」


 ど緊張してる俺と対照的に、先輩は飄々と応える。


「しっかり弁当食べ終わってから何ですけど、唇を奪った責任ってなんですか? 俺、そんなことした覚えないんですが……」


 夢だか妄想の中だかではした気もするけど。


「したよ。それはもうしっかりと。でもまぁ、君は覚えてないのかな」


 俺が尋ねると神楽坂先輩は薄く微笑む。

 俺に自覚がないことを責める素振りはない。

 ゆったりとした、けれど揺るがないしっかりとした瞳が俺を捉える。


「昨日だよ。校庭でぐったり倒れてた君を、私がこう膝枕してあげて、声をかけたらさ。君が『ねぇ、ちゅーしようか』って誘ってきたんだよ」

「………………え?」


 とんでもないことを淡々と言ってのける神楽坂先輩に、俺は間抜けな声を出すことしかできなかった。

 確かに昨日の俺は放課後に具合悪くなって……でもフラフラでどうやって帰ったのか覚えてなくて……。

 そう頭を捻った瞬間、あの夢の光景が急に鮮明に思い起こされた。


 俺の頭を乗せる柔らかな太ももの感触。

 覗き込んでくる神楽坂先輩のご尊顔。

 そして、交わった唇の感触────


「あれ、夢じゃなかったのか!?」


 いや、未だに実感は湧かない。

 感覚的には、朧げだった夢の内容が鮮明に思い出されただけだ。といっても、本当にそのシーンだけの話。

 けれどその内容は今彼女が口にしたものと一致していて、もう訳がわからない。


「大丈夫、私はしっかりと覚えてるから。君は私の唇を奪った。だからその責任をちゃんととってねって、そう言ってるの」

「な……いや、えっ…………?」


 動揺する俺とは対照的に、いやに冷静な神楽坂先輩。

 百歩、いや百億光年ほど譲ってあの夢が現実に起きた出来事だったとして。

 俺は決して先輩に対して、「ねぇ、ちゅーしようか」なんて堂々とした申し出なんてしていない。

 朦朧としていた俺が吐き出せた言葉なんて……。


 もしかしてこの人、「熱中症」を「ねぇちゅーしよう」に聞き間違えるという、ベタすぎる間違いを犯したのか?

 小学生レベルとももはや言えない、おふざけの言葉遊び。

 俺の言葉がおぼついていなかったからと、そう聞き間違えて、しかもそれを受け入れたと!?


 そんなことって実際あるのか? でもあるからこその今なのか? いや、俺は盛大にからかわれているのか?

 ただあのキスが現実の出来事だったのだとすれば、聞き間違いだろうと勘違いだろうと、先輩は俺としてもいいと思って唇を許したというわけで。

 つまりそういうことで、俺に責任を取れと、そういう理解でいいのか……?


 目を白黒させ、ダラダラと汗の止まらない俺。

 淡々と穏やかな笑みを張り付けている神楽坂先輩。

 彼女はただ、俺に柔らかな言葉を向ける。


「私たちはもうキスをした仲なんだから、こうして一緒にお昼を食べるくらい普通のことでしょ? そのくらいの責任、ちゃんととってもらわなくちゃ」


 確かに俺は、女子から健気な恋心を向けられるような恋愛をしたいと思ってた。

 自らアプローチをする勇気のないヘタレな俺に、はっきりと好意を向けてくれる女子の存在を求めてきた。

 けれどこれはなかなかどうして、平凡な学園ラブコメにしてはデンジャラスすぎないか?

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