第4話 七月七日
「あ、いや別に考え込んでいたわけじゃないですよ」
そう言って、ジントニックを手にとってグビッと飲み、手についた結露をシャツで拭いた。
知り合いのように話しかけてきたが、知っている顔ではない。いや、むしろ顔すら見ていないが、知り合いでないことはわかる。
しかし、知らない人に話しかけられたからと驚くほど、俺も野暮ではない。
「あそこのお兄さんに“あっちに深刻な顔しているヤツが居るからレスキューしてきてくれ”って言われてね」
その女性はケイの方を指差した。
「今日は君のお祝いなんでしょ?その主役がなんでそんなつまんなそうな顔してるの?」
「いや、つまんなくないよ。ただ、こういう場所があんまり得意じゃなくて」
別に苦手なわけでもないが、なんとなく誤魔化すように言った。
「得意じゃないのにみんなに流されてきたの?」
「いや、別にそういうわけじゃないんだけど・・・」
話しかけられてから、きちんと顔を見ていなかったが、よく見るとその女性はとても綺麗な顔をしている。
タイトなドレス姿からスタイルの良さを感じ、姿勢が良いもんだから、見るからに育ちの良さを感じた。
その容姿は、こんな雑踏の雰囲気には不釣り合いで、騒がしい店内にポツンと一人で居る俺と、どこか共通点があるように感じた。
話し方や態度からして、少し歳上な気がする。
「お祝いって、なんのお祝いなの?」
そう聞きながら、彼女は持っていたグラスをテーブルの上に置いた。
「大会で優勝したお祝い」
細かく説明しても興味はないだろうと思って端的に答えた。
「優勝ってすごいんじゃん。おめでとう」
と言って彼女はグラスを持ち上げた。
俺も「どーも」と言いながらその乾杯に答える。それでも明らかに彼女が興味ないのは言葉のトーンから察せられる。
俺が実際に大会で勝ってから、何度となく色んな人から「おめでとう」と言われてきたが、どこか違和感を感じていた。
実際に冷めていたのは俺の方で、「どうせお前らにはわからないだろう」と思っていた。
一口に「優勝」と言ってもそれはピンからキリまである。地域のソフトボール大会でする優勝とオリンピックで優勝するのとではワケが違う。
同業の救助隊員ならまだしも、一般人に理解してもらえるとは思っていない。それは同じ消防職員に対してもそうだった。つまり競技をやったことのない消防職員に、俺達救助隊員のツラさが分かるとは思っていなかった。
“救助大会で優勝する”ということが、どれだけ大変なことなのか、それは自分達にしかわからない。それはどうしても変わらない事実で、それを分かち合える者は一緒に競技をやった者しかいない。
世界中のアスリートが抱えるだろう孤独を、俺も懸命になって感じていた。
懸命に感じているフリをした。
そうでなければ、自分が何かに溺れてしまうような気がして。
それでも彼女は、そんなぶっきらぼうな答えしかしない俺から離れなかった。
「なんかさ、つまんないよね。ここ」
彼女は何か物欲しげに呟いた。
「お姉さんは誰と来たの?」
そう聞くと彼女はまたケイの方を指差した。
そこにはケイや後輩たち数人と一緒に飲んでいる女の子が三人ほど居た。
「同僚?」
「うん。後輩たち」
「一緒に飲まなくていいの?」
俺がそう聞くと、彼女は俺の顔を覗き込みながら聞き返した。
「君こそいいの?」
「俺は・・・」
と言いかけたところで彼女は自分のグラスと俺のジントニックを持って、みんなの方に向かっていった。
「名前なんて言うんですかー?」
渋々、彼女に連れられて混ざった集団の中で、俺は少しの間、話題の中心になった。
「村下です」
「お前さ、女の子に名前聞かれて名字で答えるヤツいるかー?」
ケイにツッコまれて、すぐさま言い直した。
「蒼汰!」
やる気の無さを隠すために苦笑いをした。
「え?じゃあソウくんて、レスキュー隊なんですか?」
「そうだよ!今はこんなんでも仕事のときはオッカナイ顔してすげーんだから!」
俺の代わりに余計な部分を付け足してケイが答えた。
「え、すごーい」
と女の子の一人が言ったとき、一瞬だけ眉間にシワを寄せてしまって、それを彼女に見られた気がした。
(だからなにがすげぇんだよ)
そう思いつつも、「いやいや」と誤魔化して下を向いた。
話題の中心に上がるのが嫌なのはケイもわかっている。それでもケイは俺を話題の中心にした。
それが何故なのか、俺にはわからなかったが、ケイは必死に俺を持ち上げた。
「コイツ、こないだあった救助大会ってので優勝したんだー!すごいよなー」
そう言ったとき、一人の女の子が食いついてきた。
その子はハイヒールの彼女とは違って、スポーティーな格好をしていた。容姿は“綺麗”というよりは“可愛い”雰囲気を身にまとっている。
「救助大会って、レスキュー隊の人達がロープ登ったり、渡ったりするやつですか?なんかYoutubeで観たことあります!」
「そうそう!で、コイツはその大会で優勝したってわけ!」
「えーすごいですね!どんな競技をやっていたんですか?」
最初はケイと話していたその子も、完全に俺の方を向いて話している。
そんな状態になってまで無視できるほど、俺も冷めているわけではない。少しの間、話をした。
「なんか動画とかないんですか?」
「いやあるけど・・そんなに興味ないでしょ・・・」
「そんなこと言わずにさ、見せてあげなよ!あ、いいやいいや!俺が持ってるわ!」
そう言いながらケイが割り込んできて、ポケットからスマホを取り出し、動画を探し始めた。
「あ、コレだコレだ!ほら、カッコいいっしょ?」
ケイは周りのみんなにも見せ始めた。
「えぇー、カッコいいー」
という溜め息のような感心する声が聞こえる。
俺は恥ずかしさから、中身の無くなったジントニックをしきりに飲み干した。
もちろん女の子から「カッコいい」と言われて嫌なわけない。言われれば悪い気はしないが、それでも何故か今日だけは、斜めに構えてしまう。
「あれ?中身ないじゃん。注文しに行こっか」
素晴らしく完璧なタイミングで、ハイヒールの彼女が俺を誘い出した。
「ありがとう」
俺はあえて主語を抜いてお礼を言った。
「ダメだよ。女の子の前であんな態度」
彼女はそう言いながらも、どこか嬉しそうだった。
俺たちは会計カウンターに並んだ。順番がきてそれぞれ注文する。
「ジントニック一つと・・・何にする?」
そう聞くと「じゃあ同じので」と答えたそこに変なあざとさがなくて清々しかった。
グラスを受け取ってみんなの居るテーブルに戻ろうとしたとき、背中に声をかけた。
「ねぇ、名前なんていうの?」
彼女は振り返ると、ニヤリとしながらこう答えた。
「興味あるんだぁ」
俺は顔のパーツをクシャッと中心に寄せながら悔しそうに笑った。
「いのり。”祈る”に織姫の”織る”で”祈織”」
そう言ってテーブルに戻っていった。
スカートがなびく彼女の後ろ姿を見ながら思った。
(そういえば今日は七夕だったな)
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