7F:魅惑の深夜

どうしよーもない時ってあるよね。


そう言って君は笑った。


「どーしようもない時ってある。例えば夜中にお腹が減った時」


やかんを火にかける音がする。彼女の声は換気扇の回る音にかき消されるほど小さかったが、きっとこう繰り返したのだろう。


しょうがない、しょーがない。


彼女の小さな体が流し台の前にしゃがみ込む。体調不良かと心配することもなく僕がソファに座っていると、耳に届くのは何かを探す音。きっと、ウサギのような耳だったらピョコピョコと嬉しそうに揺れていただろう。そう思うのは彼女の「あった!」という声が喜びに満ち溢れていたからだ。


飛び跳ねた体は僕の方へ向き直り、自信満々に小さな両手で掴んだカップラーメンを見せつける。にんまりという表現が似合いそうな笑顔に、僕は苦笑をこぼすと


「ねぇ、僕お腹減ったなんて言ってない」


「どーせ減るよぉ。わたしがいい匂いさせて食べるんだもん」


共犯者になりましょ、と今度は悪戯いっぱいの笑顔。それは昔、放課後の教室で巡回の教師から隠れた時と似ている。教卓の下に僕が隠されて、君は教壇の死角に隠れて。敵がいなくなった後に笑い合って軽いキスをしたあの日のそれ。


やかんに振り回される君がピーという警笛音に慌ててコンロを止めに行くのを見守りながら、思う。そういえば、君はいつだって僕を巻き込む天才だった。だったら今日もしょうがないのかもしれない。


カップラーメンの蓋を開ける音、お湯が注がれる音。コースターを重石として蓋を封じた君は、箸を二膳持って自信満々にこちらへ歩いてくる。


僕の座るソファより少し低いテーブルに置かれる二つのカップラーメン。今から三分ね、と言われるまま時計を見れば深夜の二時だ。


「こんな時間に食べたらやばいよ」


「お腹減ってる方がやばいよ。お腹減って寝れる?」


「寝れないようなことすればいいじゃん」


「それこそ明日の朝めっちゃお腹減るよ?」


えっち、と自分の体をわざとらしく抱きしめて口先を尖らせるのはやっぱりウサギみたいな愛くるしさだ。笑いながらメガネをかけなおした僕は、ごめんと柔らかいキャラメル色の髪を撫でる。


彼女に近づけば、テーブルのカップラーメンの匂いが鼻についた。僕は参ったなぁ、と一言。


「お腹減ってきた」


「でしょー? わたしはいつだって正しいのよ」


「ほんと、そういうとこ天才だよねぇ」


「バカにしてる?」


「してないしてない。大好きだよ」


「へへ、わたしも大好きだよ」


珍しく恥ずかしげに笑う彼女が愛おしくて、キスしたくなったけど今は我慢しよう。


カップラーメン味のキスだって、君となら構わないから。

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