7F:上り月には麦酒を添えて

夜風に吹かれながら缶ビールも良いものだ、と幼馴染はスーツネクタイを緩める。対して俺は、ダボついたカーディガンの裾を引き伸ばして缶ビールの冷たさから掌を守っていた。


上弦の月が空に浮かぶ。空気のいい土地なら見えるだろう星は、此処にはない。代わりに輝かしい夜を演出する街頭は眩しすぎてかなわない。俺が眉間に皺を寄せながら眼鏡を掛け直していると、隣の幼馴染はいつでもどこでも変わらないのんびりとしたトーンで


「月が綺麗ですねぇ」


「本当に」


「満月だともっとよかったかもね。これなんて言うんだっけ……上弦、下弦?」


「上弦の月だよ」


「そうそう。さすが物知り。……ところでさぁ」


大の男ふたりが腰掛けている木製ベンチの軋む音がする。空気が動いた気がして俺が目を向けると、幼馴染は先程開けた缶ビールを早々に煽り飲み


「今日何で呼び出したの?」


「あー……いや、うん、まぁ」


返事に困った俺は静かに視線を外す。ついでにカーディガンの裾をこれでもかというほど伸ばし、繊維の柔い感触で遊び始めた。缶の中でビールがたぷんと揺れて独特な匂いが鼻につく。顔を下に傾ければ眼鏡がずれる。それも直すことなく、俺はただ言葉を探す。


「久しぶりじゃん? 最近お前も俺も仕事忙しかったしさ。だから近況報告というかーー」


こんなの嘘だ。悪いが、今の俺にはお前の話を聞く余裕はない。ただ、俺の話を聞いてほしい。


「最近仕事どうだった? 俺、本の整理で全身バッキバキでさぁ」


これも嘘だ。俺のしたい話はこれじゃあない。俺がしたいのはもっと違った話で


「……悪い、やっぱり何でもない」


「ーーふぅん」


こんな自己中な俺に「ふぅん」の一言で納得し、十数年一緒にいてくれている幼馴染は優しすぎる。そしてそれに甘える俺はクソすぎる。


「まぁいつでも呼んでよ」と、幼馴染の手が優しく背中を撫でてくる。いつの間にか俺より大きくなっていた手。それに俺は返す言葉が見つからず、ただひとつ頷くことを返事とした。


月は真上に昇っている。奴はこれから夜明けへ向かい落ちるだけだ。一方の俺は成長しなきゃいけなくて、焦るようなため息を一つこぼせばゆっくりでいいんじゃない? と全てを見透かしたような声。


ビールの泡は抜け始め、ただの琥珀色の不味い液体と化している。酒でも時間でもなく、幼馴染にだけ救われたそんな夜だった。

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