1F:憂の君

「ぬーーーーん」


「なにその声」


開店準備途中で飽きたらしく、ポケットから取り出したシャーペンを鼻と上唇の間に挟んだ青年は質問に顔を上げた。サイドの髪だけ長い不思議な髪型の金髪だ。水を受けた石のように輝く黒い瞳を瞬かせると


「新しいネイルが出るんすけどね〜。発色がどうなのかわからなくって。欲しいんすけど、そういうのって手。出し辛いじゃないっすか」


モップの上に手のひらを重ねてから顎も乗せる。穏やかな空気感、厨房で鳴る食器音とフロアに響くクラッシックに合うわけのない行為だった。次いで口先を尖らせた事実を加えても、この青年が十九歳とはとても思えないが、この幼さが彼の魅力だから止めはしない。代わりに開店準備をしていた俺の手を一旦止めて


「相変わらず好きだねえ」


「はい。俺、ネイルは好きなんで!」


「そういえば何でそんなに好きなの?」


「んー……まぁ、いくつか理由はあるんすけどぉ」


一馬センパイに伝えやすいのは〜……と悩み出す姿を眺めながら、俺に言えないきっかけがありそうな雰囲気に内心ショック。そこそこ仲がいいと思っていたから余計にだ。俯けば後輩より色素の薄い俺の金髪が入り込んできて、鬱々とした気持ちに合わない光色を掻き上げた。


おでこが爽やかな夏の風を掠めた時、後輩はそうっすねぇと呟いた。今度はこちらが顔を上げれば、デコ出しの俺を見た彼は髪がぐちゃると声をあげて笑い出す。ひとしきり笑った後、彼はモップから顎を離し


「あー……で、何でしたっけーーあぁ、ネイル好きな理由か。だって、人に直接お絵描きできるって楽しいでしょ?」


「他のは教えてくれないの?」


「……もしかして拗ねてます?」


「うん、餅が焼かるかもしれない」


「え〜……面倒くさいセンパイだなぁ……つーか話してたら買いたくなった……やっぱ買ってくるんで、明日練習台になってくれません?」


センパイが第一号っすよ、と店内で一、二を争う人気の彼に悪戯っぽく笑われると嫌な気はしない。だって一番、何って一番……我ながらチョロすぎやしないか?


掻き上げていた手を下ろし、誤魔化すように前髪を整える。金髪の隙間、小首を傾げて満足そうに返答を待つ後輩に


「派手な色じゃなければいいよ」


「あざーす! 偏光ラメの黄色なんで大丈夫っすね!!」


「派手だなー?」

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