RF:鵺カンシオン-close-
夕刻と気づいたのは、西日が店内に差し込んでいたからだった。そろそろ閉めようという店主の言葉へ返事もそこそこ、梅染あいわは店番の丸椅子から腰を上げる。
コーヒーと紅茶、そして古本の匂いが混じり合う古ぼけた内装のこの店は、何処か祖父母の家のような懐かしさを醸し出している。懐かしく、穏やかで、一息つくことのできる空間。
線香の香りも混ざればより近い、と店主が言っていたのを思い出す。墓地横を通れば嗅げるあの匂いを、生者の家の印象に持ち込むのはどうなのか。それだけの人が亡くなってきた家ってことかしら、なんてことを考えるあいわという少女は至って他人事だ。
「鵺カンシオン」と書かれた、わざと古びた加工のなされた立て看板を持ち上げる。女子の腕力でも問題のないこれを抱えながら、真っ赤なバレエシューズの側面で重石を避けていた時
「おねーちゃん、なんでかげないの?」
後ろからの不思議そうな声に、動きが止まった。
振り返った梅染あいわという少女は、看板を地面にもう一度下ろす。音を立てないように、慎重に。その先にいる黒髪に黒目の男の子は絵に描いたような典型的な幼児だ。家族の誰かが連れ立って出かけるような年齢の子。
あいわと少年、立て看板。西日がこの三者を照らす。少年と立て看板。二者の影だけを地面に引き伸ばしながら。
同じように西日を受けているあいわの足元に影はない。彼女はそれを確認するように子、看板、自分の足元へと視線を動かした。何度確認をしても現れない紺色の影を追い求めるように、本来あるべき位置に視線を落としながら
「ーーこの歳になると影なんてなくなるのよ」
「うっそだぁ。うちのおにーちゃんかげあるもん」
「それはお兄さんがまだまだなの」
「おにーちゃんつえーのに?」
「ええ。強いお兄さんでもまだまだよ」
早く帰りなさい、とひとつ小言を付け足したあいわは静かに目を閉じる。先程の思考を思い出し、何だかおかしくなった口元を緩めながら
「お兄さんのために線香を焚く日に、わかるわよ」
理解できていない子が尋ねようとした時、遠くから男性の声が響く。子の肩が飛び跳ねたことから察するに、父親か件の兄か。小さな足が挨拶もなしに駆けていく後ろ姿を眺めてから、あいわは視線を地面に戻した。
そこには長髪の少女ーー梅染あいわの影があった。
「あいわ。看板下げた?」
店先から顔を出した店主が名前を呼べば静かに上がる顔。あいわはおろしていた立て看板を再度持ち上げ
「ええ。これくらい棗がやればよかったじゃない」
「明日はやるから。ありがとう」
棗と呼ばれた店主が苦笑するのを背に嫌味を吐きながら、やけに真っ赤なバレエシューズを西日に晒して店内へ戻っていく。
此処は鵺カンシオン。
不可思議が、店主さえ騙して働く店だ。
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