B1F:鵺カンシオン-open-

「あっ、桔梗」


「何言ってるのかしら」


「君の髪、それ。桔梗でしょ」


「……私の髪に桔梗を挿した覚えはないわ」


「埒があかないな。簪抜いてもいい?」


「お好きにどうぞ」


古びた店内で、彼女の素っ気ない言葉に甘えて簪を抜いた。金色の一本串が漆黒のまとめ髪から抜け出し、怪しく黒い海を波打たせる。


指揮棒のように振っていれば静かに見上げながら睨みを効かせる彼女の目。手を止めて金属頭の装飾部を見せれば、青と黒の瞳がほんの少し爪先立ちをして覗き込んだ。


自分より低く、染色の跡のない真っ黒な頭がひょこりと動く。いくらクーラーが効いてるとはいえ真夏の昼にあたる今時分、真っ白な長袖シャツに茶色く重たい素材のスカートという格好は暑くないのだろうか。


「どこが桔梗なの?」


「……ん、ほら。模様。桔梗っぽくない?」


餌を吟味する猫のような彼女の目や声に引き戻され、反射的に返答する。細めた右目の青色に近づく目尻の黒子。十秒ほどキープされたその位置は、「あぁ」という彼女の声と共に解れた。


「この星みたいな幾何学模様ね。あと中が紫と白だから?」


「そう。だから桔梗」


簪を指先で回せば、でんでん太鼓のように揺れる大きな飾りと下に繋がったビーズ暖簾。彼女の言った通り、金に縁取られた幾何学模様の花の中には紫と白のプラスチックかガラスが彩っている。男の自分にもわかる、高級そうな一品。


「これどうしたの?」


いつもは、トレードマークと言っていいほど大きな赤いリボンで長い髪をひとつ結いじゃないか。そんな説明じみた台詞はあえて言わなくても伝わったようだ。彼女は見上げていた視線を逸らし


「今日は暑かったから。まとめたのよ」


「その格好で説得力ないね」


「格好と髪はまた違ったものなの」


男の貴方にはわからなくて結構。吐き捨てるように言いながらメモとペンをポシェットから取り出し、背を向ける様は人に媚を売らない野良猫のようで好感が持てた。のんびり、人に合わせるのが下手と言われる自分とはペースの合う少女だ。


そのまま勝手に離れていくはずの背が止まる。何か忘れ物だろうか。別に緩い経営の店だから気にしないーーと先走る思考を切るように


「私、桔梗の花言葉嫌いよ」


突然投げかけられた、予想の斜め上をいく独白に目を瞬かせた。ズレたレンズ位置を直した後、何の動揺もない風を装って質問をする。


「へぇ。なんで?」


「この世に変わらない愛なんて存在しないから」


見返り美人は言葉を続ける。浮世絵と同じ、赤が似合う艶やかで不思議な魅力の少女は


「だってそうじゃない。貴方、桔梗みたいに生きられる?」


だからこれはまた仕舞い込むわ、と締めの言葉。


自信はないね、と返す自分の声に落胆はない。何故って、彼女ーー梅染あいわがどんな髪型だろうが、仕事さえこなしてくれれば構わないのだ。


「生きられないね。ところで在庫って後どれくらい?」


「それを確認しにいくのよ。もうちょっと待ってて頂戴」




【桔梗(キキョウ)の花言葉:永遠の愛、変わらぬ愛、気品、誠実】

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