悲劇の顛末
目を醒ますと、無機質な白い天井が見えた。
辺りを見回そうと首を動かそうとするも、固定されているようで動けない。
(どういう状況だよ)
心の中で毒づいた。
取り敢えず身体の感覚を確かめてみる。
右手……動かしにくい
左手……動く
右脚……感覚すらない
左脚……動く
利き半身が動きにくいな。不思議な感覚だ。不自由さと、ほんの少しの恐怖心がある。
もぞもぞと左手を動かし、感触だけで色々物色してみる。
(何も無いな。ベッドの中か?)
突然布団から手が出た。手を伸ばして周りも確認する。
手は空を切っていったが、ある時何かに触れた。
(なんだこれ。サラサラしてる。若干湿ってるし)
手を戻し、思考を巡らせる。
(今のはなんだったんだろう。いやまずここはどこだろう)
分からない。僕がどうやってここに来たのか。何故僕はここにいるのかさえも。記憶を辿ってみても、思い出せるのは晩御飯まで。
意味が分からい。僕はここで何をされていたんだ?
そんな時、僕の左側で何かが動く気配がした。誰かが僕の顔を覗き込んでくる。
「え、あれ? 起きてる? 起きてるか流石に。こんなに目最大まで開けて寝られないよね普通……あ、ナースコール押さなきゃ!」
慌ててナースコールを押しているのは響音だった。
「あ、私のことわかる? 高城響音。隣の席の」
分かる。
そう言おうとしたが声が出なかった。
「もしかして声が出ないの?」
首が固定されているから頷くこともできない。
「まぁ取り敢えず、もうすぐお医者さん来るから待ってよ?」
そして気付いた、僕が今いるのは、病院の一室だという事に。
***
ドタバタとたくさんの足音が聞こえる。医者が来たのだろう。
「響音!どうした」
野太い声が聞こえる。かなり焦っているらしい。
「憐くんが起きたんだよ!」
透き通った、僕がずっと聞きたかった声が部屋に響く。
「憐くん。起きたのか?」
医者は僕に尋ねた。だが答えられない。
そこで彼女のフォローが入った。
「お父さん。憐くんは声が出せないみたい」
フォローはありがたいが、何かが引っかかった。
(お父さん?)
「そうなのか。じゃあそうだな……手は出せるか?」
言われるがまま左手を布団から出す。
「OKだ。じゃあ簡単な質問をしていくから、YESなら手を握って。NOなら手を開いて」
僕は手を握る。
「うん。物分かりがいいね。まずは、憐くんは今状況を把握できている?」
手を開く。
「そうか……次。声が出ない以外に体に異常はある?」
手を握る。
「なるほど……レントゲン撮る必要があるか。次。記憶は正常?」
分からない。飛んでいるなら尚更分からない。だからピースしてやった。
「どうしたんだ? あ、もしかして分からないのか?」
手を握る。
「なるほどな……じゃあ次が最後の質問。憐くんは自分に何があったのか知りたいか?」
迷いはなかった。今すぐにでも帰りたい。だから強く手を握った。
「分かった。席を外してくれ」
首の固定が外れると期待したのだが、ガタガタと椅子を引く音が聞こえ、リノリウムの上を歩く音が聞こえた。なるほど、そっちだったか。
「さて、憐くんには少しショックが大きいかもしれない。心して聞いてほしい」
僕はもう一度手を握った。
「憐くん、君はね……マンションの三階から、つまり君の部屋のベランダから落ちたんだ。警察が捜査したが、他者の介入はないと判断された。そこから考えられたのは、自殺だ。憐くん自身は何か悩みを抱えていたのか?」
全く身に覚えがなかったので手を開いた。
「そうか。落下した原因は思い出せる?」
手を開き続ける。
「そうか……今日から暫くは警察が来るだろう。覚えている限りでもいいから、話してくれ。筆談とか出来ると良いのだが……まずはベッドを立てよう。上半身を起こすよ?」
手を握る。
少しカチャカチャと何かを操作する音が聞こえた後、上半身を支えるベッドが立ち始めた。だんだんと部屋の全貌が見えてくる。
ベッドの左側に医者が座っていて、その後ろには引き戸式の扉。右側にはとても小さな窓がある。小鳥が一匹通るのがやっとの、小さな覗き窓だ。飛び降り自殺を目論んだのかもしれないのだ。妥当な判断だろう。
「さて、これで筆談できるか?」
と言いながら、スケッチブックとボールペンを渡してきた。それを受け取る。
利き手でペンを掴もうとするも、痺れたような感覚があり、うまく掴めない。
仕方ない。左手で書くか。取り敢えず名前を書いてみる。
***
駄目だ。何度書いても読めるような文字が書けない。
居た堪れなくなって医者を見る。
「聞き手は右か……上手く動かせないんだね?」
僕は手でマルを作った。
「リハビリをしてみようか。手を握ったり、開いたりするだけでいい。やってごらん」
右手を広げようとする。だが思うように開いてくれない。ほんの少し開いただけで、指先は曲がったままだ。
今度は握ってみる。こちらもあまり握れない。右手の力を抜いている時の方が小さく、グーに近い。
「やはりまだ難しいか。まぁそうだろうな。頭を強く打っているから、脳の機能が一部欠損していてもおかしくない。勿論できる限りのことはするが、正直完全回復の見込みはほとんどない。余命、なんて言葉は使いたくないが、そう長くは生きれない、ということだけは知っておいてくれ」
ショックはなかった。言ってしまえば、感じたのは「安堵」だ。やっと死ねる。そう思えてしまった。
「さて、私はそろそろ戻らせてもらうよ。また何かあればナースコールを押してくれ。すぐに駆けつける。分からないことだらけで不安だろうが、すまない。それは私の管轄外だ。希望するならメンタルケアの先生をつけるが、どうする?」
手を開いてみせた。
「そうか。では戻らせてもらうよ」
そう言って立ち上がり、部屋から出て行った。
そして入れ違うように響音が入ってきた。
「大丈夫?」
椅子に座るとすぐに問いかけてきた。左手でマルを作ってみせる。医者にした時より少し恥ずかしいのが不思議だ。
「そっかそっか良かったぁ」
彼女は心から安堵したような顔をしてくれた。好きという感情を再確認できてしまうほどの。
しかし今はそれどころではない。まず何故彼女がここにいるのかを知りたい。だが字が書けない……お預けか。字の練習しないとな。
ふと彼女の服装に目がいった。彼女がきているのは僕らの学校の制服だ。時間を確認すると午後1時。普通ならこの時間は授業中だ。ここに居てはまずい筈では?
でも聞けない。彼女とまともに会話もできない。何故飛び降りなんてしてしまったんだ。
二人の間に沈黙が流れる。チラチラと彼女の視線は感じるのだが、何も話しかけてこない。でもこんな時間ですら、僕は愛おしいと思った。
***
彼女と二人きりになって沈黙が続くことおよそ10分。彼女は流石に居心地が悪くなったようで
「じゃ、じゃあ私、そろそろ学校戻るね。またお見舞いくるから! あ、何かお見上げ持ってくるよ!」
僕が微笑むと彼女も笑った。
「ばいばい!」
威勢の良い別れの挨拶を部屋に響かせて、彼女はドタバタと部屋を飛び出していった。
静まり返った部屋で、何をしようか考え始めた頃、一度離れていった足音が戻ってきた。
勢いよく開かれた扉の前には予想通り彼女。
「ごめん言い忘れてた! 憐くんの宿題とかやっておいたから! 引き出しの中に手紙とか入れといた! 迷惑だったらごめんね! じゃあ行ってくる!」
彼女はまたドタバタと廊下を駆けていった。
「ふふっ」
思わず笑みが零れた。しかも声が出た。これ幸いと独り言を呟いてみる。
「元気な人だな」
ちゃんと声が出せた。少し
左手でベッドの側面にあるナースコールを探す。お、あった。
目の前に持ち上げ少し物色した後、ナースコールを強く押し込んだ。
医者がドタバタと駆けてくる。
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