最後の夏祭り
入院して一ヶ月。
この一ヶ月でどっと疲れた。
警察に問い詰められ、カウンセラーに自殺志願者だと思われ、地獄のリハビリもした。いっそ話せない方が楽だった。
自殺容疑も無くなり、僕は大きな窓のある部屋に移してもらった。やはり外を見ていたい。
相変わらず右半身は動きにくい。感覚すらなかった右脚は感覚は戻ったものの、上手く動かせない。
話せるようになったことで筆談も必要なくなった。声が戻ったのは、あの時彼女が笑わせてくれたおかげだ。
そういえば今日は彼女が来るんだっけ。今日と言っても別に久しくないけど。昨日も来てくれてた。
彼女は僕の方が心配になるほど毎日見舞ってくれている。申し訳なくなるほどお土産もくれる。毎日のように彼女が持ってきた果物を食べている。どこからそんなお金が湧いてくるのかは謎だけど。
窓の外を見る。丁度彼女が病院の敷地内に入ってくるところだった。何やら大きな鞄を持っている。何を持ってきたのだろう。
ふと視線を上げた彼女と目が合った。大きく手を振る彼女に手を振り返す。すると彼女は笑った。遠くからでもわかるほどの満面の笑みで。
再び歩き始めた彼女を眺める。彼女が居るだけで、つまらない病院が楽しくなる。毎日来ている所為で、看護婦さんの間で変な噂が広まっているが。
でも普通に考えれば異常だ。ただの隣の席の僕にここまで手を焼く必要がない。もしかして彼女は僕の事を……なんてな。そんな訳ないか。彼女の事だ。世話せずにはいられないのだろう。まぁ彼女のおかげで、僕は医者が驚くほどの回復をしている訳だが。
でも昨日余命宣告を受けた。体の異常は治りつつあるが、脳腫瘍があるらしい。当たり前だけど。頭から落ちたんだ。頭蓋が割れてないだけで奇跡。落ちた衝撃で血管が傷付いたらしい。実感はないが、もうすぐ破裂するそうだ。それが人生終了の合図。破裂した日のうちに死ぬ。不思議と恐怖心はない。彼女がそばに居てくれるから。
ガタガタと部屋の扉が開かれ、彼女がやってくる。いつも通りの笑顔で。
「おっはよー」
相変わらず元気が良い。
それもそうか。今日から夏休みだもんな。
彼女が抱えている大きい鞄の中身を聞いてみる。
「おはよ。今日は何持ってきたの?」
すると彼女は得意げに笑った。どうやら秘密らしい。
毎日会っているうちに意思疎通が取れるようになったのか、笑い方で彼女の気持ちが読めるようになってきた。我ながら気持ち悪い。でもそれは彼女も同じらしく、僕らは何となく相手の気持ちを察せるようになった。
ガサゴソと鞄を漁っていた彼女は欠伸をしながら勉強を始めた。夏休みの宿題らしい。ペンが走る音と、二人分の呼吸音、心電図の単調な音がが病室に響いている。
時々彼女は質問をしてくる。質問の傾向的に関数が苦手なようだ。数学が得意な僕はなんとか教えられる。
しかし彼女の成長速度は凄まじい。昨日出来なかった問題が、今日には完璧に解けている。夏休み明けのテストの結果が楽しみだ。
暫く外を眺めていると、なんだか眠たくなってきた。彼女に断って目を瞑る。ご機嫌な彼女の鼻唄に合わせて意識が遠のいていく。
僕はゆっくりと微睡みに呑まれていった。
***
大きな鏡の前に、
またやってしまった。駄目だって分かっているのに。
目の前で家族が死に、生き残ってしまった僕破滅を願った。自らを傷付ける事で、死に近付く事で、もう一度家族の優しい笑顔が見はれるのではないかと思い続けた。悲しかった時、悔しかった時、泣きたい時。どんな時でも腕に傷を付けた。でも何度血を流しても、腕がボロボロになっても、家族と会える日は来なかった。
そして僕は体を傷つける理由を見失った。それでも習慣になってしまった行動は無意識のうちに繰り返し続けた。
もう少し、あと少しと傷が深くなっていくにつれて、僕の諦観は濃くなっていった。
もう何をしたって家族とは会えない。太陽みたいに暖かい笑顔を見ることは出来ない。テストで満点をとっても頭を撫でて褒めてくれない。淋しい時に抱き締めてもくれない。なのに哀しい気持ちは膨れ上がるばかり。だから哀しさを紛らわす為に腕を切り続けた。
痛みに苦しむ度に哀しさは薄れた。根本から無くなる訳ではないが、ほんの少しの間は忘れていられた。でも腕の傷を見る度に家族を想い出してしまうから、だんだんと自傷行為自体は減っていき、代わりに空を眺める時間が増えた。遥か遠くに居るはずの家族に話しかけようとしていた。勿論返事が来る訳ではないけれど、この声が届いていると信じて。
いつもの様に空に話しかけていた時一瞬だけ、3つの星が強く輝いたように見えた。それが家族が笑ったように見えて、嬉しかった。
そう思っていると彼女に腕をつつかれた。そこからは知っての通りだ。
あ、遠くから彼女の鼻唄が聴こえる。
僕はゆっくりとしたテンポに合わせて、だんだんと目を醒ました。
***
彼女は数学を辞めて国語を始めたらしい。
唄も変わっているし、空は少し暮れかけている。だいぶ長い間眠っていたようだ。
テンポの遅い彼女の鼻唄に合わせて夢の意味を考えてみる。何故あんな夢を見たのだろう。家族の事は想い出さないようにしていたのに。
少し考えて一つの結論に達した。
そうか、死期が近いんだ。だから最後に家族が逢いに来てくれたんだ。
そう思うと涙が溢れてきた。でもこの涙は家族と逢えた嬉しさではなく、彼女と離れてしまう哀しさだろう。僕はどうしようもなく彼女に恋しているんだなぁ。
彼女に見られないように涙を拭く。
その音で彼女は気付いたようだ。
「おはよぉー」
間延びした声で挨拶してくる。彼女も眠いらしい。
「おはよ。頑張るねぇ。まだ一日目だよ?」
率直に思った事を言ってみる。彼女は少し驚いた様子で答えた。
「んーまぁね。でも最初の一週間で終わらせちゃえば後が楽でしょー? みんなそんなもんじゃないの?」
そんな人本当にいるんだ。僕なんて毎日コツコツやって、結局時間が足りなくて最後一週間に慌てるのに。
「みんなではないね。少なくとも僕は違う」
すると彼女は軽やかに笑った。何故笑ったのかは分からないけど、僕もつられて微笑んだ。
「さぁ花火するよっ! 車椅子乗って!」
なるほど。だから彼女はいつもにも増して機嫌が良かったのか。腑に落ちた。
ノロノロと腰を浮かせて車椅子に移動する。普段は松葉杖で良いのだが、長時間の外出の時は車椅子を使っている。
車椅子を彼女に押してもらってエレベーターの箱に乗る。別に押してもらわなくても良いのだが「押したい押したい!」と
箱が屋上に到着する。この病院の屋上は広かったはずだ。屋上で花火というのも不思議な気分だが彼女と出来るなら良しとしよう。
箱の扉が開き、目の前には暗い空間が現れる筈だった。でも目の前に現れたのは裸電球によって橙色に照らされた屋台だった。驚いて彼女を見上げると、誇らしげに笑ってみせた。どうやら彼女の提案らしい。相変わらず考える事が面白い。
そうして、とても短い人生最後の夏祭りが始まった。
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