太陽

「死にたい」


 そう思ったのは何度目だろう。

 もう数え切れないな。誰かが死ぬ度、誰かが悲しむ度にそう思ってきたから。


「僕もそっちに行きたいよ」


 死んだお婆ちゃんの写真の前で何度も呟いてきた。

 この世界で自死を選ぶ人は多い。

 僕も出来るならそうしたい。でも、勇気がない。


「死にたい」


 その後に続くのは


「でも死にたくない」


 という矛盾した言葉。

 僕がこの世界から脱落して、果たしてどれだけの人が悲しんでくれるだろう。一人、二人は居るのだろうか。思い付かないな。

 そもそも僕に優しくしてくれた人や、手を焼いてくれた人が一人も居ない。

 僕の名前「憐」とは違って、哀れに思ってくれる人も居ない。愛らしくもない。目の焦点は外れ、痩せ細り、腕には数え切れないほどの切り傷。何があっても微笑むことも無く、常に落胆している。それが僕だ。

 学校では影より存在が薄く、誰にも認知されていない。家族は全員死んだ。天涯孤独の身だ。いや、そうだった。彼女が話しかけてくるまでは。


 ***


 新学期が始まり、僕は2年3組の窓際の席になった。窓際の席は好きだ。先生の話より、鳥の声を聴いていたい。

 頬ずえを付き、何を見るわけでもなく、ぼうっと窓の外を眺めていた。するとを右腕をつつかれた。

 煩わしく思いながら右に視線を送る。そこには予想通り彼女の笑顔があった。

 パッチリとした大きな目。肩まで伸びた少し癖のある髪。人気のありそうな見た目だ。

 彼女は何かを言おうと口を開き、やはり閉ざした。代わりに彼女はノートの隅に何かを書き始めた。そしてそっと渡されたノートには綺麗な文字が並んでいた。


《何をみてたの?》


 戸惑った。どうすれば良いのだろう。返事を書くべきだろうが、彼女のノートに書いてもいいのだろうか。

 そんな僕の思考を読んだように彼女は「いいよ」と小声で言った。

 僕は頷いてペンを取ったが、何を書けばいいのか分からなかった。別に何かを見ていた訳ではないから。

 彼女はペンを取って固まった僕を見て、クスクスと笑った。

 仕方ない。そのまま書こう。


《何も見てない》


 素っ気なくなってしまったが、事実だ。

 すると彼女はすぐにペンを走らせ、またノートを渡してきた。


《そっかそっか。しばらくこうやってお話してもいい?》


 変な人だと思った。隣の席とはいえ、必ずしも関わなくても良いのに。

 でも嬉しかったのは事実だ。僕を見てくれたのは彼女が初めてだったから。


《いいよ》


 その3文字を見るなり、彼女は顔一面を喜色に染めた。

 そして彼女はまた何かを書き始めた。今度は長文のようだ。


《じゃあまずは自己紹介しよっか。私は高城響音。たき ことねって読むの。覚えてくれると嬉しいな。性格は天然ってよく言われるよ》


 高城響音たきことねか。憶えた。名前で呼ぶことはほとんどないだろうが、苗字くらいは知っていた方がいいだろう。

 そしてこの流れは僕も自己紹介するのか。紹介できるものなんて何も持っていないけれど。


《僕は柏葉憐。かしわば れん。性格はよく分からないな。人と話したのはしばらくぶりだから》


 正直に書いた。どれどけ記憶を辿っても、いつ人と話したのか分からなかった。少なくとも昨年は誰とも会話していない。

 彼女は驚いて、大きな目をより大きくして僕を見た。そんなに衝撃を与えてしまったのだろうか。


《嘘だよね?》


 ストレートな言葉が返ってきた。

 でも嘘じゃない。


《いや、本当》


 すると彼女は少し顔をかげらせて


《そっか》


 と弱々しい文字を書いた。

 何か気に触れる事を言ってしまっただろうか。謝るべきか?


《ごめん。傷付けてしまったみたいだね。本当にごめん》


 取り敢えず謝っておいた。

 すると彼女は慌てた様子で首を横に振った。


《違うの。よく想い出せないけど、そう言って死んでしまった人がいたの。それでちょっと驚いただけ》


 よく想い出せないとは……それだけショックだったのだろう。少しだけでも想い出させてしまったと思うと申し訳なくなった。

 暫く沈黙が……筆談が途切れた。

 彼女は授業に聴き入っているし、僕はいつも通り蒼空を眺める。

 やはり彼女も幻滅したのだろうな。つまらないだけの僕に。

 長い長い授業の終わりを告げるチャイムが鳴ったが、僕は動くことなく窓の外を見る。

 今からお昼休憩だ。教室では幾つかの仲良しグループが集まって、談笑しながら弁当を食べている。

 僕は弁当は作ってきていない。面倒だから。学食もあるが、僕の小腹を満たす為だけにお金を使うのも勿体ない。だから何をするでもなく空を眺める。

 ぼうっとしていると、隣の席の椅子が引かれた。


「憐くん」


 彼女は小声で囁くように、でも確かに僕の名前を呼んだ。

 僕は顔を動かさずに


「どうしたの高城さん」


 と返答した。

 すると彼女は


「まさかの苗字呼び」


 と笑った。

 何を笑っているんだ。と振り返るとそこには、窓の外で輝く太陽のような彼女の笑顔があった。


 なるほど。僕は彼女に恋をしてしまったようだ。

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