本音

 独りでずっと考えていると、自分の本性に気付いた。

 案外、普通に(普通とは何かというところから本当は考えるべきではあるが)生きてきたのにもかかわらず私は、人の生き死にに対してドライな目線を持っていたらしい。


 ある日、トーク型SNSで、全員が見られる投稿に友達が書き込んだ。


「皆さんにとある報告があり書きました。私は自死を選ぶことにしたのです」


 これを見たあるグループトークは、久しぶりに活発な動きを見せた。別のグループでは、投稿者になんとコメントをするか相談しあってもいた。

 酷い言葉を投げかけるコメントが一つだけあったが、他のコメントによる批判によって削除された。

 皆が一様に、投稿者をどうやったら止められるか議論していたのだ。

 そこに私は発言を合わせ、当たり障りない意見を載せていく。しかし、私の本心は完全に投稿者を真の意味で擁護するものと確信していた。

 投稿者が真剣に考えた末の結論であるならば、それは受け入れてあるべきなのだと。


 その本音を仲間内に打ち明ければ、きっと容赦ない批判があっただろう。しかし数日後、私は自己開示の少なさを後悔した。


 結局、投稿者に誰も言葉を投げかけなかったのだ。彼女は静かに終わったのだ。挨拶をした何百人の誰からも言葉は与えられなかったのだ。

 彼女が何を求めていたのかなんて今となってはわからないが、彼女の最期の叫びは、周囲の沈黙によって幕を閉じていた。


 私は後悔した。せめて、彼女を受け入れる者がいたことを伝えるべきであったのだと。

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