17
それぞれ買ったものを手にコンビニを出た。
櫂は自転車を押して俺の横を歩いている。
自転車のカゴの中には、学校指定のナイロンの通学鞄。こんな時間にも拘らず櫂は制服を着たままだった。
「…予備校?」
「そう、今年に入ってから。言ってなかったか?」
ちらりと櫂が視線を向けてくる。
「聞いてない」
「そうだっけ」
「おまえな…」
俺は空いているほうの手で髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。暗い夜の空を仰ぐと、あー、と気怠い声が自然と零れていく。
「…だから生徒会にも来ないわけね」
「無理矢理名前突っ込まれたもんに出る義理はねえな」
「俺に対する友情は?」
「あんのか、そんなもん」
「あるわ。お返しするわ」
「要らねえ」
「ああそう」
和田に押し付けられた生徒会会長の役を渋々受けることになったとき、副会長はおまえの好きなやつを入れていいと言われ、その場で俺は櫂の名前を挙げた。本人の了承も取らずに。
確かに、櫂の事情も何もかもすっ飛ばしていた。
やった行為は和田と大して変わらない。それはよく分かっていて、櫂の言い分は正しかった。
「悪かったよ。全然知らなかった」
「別に。おまえが和田センで苦労してんのは聞いてるからな」
「……」
だったら、手伝って欲しいんだけど。
俺の気持ちが聞こえたかのように、ふっと櫂の横顔が苦笑した。
「最初に直接頼んでくれりゃよかったんだよ」
え、と俺は櫂の横顔を凝視した。
「そしたら手伝ってくれたのか?」
「するか。自分の事で手いっぱいだって即断ってた」
「ああーなんだよ、やっぱそうなるんじゃん」
ちょっとだけ浮き上がった気持ちが見る間に萎える。
「それでも、ずっと期待して待つよりは疲れねえだろ」
「……まあ、確かに」
そうだ。今日は来てくれる、明日は助けてくれる、明日こそは──その次はと、駄目だと分かっていても心のどこかでは毎日淡く期待していた。他人から俺は大抵の事はこなせると思われがちだが、そんなことはない。誰かに頼りたいときも、相談したいときもあって、特に後ろ盾の顧問が何の役にも立たないと分かっていたからこそ中学の時からの付き合いである櫂に横にいて欲しいと思っていた。
「悪い」
「もういいわ」
ため息まじりに言うと、櫂が笑った。
「まあでも、あの脱出ゲーム、なかなか大変そうだな」
「分かってんなら手伝って?」
「気が向いたらな」
はあ、と息を吐いた。
期待はしないでおくか。
あと一週間だ。
会話が途切れ、その間にふたり分の足音と自転車のタイヤの回る音が流れる。
「なあ」
ひとつ気になっていたことを俺は訊いた。
「ん?」
「何で予備校?」
櫂の成績は上位だ。特に予備校に行かずとも、苦労はしないタイプだ。
「おまえはそんなん行かなくても楽勝だろ」
「おまえと一緒にするなよ」
口元を歪めて櫂が苦笑した。ふう、と大きく息を吐く。少し間を置いて静かに言った。
「卒業したらさ、家を出ようかと思って」
「え? だっておまえの行きたいとこって」
前に聞いた志望大学は櫂の自宅から楽に通える場所だった。
「変えた。ひとつ上を目指す」
「何で」
純粋な俺の疑問に櫂は何故か照れくさそうな顔をした。
「一緒にいたいやつが俺より頭いいから」
は?
一緒にいたい?
それって…
「え、なにそれ彼女? いつ出来た? 俺知らないんだけど」
「ちげえよ」
ものすごく嫌そうに櫂は顔を顰めた。
「そうじゃねえ」
「じゃあなんだよ?」
櫂は俺をじっと見て、ふと視線を前に戻した。
住宅街の道に沿って灯る外灯の明かりが遠くまで続いている。
「…とにかく、一緒にいたいから、同じ
同じところまで。
暗闇の見えないその先を見るように、ぽつりと櫂が呟いて、俺は何かを言うのをやめた。
ぼんやりと脳裏に浮かんだのは、なぜかひとりのクラスメイトの姿だった。
***
十一歳も年下の生徒に翻弄されている。
「はあ…」
なんだか情けない。
待っていてと言われ、本当に帰りを待っていようかと一瞬思ったけれど、僕は結局彼を待たなかった。正門横の通用口を通って敷地の外に出る。学校をぐるりと囲う塀から校舎を見上げれば、暗い中、塀に沿って植えられた木々の枝の向こうに、ぽつんと明かりの点いている教室がひとつ見えた。生徒会室。
まだ、あそこにいる。
ふわりと体温が上がった気がして、急いで視線を元に戻した。
本当にどうかしてる。
「まずい、なあ」
好きになっていた。
好きになってしまっている。
気がつけば、見つめられて身動きが利かなくなるほどに。
「……」
それでも、勘違いであって欲しいと願うのはなぜだろう。
昨日わざと傷つけるように言った言葉も、彼は難なく乗り越えてきた。
『勘違いなんかじゃない』
『先生が好きだよ』
その気持ちがほんの少しだけ怖い。
僕も彼が好きで、だから…
だからなおさら、どうすればいいのか、どうするべきなのか分からない。
保健医と言えども立場は教師と生徒だ。倫理的に許されるわけもない。彼をちゃんと突き放さなければと思うのに、もうそれが出来ない。
好きでなければきっと出来ていた。かつて友人に向けられた好意を跳ねのけたときのように。
でも──
でも僕は彼が好きだ。
「すき、か…」
呟いた言葉が夜の中に溶けていく。
何でもなかったはずの日常に、小さく火を灯しながら。
ポケットに入れていた携帯が震えた。
取り出すと表示されていたのは知らない番号だった。
出ることに躊躇ったが、学校の関係者からかもしれないと──実際そういうことはままあって──僕は通話を押し、耳に当てる。
「はい」
もしもし、と言うよりも前に相手が話し始めるのが早かった。
『──』
聞き覚えのある声に、心臓が激しく跳ね上がった。
「………よう、へい?」
暗がりの道端に立ち止まり、僕はその名を口にした。
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