7
授業が終わった途端、担任の和田に呼び止められた。
「かざまー、ちょいちょい」
おい、犬か何かを呼ぶように俺を呼ぶな。
つーかなんだその手は。
本当に飼っている犬でも呼ぶように、手のひらを上に向けて和田は指先をくいっと動かしている。
「なんすか」
「ちょっとこっち」
顎で廊下を示した。そのまま教室を出る和田について俺も廊下に出た。
「おまえさー、親睦レクで一棟借り切るってマジなわけ?」
廊下の突き当り、教室から少し離れた窓枠に寄りかかって和田は俺を見上げた。立ち上がれば俺のほうが背が高い。
「は? マジですよ?」
「それってさあ、第一? 第二?」
はあ? と俺は首を傾げた。
「第二。申請出してあったでしょ」
「ああー、まあなあ」
曖昧な言い草に俺は眉を顰めた。
嫌な予感がする。
ぼり、と和田が項を掻いた。
「…なに? 今さらやめろとか?」
「……」
「はあ?」
「………」
「おい冗談だろ」
和田が何とも言えない声を出した。ぐうとかげえとか、たとえるならそんな感じで──
「ふざけんなよ、申請出したの一週間前なんだけど」
「だよなあ、あはははは」
嘘くさい笑いに俺の顔が思い切り引き攣った。
こいつ──
「あんた、申請書受け取ったまま何もしなかったなんだな!?」
「あは」
「あはじゃねえ!」
顧問に渡したのが間違いだった。いや、通常はそうだけれども! もっとましな、もっと真面目な顧問なら(いや、普通はそれが当たりまえだし)何の問題もなく進むはずのものがどうしてこうもしょっぱなから蹴躓かなけりゃならないのか。
教室を授業以外で使用する場合は少なくとも20日前には使用申請書を出して教室を開けてもらわねばならない。授業の進行などに妨げがあってはならないからだ。
すでに20日を越えている。
なのに。
原因は全部、この怠惰な和田だ。そして分かっていたはずなのに、うっかり申請書を渡してしまった──俺。
「クッソ、マジかよおおお…」
俺はその場にしゃがみ込んだ。
申請を出してから一週間。その間に準備してきたことを無駄にするわけにはいかない。
脱出ゲーム当日まではまだ18日ある。
出来ることをしよう。
「おいおい、そう落ち込むなって。いやあ悪かったよ、ついうっかり…音楽室と一年の教室は何とか頑張って押さえられたけどさー、二年のが半分まだでさあ」
ごめんごめんと言いながらアハアハ笑う。
こいつ、悪いだなんて全然思ってねえな。
殴りてえ。
俺は脚の間に頭を垂れたままこめかみを拳で押さえた。
「おー風間、なにやってんのー」
「和田センセ、あんまセートカイチョーいじめんなよ」
「今度は何やったんだよ先生」
せめてもの救いは通り過ぎて行くクラスメイト達が項垂れた俺を見て事情を察してくれたことくらいか。
「あああああ…」
俺は盛大なため息をついた。
俺は放課後職員室を尋ねた。
了承を取り付けるための直談判だ。とりあえず許可をもらいたいのは2―Aと2―Dだ。
えーと、2―Aは…
「すいませーん、杉本先生は…?」
入口の近くにいた隣のクラスの担任に声を掛ける。
「あー、いないね。まだ教室じゃないかな」
「そうですか、どうも」
2―Dの先生は研修とかで今日はいないらしい。じゃあまあ、とにかく2―Aにでも行くか。
俺は職員室を出て第二棟の二年の教室に向かった。
第二棟は第一棟から中庭を突っ切る渡り廊下で繋がっている。
渡り廊下を進み、右に折れて2―Aの教室に着いた。中に誰かがいる気配がする。俺は扉を軽く叩いた。
「失礼しまーす」
がらりと開けた教室の中には何人かの生徒が残っていた。みんな驚いた顔で俺を見ていた。
ぐるりと見回して先生がいないことを確認する。
「あー杉本先生は?」
「いないけど」
「あ、そう。ありがとう」
答えてくれた二年に軽く手を上げて、俺は扉を閉めようとして、ふと視線に気づき振り返った。
机やいすに座って輪を作っている生徒の奥に、あいつがいた。
こないだの休日、能田先生の腕を引っ張っていたやつだ。
やっぱり二年だったか。
名前までは生憎と遠くて見えない。
「なんすか?」
手前にいた二年が、じっと見合っている俺と剣呑な雰囲気を出し始めたクラスメイトを交互に見比べて言った。
「いや、邪魔して悪かったな」
とりあえず今はいい。
にこりと俺は笑って、何事もなかったかのように今度こそ扉を閉めた。
そのあと杉本先生を探したが、見つからず、結局俺と入れ違いで職員室に戻った先生は急用のため学校を出たと知らされた。
「えーマジかよ…!」
「一歩遅かったなあ」
職員室の入口で項垂れる俺に、さっき居場所を訊いた隣の担任が苦笑する。
「あれだろ、教室使用許可」
「センセー知ってんなら助けてよ」
「まあがんばれよ、生徒会長」
「好きでなったわけじゃねえっての」
「風間が適任だよ」
はあ、と俺はため息をついて職員室を出た。
…どうするかなあ。
生徒会室に戻るのもなんだか気が重い。
皆にはまだ話していないからだ。まあどうせ、すぐ知れるだろうけど。
ぼんやりと窓の外を眺めていると、どこからか呼ばれる声がした。
L字に曲がった廊下の向こうの窓から、能田先生が俺を見ていた。
「どうした、ぼんやりして」
風が吹き込んでくる。
「ん、ちょっとね」
と俺は笑った。
「疲れた顔してるな」
「色々大変だもん」
「そっか」
二メートルほどの距離を窓越しに話している。
先生はもう聞いて知っているのか、柔らかく微笑んでいた。
「大丈夫か?」
「んー…、俺今すげえ癒されたいかなー、なんて」
冗談ぽく言ってみる。
「飴でも食べる?」
「え」
くすっと笑って先生は俺を手招いた。
「おいで、お茶淹れるよ」
風で白衣が翻る。
俺を待たずに歩き出した後ろ姿。
俺は吸い寄せられるように廊下を走り、その背中に追いついた。
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