6
まるで、たまたま通りかかったかのように声を掛ける。
「あーれ、せんせー?」
はっとしたように能田先生と、先生の腕を引っ張っていたやつが俺を振り返った。
うわ、めっちゃがっつり掴まれてんな。
「か、風間くん」
「こんちは。何してんの、買い物?」
「えっ、あ──」
手を掴んでいたやつ──同級じゃない。多分2年生だな──が胡乱に俺を見た。
にこりと俺は笑い返した。
「あ、親戚の子?」
満面の笑みでわざとそう言うと、ひくっとそいつの目元が引き攣った。
「どーもー、先生の学校の生徒です」
「あ…この子は──」
先生が何か言おうとしたとき、そいつが先生の腕を投げつけるように離した。
「……っ」
俺を睨みつけたまま小さく聞こえない声でぼそっと呟くと、踵を返し逃げるように走っていった。
「あらら、行っちゃった」
雑踏の中に紛れていく背中を先生はじっと見ている。
掴まれていた手を摩っていた。
服にくっきりとした皺が寄っている。
「…あれ、風間くんわざとだろ」
「ごめん」
先生はあいつが走って行ったほうを向いたまま大きくため息をついた。
え?
なにそれ。
俺はその仕草に少し不安になる。
もしかして俺の早とちり?
なんかまずかったのか?
俺を見ない先生を、俺は覗き込んだ。
「ごめんね? 余計なお世話だった?」
そう言うと、先生はやっと俺のほうを見て、かすかに笑った。
「いいや…ありがとう。助かったよ」
「それさ、ほんと?」
「うん」
その言葉にほっとした。
仕方がないな、という笑顔。
よかったと、俺は笑った。
「なああいつ、何だったの? うちの学校のやつだろ」
「…ちゃんと分かってるんじゃないか」
親戚の子かと聞いたのがよほど嫌味に聞こえたみたいだ。
まあそのつもりで言ったんだし、効いてくれなきゃ困る。実際軽く先制はかませたようでなにより。
「だってこないだもあいつといたじゃん先生、中庭で」
「ああ…そっか」
見てたんだ、と先生は苦笑した顔で俺を見上げた。夕暮れの駅前をふたりで歩いている。
「どうりでタイミングがよかったわけだ」
長い影が足元に落ちている。駅を過ぎて、まっすぐに行く。先生も俺も電車に乗る気はなかった。そういうのは言わなくてもなんとなくお互いに分かってしまうから不思議だ。
しばらく黙って歩いた後に俺は訊いた。
「あいつ、先生の何?」
訊かれるのが分かっていたように先生は言った。
「僕の知り合いの弟なんだ」
「知り合い?」
「僕の同級生」
そうだとしたら随分歳が離れてる。
「僕が嫌いなんだよ」
ぴたりと足が止まった。
そんなわけない。
あれはどう見たって、違うだろ。
あれは絶対──
「…風間くん?」
振り向いた先生は夕暮れの橙色に頬を染めていた。
綺麗で、一瞬見惚れる。
「ま…いいけど」
「え?」
「なーんでもない」
気がついているのかいないのか。
どっちにしても先生が言わないのなら、俺も言わない。
あいつが先生に気があるなんて。
誰かに気に入られてるなんて。
絶対に。
そんなものに気を取らせるくらいなら──
「あー…、ね、腹減らない?」
「ええ、そう?…あ、もうこんな時間か」
腕時計を見て先生は呟いた。
「ねえなんか食べてこうよ、割り勘で。うちの親今日いねえし」
「…ここ学校の近くだぞ」
たしかに。
じゃあさ、と俺は笑った。
来た道を指差す。
「もっかい戻ろ?」
「あのね…」
「ね? いいじゃん、行こうよ。隣駅まで行けば誰も見てねえって」
暗に駅まで引き返してもう一駅分歩こうと言っているのだが、それが先生には伝わったらしい。
「散歩好きだね」
「健康的でしょ」
「はいはい」
くるりと先生が踵を返して歩き出す。
やった、と俺はその背中を追った。
俺がついてくるのを確認して先生はまた苦笑した。
「ところで、風間くんは今日なんであそこにいたの?」
「あー生徒会会議、ファミレスでやってて、その帰り」
今どき、と先生は笑った。
「あ、そういえばレクレーション決まったって?」
多分和田から聞いたのだろう。
先生が笑いながら言った。
「脱出ゲームってそれ無理だろ?」
「大丈夫、なんとかなるって」
「なるかなあ」
「なるって!」
「正気の沙汰じゃないよ?」
えー、と俺は声を上げた。
「信用ねえなあ。じゃあさあ、上手くできたらなんかご褒美ちょうだい」
「ご褒美?」
「うん」
しょうがないな、という顔で先生は言った。
「上手くいったらね」
「ん」
くすくす笑う先生の横を歩く。
居心地の良さにどこまでも行けそうな気がする。
「それで、何食べる?」
26日後、必ず上手くいかせると俺は自分に誓った。
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