第3章 16話 楊井奏
私はその日、とてもそわそわしていた。
3月9日、今日はソフィーリア学院中等部の卒業式の日だったのだ。
カフェでの一件以来、攻略対象者とは会えば挨拶する程度で特に何が起こることもなく、
そうして迎えた卒業式当日。学園長の話から始まり、卒業証書授与、生徒会長のお言葉、祝辞、卒業ソング合唱……。どこの中学校でも行われるようなありふれた卒業式で、私のそわそわしていた気持ちはいつの間にか萎んでしまい、退屈さえ感じるようになってしまった。
そもそも私はこの学校に何も思い入れないし……。
退屈さをなんとか誤魔化しながら、卒業式を終える。だけど、教室に戻ってからの方が地獄だった。
教室には膨大な孤独な時間だけがあった。
「高校行っても仲良くしてね」
「私たちはひと足先に高校に行くけど、来年みんなが来てくれるの楽しみにしてるから!」
「先生との別れ、まじ寂しいっす。時々遊びに来ますね!」
いろいろな声が耳に届いてくる。中高一貫校だからか、卒業式だというのに悲しんでいる人はあまりおらず、柔らかな空気感が教室全体を覆っていた。
この空間に私だけが浮いてる。
めぐの友達を作らない性格が災いしてか、誰からも声をかけられないのだ。それに、私自身も知らない人たちに声をかける勇気がない。
だから、一人だった。
唯一の友達である陽愛も友人に囲まれていて忙しそうで、話しかけるのに躊躇ってしまう。
私は人知れずため息を吐き、廊下へと出る。けれど、廊下も教室と大差ない。少年少女たちの明るく弾いた声が、あたりに充満している。
「……えっ?」
不意に、声を出してしまった。この場に、私ともう一人、この雰囲気に馴染んでない人がいた。その人物は怪しさ満点と言わんばかりに、隠れるようにしながら、 3年5組の廊下側の窓から教室の中を覗いていたのだ。
どう見てもメインヒーローである
明らかに不自然な光景だ。だけど、誰も気にしていない。
メインヒーローくんがなぜ覗きを……?
「あっ……。えっと、どうも……」
私の声に気づいたのか、奏は振り返り、ぺこりと丁寧にお辞儀をした。
「あ、どうも……」
思わず、私もお辞儀をし返す。
だけど、どういうことだ?どうして、彼はここにいるんだ?
奏は私のお辞儀を見届けると、すぐに教室の中に目を向けてしまう。
「あ、あの……。さっきから、何してるんですか?」
「えっ?」
今度は奏が驚いた声を出す番だった。目をぱちくりとさせて、私を見つめている。
「ですから、その、5組の誰かに用があるんですか……?」
そう尋ねてから、気がついた。陽愛だ。奏は陽愛を見つめているんだ。
尋ねるまでもなかったではないか。私は彼がどれほど陽愛に執着をしているのか、よくわかっている。
奏は陽愛に心底惚れている男であった。幼少期、まだ彼が孤児院にいた時、陽愛と出会っているのだ。そこで彼は陽愛の太陽のような温かさに触れ、心が救われたという過去がある。
そして、裕福な家庭に引き取られた奏は陽愛と会えなくなってしまうものの、奏の父親と陽愛の父親が友人であることと、陽愛がソフィーリア学院に入学することを知り、この学院に入学し、晴れて陽愛に会うことが叶ったのだ。奏ではそのことに心から喜んだ。
けれど、奏は知ってしまう。陽愛が男をひどく嫌うようになっていることに、気がついてしまうのだ。だから、彼は陽愛の身に何か起きないよう遠くから見て守る、と心を決めたのである……。
これが、『桃ロキ』での設定だ。
にしても、どうしてそんなに驚いた顔をしているんだろう。こんなイケメンが一人でクラスを覗いてたら、目立つはずなのに。
「いや、その……」
目を泳がせ、実に困った顔で奏は顔を伏せる。
イケメンが何をしてても目立たないのは、乙女ゲームの効力のおかげなんだろうか。
「あ、いきなり話しかけてごめんなさい。えっと……、もしかしなくても、陽愛を見てました……?」
「えっ、なんでわかったんだ……!?」
「わかりますよ。だって、あの、いつもこっそりと陽愛のこと、見てますよね?」
「あ、バレてた、のか……?」
これは当てずっぽうだ。【遠くから見守る】という行為が、こっそりと陽愛をストーカーするということなら、奏が毎日、こうして陽愛を眺めていてもなんらおかしくない。
「いや、まぁ……一応、私は陽愛の親友なので……」
「たしかに、いつも一緒にいるもんな……」
奏は顎に手を当て、考える仕草をする。 そして、突然丁寧な口調になり、頭を下げた。
「あの、このことは州浜陽愛さんには言わないでいただけますか?」
「えっ?」
「だから、彼女には俺がこうして見てたこと、黙ってて欲しいんです。ほら、彼女、男が嫌いじゃないですか。俺が見てたってバレたら、怖がるだろうな、と思って……」
「大丈夫ですよ。誰にも言いません。むしろ、私は奏くんと陽愛の仲を応援しているので」
「ん? なんで俺の名前……。あと、応援って……」
しまった、余計なことを言ってしまった、と思った途端、陽愛がひょこりと窓から顔を出した。
「柚葉なにしてるのー? ん? この人は、誰?」
「あ……。えっ、と……この人は同級生の……」
「初めまして。3組の楊井奏です」
「初めまして。州浜陽愛、です」
陽愛は窓から身を乗り出し、私に耳打ちをした。
「柚葉。 この人は誰なの……? また新しいお友達……?」
「え、えぇ……っと、なんで言えばいいのか……」
「あ、すいません。向こうで友達が呼んでるんで、俺、3組に戻りますね。じゃっ!」
こっそり話している私と陽愛の姿に堪えたのか、奏はそそくさとその場を離れてしまう。
陽愛は不思議そうに首を傾げて、「なんだったの……?」と言った。
それから、卒業式のあれこれが終わり、陽愛と二日後の卒業遠足の待ち合わせ場所を決めてから別れ、私一人、寮へと戻る。
「あ……、どうも」
寮の門前に差し掛かった時に、声が聞こえた。遠慮しがちな男性の声だ。
振り向く。
そこには、キャップ帽を被った『桃ロキ』のメインヒーロー、楊井奏がいた。
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