第3章 14話 それぞれの帰り道(恭哉)



 夕刻になる少し前、恭哉は、ショッピングモールを特に行くあてもなく、歩いていた。


 コーヒーを1杯だけ飲んで、カフェを出たあと、1人の空間に戻るのがなんとなく嫌で、寮には戻らず、ウィンドウショッピングをしているというわけだ。

 1人でこのショッピングモールをぶらつくのは、本当に久しぶりだった。いつも隣に女の子がいたから、1人でどう時間を過ごしたらいいのかわからない。かと言って、女の子を呼ぶ気にもならず、買う気もないのに、適当なメンズ服を見て回る。


 まさか、婚約破棄することができるなんて。婚約を破棄することは、ずっと恭哉が望んでいたことだった。婚約破棄して、身も心も自由になれたらどれほど幸せか、とこいねがっていたのに、実際に破棄となると、何故か心が重たい。あんなに渇望していたのに、どうしてなのだろう。


 ここ最近、柚葉に対して、今まで以上に嫌味を言っていたことは、自覚している。


 恭哉は、慕ってくれる後輩の女の子たちから、柚葉が食堂で一緒にご飯を食べていた男の情報を集めた。清水の家に利益があるの男7日と思ったら、スポーツ選手の家系の男で、清水の家には、何も利益がないような男だった。


 しかも今日、知らない男がもう1人増えていた。陽愛ひよりの友達かもしれないと考えたが、陽愛はかなりの男嫌いなため、それはあり得ないだろう。

 それに彼らは陽愛ではなく、柚葉の方に視線や意識を向けていたように思えた。


 となると、彼らは柚葉の取り巻きということになる。


 聞けば、2人ともまだ出会って2日しか経ってないような男たちだった。


 柚葉は、不必要なものはなんだって取り除く、シンプルな女だった。だから、友達も最小限しか作らないし、恭哉と、デート、あるいは、遊びに行く、といったようなことを全くしなかった。

 それなのに、柚葉は、知らない男2人と仲良く同じテーブルでお茶をしていた。


 彼女の行動原理がわからず、恭哉は内心がムカムカした。


 腹が立ったから、会って間も無く、嫌味を矢継ぎ早に言ってしまったのだと思う。一種の八つ当たりだ。ガキだなと思ったけれど、嫌味が止まらなかった。


 イズミが帰ってしまってからは、苛立ちが倍増した。


 柚葉は、遊ぶことに納得してないにしろ、黙認していたはずだ。なのに、あんな苦しそうな顔をするなんて。今まであんな顔したことないくせに。あんな様子じゃ、まるで全部、俺悪いみたいじゃないか、と、心の内で何度も毒づいた。


 ふと、足を止める。考え込んでいたせいか、途中から商品を見ることすらやめ、同じ通路を往復しているだけの変な男になっていた。やばい奴、と思われるのも嫌なため、恭哉は歩みを止め、目についた適当なベンチに座る。


 だけどまぁ、婚約破棄することができたのは、大きな収穫なのかもしれない。それなのになぜか、爽快感はまるでなく、モヤモヤは晴れない。むしろ、大きくなっている気がする。


 先ほどから、頭によぎって離れないのは、喫茶店での柚葉とのやりとりだ。

 恭哉の嫌味を受け止める姿が、妙に艶っぽかった。目尻に涙を溜め、小刻みに震えてる姿は、か弱い子猫のように可愛らしく、もっとこの姿を見てみたいと思ってしまった。


 まさか、自分にサディズム的嗜好しこうがあったとは驚きだ。


 柚葉は変わった。柚葉が倒れて、恭哉が保健室にお見舞いに行ったあたりからだろうか。彼女は"弱く"なった。恭哉の嫌味に一喜一憂し、困惑し、ひどく不安げな表情を見せるようになった。

 繊細で儚い見た目に反して強いのが、彼女の特徴だったのに、強さがどこかに吹き飛んで、儚さだけが残ったように思えた。


 なのに。


 今日、恭哉に言い返してきた柚葉は、瞳に強い意志を宿していた。口調や雰囲気が違うにせよ、自分の思いを吐露とろするその姿は、幼少期の彼女の強さを彷彿ほうふつとさせた。芯の部分は何も変わっていなかった。


 柚葉は、本当に変わったのだろうか?変わったのだとしたら、それはどうして?


 頭にハテナマークがたくさん浮かぶ。


 それに、柚葉が最後に向けた笑顔が忘れられない。馬鹿にした笑いでも、作り笑いでも、能面のような笑いでもない、心からの笑顔。今まで、柚葉が恭哉に見せたことのないような真っ直ぐな笑みだった。


 婚約破棄してから柚葉の心からの笑顔が見れるなんて、あまりにも皮肉的だ。


 目を閉じると、柚葉のことばかり考えてしまう。長年の夢であった婚約破棄という目標を達成してしまった消失感なのか、心にポッカリ穴が空いたかのような寂しさに見舞われる。


 調子狂うな。ベンチの背もたれに体重を全て預けて、目元に腕をやる。


「こーんにちは!おにぃーさん!」


 突然、声をかけられた。目元から腕を退け、姿勢を正す。目の前で、金髪で化粧の濃い女の人が、しゃがんではにかんでいる。


「…えっと、君は?」


「突然声かけちゃってごめんねー!お兄さん、かっこいいなーと思ってさ!もし1人なら一緒にお茶しない?」


 金髪の女は、長い髪の毛を指先でいじり、色っぽく目を細める。どうやら、ナンパのようだ。いつもの恭哉だったら、この誘いに嬉々として乗っかっただろう。だけど、今日は女の子と遊びたい気分じゃない。


「あー、ごめんね?実は、今、友達と待ち合わせしてるんだ」


「えー、そうなの?なんかお兄さん、落ち込んでる感じだったから、彼女さんにでも振られたのかと思ったー!私が慰めてあげようと思ったのに、残念」


「落ち込んでる?俺が?」


「うん。なーんか、天井見上げちゃってさ、この世の終わりだー!みたいな雰囲気出てたよぉ?」


 目の前の女がすくりと、立ち上がったかと思うと、隣にずいっと座ってきた。


「だからぁ、私が慰めてあげようって思ったっめわけ」


 知らない女の指が太ももを這う。ゾワゾワと、背筋に鳥肌が立った。


「あはは、ありがと。でも、ごめんね?今、俺、そういう気分じゃないんだ。ナンパなら他当たってくれる?」


 恭哉が、サッと立ち上がったが、すかさず、女が恭哉の服をグイッと引っ張る。


「えー、まってよぉ!お兄さんホント私のタイプだからさ、気分になったら連絡して?」


 口紅で真っ赤な唇を強調させるかのように、尖らせ、するすると立ち上がると、連絡先が書いてあるであろう、ノートの切れ端を、恭哉の胸ポケットに忍び込ませた。肌が粟立つ。


「あー、うん。気が向いたらね。じゃ、俺行くから。またね」


 早くその場から立ち去りたくて、掴まれている手を払い除け、彼女に背を向ける。


「もぉ、つれないんだから〜!連絡、待ってるからねぇ〜」


 チラリと振り返ると、恭哉に向かって大きく手を振っていた。恭哉は手を振り返すことなく、足早に男子トイレへに、入り込んだ。

 ここまでくれば、あの女も追ってこれないだろう。


 洗面台の隅で、胸ポケットから紙切れを取り出す。可愛らしく丸みを帯びた字で、SNSアプリのIDと電話番号が書かれていた。


 恭哉は、自身の甘い顔と、言葉に寄ってくる女の子たちのことをそれなりに、可愛いと思っていた。さっきの女も世間一般に言えば、可愛い女の子なのだろう。

 だけど、誰一人として本気で好きにならなかった。そもそも、恭哉は、あまり"女"というものは好きではない。柚葉という堅物の女がそばにいたからだろうか。今まで、「可愛い」「綺麗」と芸術的な視線で女の子を見たことはあれど、恋愛感情というものを抱いたことがない。

 好いてくれる女の子たちは、柚葉と違って、恭哉を否定しない。むしろ、なんでも肯定してくれて、恭哉の劣等感を埋め、自己愛を満たしてくれる。


 だけど、彼女らが優しいの最初だけで、特別なのだと伝えると、彼女らは皆、理論的でなく、感情的になるようになり、扱うのがめんどくさくなった。それでも、女の子たちにいい顔をしていたのは、柚葉に嫌われたいがためだけだった。

 

 しかし、その目標が達成された今、もう、女の子たちに時間を費やす必要はない。


 金髪の女を思い出す。甘ったるい声での誘惑も聞き飽きた。好きでもない人からの好意を、本気で気持ち悪いと思ったのは、初めてだ。


 洗面台の鏡に自分の姿を映し、髪をくしゃくしゃとかき乱す。


「あー、もう。さらに気分悪くなっちゃったな」


 顔のコンディションが最悪だ。


 先ほど無理やり渡された紙切れに、視線を映す。恭哉は、それを一思いに、ビリビリに破り、ゴミ箱に捨て、その場を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る