第3章 13話 休日のカフェにて(4)



「……これだから、柚葉ちゃんみたいに気の強い女の子は苦手なんだよね…。それに、俺だけ責め立ててたけど、こんなところで白昼堂々と、ダブルデートしてる、柚葉ちゃんも同罪じゃないか」


 遠くを見つめながら、ボソリと恨み節を、聞こえなさそうで聞こえる音量で唱える。この男は、やはり卑劣だ。自分が悪いくせに、愚痴をこぼし、人を攻撃する。責任を転嫁する。本当に卑怯な男だと思った。


「…柚ちゃん、婚約者がいたんだね…。初耳だったからびっくりしちゃった」


「あ…、ごめんなさい、翔磨くん。別に隠していたわけじゃないんだけど…、実はそうなの…」


「へぇ、隠してたんだ」


 恭哉が、イスに座り直しつつ、冷めた口調で横槍を入れる。


「だから、隠してたわけじゃなくて、伝えるタイミングがなかっただけで……」


「でも、伝えてなかったってことは、同じことでしょ?この子、かっこいい子だし、やましい気持ちがあったから伝えなかったんじゃないの?」


「…そんなわけ…っ!」


 言葉が喉奥に突っかかる。無性に苛立っている様子の恭哉を前に、何も言えなくなってしまう。やはり、私は、弱い。肝心な時に、声が出ない。


「………やっぱり、オレ、好き同士じゃないのに、結婚するなんて、反対です。納得できない」


「私もそう思う。こんなろくでなしに柚葉は似合わない。こんな婚約、親友の私が許さない」


 胸の奥が熱くなる。拓海と陽愛ひよりの2人が、何も言えない私に変わって、怒ってくれる。それが、これほどまでに心強いとは。


 現実世界では、私が責められている時、私の周りにいる人たちは皆、見て見ぬふりだった。どれほど理不尽であろうとも、ひどい言葉を浴びせられようとも、誰も私を庇ってくれない。私自身を守れるのは私だけなのだと、実感した。だから、嵐が過ぎるまで、1人でじっと耐えねばならない。誰かに期待してはいけない。


 今だって、そう思ってる。でも、このゲームの世界の人たちは、私を放っておいてくれないのだ。私のために本気で怒ってくれるのだ。

 それに、私は陽愛が本当に心優しい少女だということも、拓海が裏表なく素直でいい子だということも、ゲームを通して"知っている"。だから…、心から心配してくれていることがわかるから、私は今、心強い気持ちになれたのだと思う。


 恭哉は額に手を当て、わざとらしいため息を吐いた。


「柚葉ちゃん、愛されてるね。でもさ、君たちは勘違いしているよ。俺はこの婚約、今すぐ破棄したっていいんだ。でも、柚葉ちゃんが、婚約したままがいいって言ってるんだよね。愛がなくても、家を守れればいいんだって。君たちは、柚葉ちゃんと知り合って間もないから、知らないのかもしれないけれど、この子は、家のためならなんでもする、そういう冷酷な女の子なんだよ。………あ、でも、柚葉ちゃんも恋に夢見るところがあるのか、俺か柚葉ちゃん、2人のうちどちらかが本気の恋を見つけたら、婚約破棄する"けい約"を結んでいるんだけどね」


「えっ、そうなの?」


 陽愛が驚いた声をあげる。この情報は、たしか、陽愛が恭哉ルートの時にしか開示されないはずだ。私の介入のせいで、ルート突入前に陽愛に情報提供されてしまった。


「あ、うん…。婚約を結んだ際に、私と恭哉でそういう約束をしてたの…。お互い、本気で好きな人ができたら、その時は、婚約は破棄して別れようって…」


「じゃあ!柚葉先輩が、結婚したいほど好きな人ができたら、このクソ野郎と別れられるってことですか!?」


「本人がいるのにクソ野郎ってひどいなぁ…」


 恭哉が呆れたように苦笑する。


「とは言っても、まだ、好きな人とはお互い出会えてないんだけど…」


 ふと、悠斗はるとの顔が脳裏によぎる。私の大好きな彼に、会いたい。願わくば、会って悠斗ルートに突入したい。もし、そうなったら、迷わずに、婚約破棄する予定だ。


「そっか…、そっか…!」


 陽愛と拓海は嬉しそうな顔をして頷いている。私が恭哉と結婚しなくて済むかもしれないと、喜んでくれているのだ。


「オレ、先輩が運命の相手に出会えるようお手伝いしますね!」


 あっけらかんと笑う拓海に、思わず苦笑しそうになる。「運命だ」「大好きだ」と言っておきながら、この反応だ。これは陽愛もゲーム内で苦労するわけだと、1人納得してしまう。


「ねぇ君、さっきから俺に失礼なことばっかり言ってるけど、俺は先輩だし、一応、柚葉ちゃんの婚約者なんだよ?」


「須崎先輩は、先輩らしい行動を一切していないし、婚約者相手に最低なことばかり繰り返してるんですから、配慮する必要ないと思いますが」


 陽愛が冷然と言い渡す。


「はは、手厳しいな、陽愛ちゃんは」


「先進的な時代になっても、まだ政略結婚があるなんて…。合理的ではあるけれど、それはすごく悲しいことだね…。柚ちゃん、僕でよければ、いつでも相談に乗るからね」


 先ほどまで、口に手を添え、何かを考え込んでいるように黙っていた翔磨が、私に励ましの言葉を送る。人に好かれるための気遣いだとしても、今は素直に受け取れる。


「翔磨くん…、ありがとう」


「なんか意外だなぁ。柚葉ちゃんにこんなに味方がいるなんて。いつの間にこんなに友達が増えたの?」


「…ここ最近…だよ」


「ふぅーん、柚葉ちゃん、ほんと変わったね。友達が増えてるのもそうだし、大衆の面前でダブルデートしちゃってるのもそうだし」


「ダブルデートじゃ、ないよ。たまたま一緒になっただけで…」


「ふぅーん。たまたま一緒になってお茶するくらい仲良いんだね」


「仲、いいのかな…?まだ2人とは出会って2日だし…。翔磨くんとは挨拶するくらいで、拓海くんとも、顔を合わせれば、お話しする程度で、恭哉が思ってるような、関係じゃないよ…」


 恭哉の言葉が、視線が、言動の一つ一つが、私に対する嫌悪感で溢れていて、痛い。たとえ、心強い、と思っていても、人から向けられる冷笑には慣れない。どもってしまう。


「…出会って、2日か…」


 恭哉の瞳から一瞬だけ、覇気がなくなり、かげった気がした。


「オレは、まだ柚葉先輩と出会って2日しか経ってないし、柚葉先輩にはただのいち後輩としか思われてないかもしれないけど、それでも、仲良くなりたいって思ってます。でもそれは、友達としてであって、貴方にとやかく言われる筋合いはないと思いますけど」


「友達として、ねぇ…」


「僕も、そう思います。このままエスカレーター式で高校に上がるんですし、柚ちゃんや陽愛ちゃんとの出会いを大切にしたいです。それに、こうして友達同士でこうやってお茶するくらい普通だと思うのですが」


「はいはい、みんなそんな怖い顔しないで?友達って強調しなくてもいいよ?俺だってたくさんの女の子と遊んでるんだから、柚葉ちゃんを責める資格はないよね」


 わざとらしく肩をすくめてみせるその仕草が、様になってて、妙に憎たらしい。


「……責める責めないもなにも、友達を作って何が悪いんですか?」


 翔磨がいつもよりワントーン低い声を吐く。


「柚ちゃんは貴方と違って、普通の中学生がする様に、"友達"と、楽しくお話ししてるんです。先輩のように、一線を超えた関係ではなく、健全な"友好関係"です。…僕は、先輩のことも、柚ちゃんのことも、まだ何も知りません。でも、先程の先輩女性とのやりとりを見るに、先輩は"友達"以上の関係を構築していますよね。そんな貴方が柚ちゃんに嫌味を言う権利も、口を挟む余地すらもないと思いますが」


「うん、そうだね。わかってるよ?だから、俺には責める資格ない、ってさっき言ったよね?でもね、柚葉ちゃんと友達歴が短い君たちは知らないのかもしれないけれど、清水の後継者が異性と一緒にいるのは体裁が悪いって、散々言ってきたのは、他でもない、柚葉ちゃんなんだよ?君たちみたいな庶民とは、置かれている環境が違うわけ。清水の家に利益がない限り、異性の友達は必要ないわけ。ね?柚葉ちゃんはそう思ってるんだもんね?」


 恭哉がテーブルに肩肘をつき、目を細めて、私に向かって微笑みかける。微笑んでいるのに、その瞳は、まるで獰猛なタカが獲物を狙っているかのような鋭さを孕んでいた。

 ちくりちくりと言葉が胸に刺さる。このまま、嫌味を言われるだけでいいの?私の中のもう一人の私が、私に問いかける。


「たしかに、柚ちゃんはかつてそういうことを言ったのかもしれないですが、それは先輩が女遊びが激しいから、たしなめるために言った言葉だと思いますけど」


「えー?そんなことないと思うなぁ?だって、柚葉ちゃんがその言葉を伝えてきたのって俺がまだ女の子とあまり仲良くしてない時だもん。現に柚葉ちゃんは、今まで異性の友人を全然作ってこなかったわけだし」


「そうは言っても、柚ちゃんは15歳で…」


「翔磨くん、ありがとう。でも、本当に私が恭哉にずっと言ってきたことだから」


 翔磨の言葉を遮って、口を開く。思ったより、声は震えなかった。ぎゅっと拳を握る。大丈夫、怖くない。今なら、心から心配してくれるみんながいる今なら、私の思いを伝えることができるかもしれない。


「小学生の頃、私は恭哉に、利益にならないのなら友人はいらない、って言った。今までだって、そう思ってた。それは紛れもない事実。……だけど、今は、その当時の私の考えが、いかに浅はかで、単純だったか、気づいたの」


 ゲーム内でのめぐのバックグラウンド、立ち居振る舞いが頭に巡る。


 友達が陽愛と従姉妹いとこ更紗さらさしかいない女の子。いつも自分の立場を達観しながら、主人公を応援する女の子。強いふりして、本当は家の名前に押しつぶされそうになっている主人公の親友。

 当時、ゲームをやっている時から、思っていた。容姿端麗で主人公の陽愛に引けを取らないくらい美しいのに、所詮モブで、陽愛が恭哉ルートにいかない限り、好きでもない恭哉と結婚しなければいけないめぐは、なんてかわいそうなんだろうって。主人公はユーザーの選択次第でいくらでも幸せになれるのに、主人公を支える役割でしかない親友ちゃんは、どのルートでも報われないんだなって。

 シナリオの進行上、親友が主人公の引き立て役になってしまうのは、仕方のないことだと思う。だけど、思ってしまうのだ。選択肢で、主人公の未来が変わるのなら、親友のめぐも、選択次第で、幸せになれるんじゃないかなって。

 現に、今、私というプレイヤーがゲームに介入したせいで、ゲーム原作とはシナリオの流れが、明らかに変わっている。本来変わらないはずの、"一条めぐ"の未来を、私が変えることができるのだ。


 一条めぐはかたくなだった。信念がある、といえば聞こえはいいけれど、家に執着するあまり、自分自身が囚われてしまって、めぐの足枷あしかせになっているのだと、プレイヤーの私は思う。

 私が今、ここで言葉を飲み込んだら、恭哉の中での"めぐ"は、頑固で意地っ張りな女の子のままだ。それに、私だって、私が言っていない発言で嫌味を言われるなんて、たまったもんじゃない。顔を合わせるたびに、こんなこと言われてしまっていては、辟易へきえきしてしまう。


 だから、私は声を出す。今できる範囲で、思っていることを、言葉にする。


「私ね、ここ最近、いろいろなことを考えるようになったんだ。保健室で言ったでしょ?変わりたいって思ってるって。中学に入って、いろんな本や勉強をしてきてね、考え直したんだ。失敗を恐れるより、いろんなこと体験した方が人生に、深みが出ると思ったの…。ううん、本当はそれは言い訳で、私がもっともっと学生生活を楽しみたい、って思うようになっただけなのかも。せっかく実家から遠くにきたのだから、常識的な範囲で、青春を謳歌おうかしたい。だから、私はこれから、友達もたくさん作るし、寮の学食でご飯を食べるし、色々な場所に行く。だから…、」


 背筋を伸ばして、言葉をつっかえながら、斜め前にいる恭哉を力強く見据える。


 隣の陽愛がそっと私の背中に手を添える。心がスッと楽になる。臆病な私は、一人だったら、こんなに言葉を紡ぐことはできなかっただろう。

 私は、臆病で1人じゃ思いを伝えられないような卑怯な人間だけど、今ここで度胸を見せなきゃ、女が廃る気がする。


「だから、恭哉…、私が気に食わないからって、私のすることに嫌味を言うのは、もうやめて。過去の私が、たくさん貴方が嫌がる言葉をたくさん言ったことは、謝ります。その節は、本当にごめんなさい。だけど、私も、もう、貴方が何をしていようと、嫌味を言うのはやめるから。だから、これから先、もう、私に必要以上に干渉しないで」


 言えた。しどろもどろになりながらだけれど、今の私の感情を精一杯、伝えられた。

 なんだか心が晴れ晴れとしている。私自身が、ゲームのレベルが上がったみたいに、強くなった感じがする。


「…、本当に干渉しないの?あんなに、清水の家の名を汚すなって、言ってたのに…?」


「…うん。恭哉はさ、前々から、私との婚約を嫌がってた、よね?それなのに、今まで無理強いしてて、ごめんなさい。私ね、恭哉が、私に嫌われるために、女遊びしていたの、知ってたよ。わざと家名を傷つけるような行動を取ってたんだよね。でも、私は結婚することが家を守る最善のことだと思ってたから、恭哉が私にどんな酷いことをしてきても、婚約を破棄しなかった。もちろん、恭哉に本気で好きな人ができたら、身を引こうとは思ってたけれど」


 私は、大きく、息を吸う。ドクンドクンと心臓が大きな音を立てる。


 これは、ゲーム内で語られたこともあるめぐの思いだ。ゲームの中で、めぐは、いつだって"家"の最善を考えていた。家のためなら、自分を犠牲にできる子。だけど、私はめぐではないから。私は、めぐの体に入った"プレイヤー"だから。だから、私は私の最善を選ぶ。


「私ね、青春を謳歌するって決めた時、恋もしてみたくなったんだ。だから、まだお互い本気の恋をしていなくても、婚約、破棄しよう。私の行動がいかに今までと整合性が取れてなくて、幼稚で、身勝手かは、わかってるつもり。でも、こうすることで、恭哉は、私から解放されるし、私も、私自身の最善を、真っまっさらな状態で見つけることができるって、思ったんだ。今、そう、決めたの」


 そうだ、ここは大好きな乙女ゲームの中なのだから、精一杯、恋愛を楽しみたい。ぼんやりと悠斗の顔が浮かぶ。遅かれ早かれ、悠斗に出会えるはずだ。その時を想像すると、胸が高鳴る。


 恭哉がスッと姿勢を正す。


「…そう、わかった。俺も、その方が助かるかな。ごめんね、今までたくさん柚葉ちゃんが嫌になるような言動をして。でも、それがやーっと、実を結んだみたいで、よかったよ」


「あ、また嫌味」


「おっと、ごめんね?なんか柚葉ちゃんに嫌味を言うのが癖になっちゃったみたい」


 ふふ、と思わず、互いに笑みを交わし合う。恭哉との間に、今までにないほどの穏やかな雰囲気が漂っている。


「来週、帰省する時に、両親に話そっか」


「うん。……ねぇ、恭哉、今まで縛り付けてごめんなさい」


「本当だよねー。ていうか、女遊びが柚葉ちゃんに対する抵抗って知ってるなら、もっと早く破棄してくれてもよかったのに」


「それは…、その…。ごめんなさい」


 婚約破棄という選択は、一条めぐが絶対しないものだ。

 めぐが今まで守ってきたものを、私が崩しているみたいで、急に気持ちが萎んでくる。


「ま、婚約破棄してくれるならさ、なんでもいいけど。…っと、みんなごめんね、空気悪くしちゃって。このまま高校生の俺がここにいても邪魔だろうし、向こうのカウンター席で1杯何か飲んでから、お暇することにするよ」


 恭哉は、婚約破棄が嬉しかったのか、いつになく優しく微笑むと、ひらひらと手を振って、カウンター席へと移る。

 恭哉が去ったテーブルには、どこか晴れやかなような、気まずいような、形容しづらい雰囲気が残された。


「ごめんね、みんな。身内の揉め事に巻き込んじゃって…」


「ううん!そんなことない…!柚葉が婚約破棄できて本当によかった。私、柚葉が須崎先輩と結婚するの、ずっとずっと反対だったんだから!」


「そうですよ!言いたいこと、ズバッ!って言ってて、本当にかっこよかったです、先輩!」


「自分の意見いうのが苦手なのに、よく頑張ったね、柚ちゃん」


 『桃ロキ』のキャラクターたちが、口々に私のことを褒めてくれる。その事実が、こそばゆく、それでいて嬉しい。


「3人とも、ありがとう。3人が後押ししてくれたから、私、思っていることを言うことができたんだと思う。味方になってくれてありがとう」


 深々と頭を下げた。心からの感謝が伝わるように、言葉と動作に精一杯の思いを込める。不意に頭をわしゃわしゃと撫でられた。温かな陽愛の手だ。


「もう!柚葉ったら!顔を上げて?私はいつだって柚葉の味方なんだから」


「僕だって同級生が、あんな風に理不尽に言われてたら黙ってられないよ」


「そうですよ!それに、オレも、柚葉先輩の味方ですからね!」


「3人とも…、本当にありがとう」


 顔を上げて、微笑む。3人との距離がグッと縮まったような気がした。そこから、私たちは和気藹々わきあいあいと、カフェで門限のギリギリまで、話し続けたのであった。

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