第3章 12話 休日のカフェにて(3)



 私たち4人は、たわいもない話を続ける。例えばそれは、先生の癖の話だったり、拓海の部活の話だったり、寮生活への愚痴だったり…、吹けば飛んでしまって、忘れてしまうような、そんな取り止めのない話だ。

 学生はいい。私たちは、まだ顔見知り程度の関係なはずなのに、共通の話題で盛り上がることができる。もっとも、この子達がゲームのキャラクターで、私が"知っている"から、かもしれないけれど。


 私たちがなんてことない会話を繰り広げていると、拓海が空のコップを何度も左右に傾けている様子が、目の端に映った。


「拓海くん、どうしたの?」


「あ、すみません。えっと、ジュースおかわり頼んでもいいですか…?」


「もちろん。店員さん呼ぶ?」


「オレが呼ぶんで大丈夫ですよ!すみません、皆さんの話を中断させちゃって…」


 そう言うと拓海は、店員を呼ぶために振り返ったのだが、何故か、すぐ正面に顔を戻した。何か見てはいけないものを見てしまったかのような微妙な顔をしている。


 え…?なに?


 陽愛も拓海のその様子が気になったらしく、私たちは、拓海が先程、振り返った先に視線を送る。


「柚葉先輩!見ちゃダメです!」


 そんな拓海の声も虚しく、振り向いた先で、私はバチリと目があってしまった。こないだ食堂で見た女とは違う女を連れた恭哉が、こちらに向かってきていたのだ。


 嘘でしょ?こんな偶然ある…?攻略キャラが一堂に集まるなんて。乙女ゲーム効果なんだろうか。


 思わず、視線を逸らし、バレないように俯く。陽愛も恭哉の存在に気付いたようで、私の手のひらを、彼女の手のひらで、ぎゅっと優しく包んでくれた。

 恭哉のことを知らない翔磨だけが、「…どうしたの?」と、困惑している。


 束の間の無言。


 話しかけないで、と必死で祈る。しかし、その祈りは神様には届かなかったようで、「柚葉ちゃん…?」と、恭哉に声をかけられてしまった。

 仕方なしに顔をあげると、恭哉と華奢な女の人が、店員に案内されたのか、先程まで翔磨が座っていた席の前に、立っていた。

 恭哉の隣にいる女の子が、私の顔を見て、恭哉の服の端をきゅっと掴み、首を傾げる。その仕草がどこかいじらしい。


「恭哉くん、お知り合い?」


「あ、うん。婚約者の柚葉」


「…婚約者?」


 翔磨が驚いたように、恭哉の言葉を繰り返す。


「あ、例の可愛い婚約者さん?」


 悪意のない言葉に思わず、怯む。恭哉と共にいる女は、こないだの女とは打って変わって、温柔そうで、優美な雰囲気を持つ女の子だった。ミディアムロングの黒髪がよく似合う。


「初めまして。嫌な思いさせてしまったら、ごめんなさいね。わたくし、恭哉くんの友達のイズミと申します。あっ、恭哉くんの彼女ではないので、安心してくださいね」


 イズミと名乗った少女は、先程までの翔磨が座っていたソファー席に腰掛けながら、私に微笑みかけた。コートを畳んで横に置く姿に、気品を感じる。


「はぁ〜…そんなに睨まないでよ…」


 陽愛と拓海が恭哉を睨みつけていたようで、恭哉はわざとらしくため息を吐いた。


「須崎先輩、また、女の人と一緒にいるんですね」


 陽愛の声が震える。怒りを孕んだ声だ。恭哉はそんな陽愛をものともせずに、イズミの前の席に腰掛け、無言で陽愛に微笑み返す。


「こないだあんなに柚葉先輩を傷つけておいて、よくもまぁ、他の女の人とデートができますね」


「…あぁ、誰かと思ったら、こないだ一緒に柚葉ちゃんとご飯食べてた後輩くん?…へぇ、もう学校外で会う関係なんだ」


「またそんな嫌味な言い方…!なんで柚葉先輩を傷つけるようなこと言うんですか?」


「だって、本当のことでしょ?俺だけ女遊びしてるって咎められる筋合いはないと思うけど?」


 その場の空気がてつく。店内のBGMがやけに大きく聞こえる。温度が1、2度下がった気がするのは、空調のせいじゃないはずだ。この重たい空気感の中、口を開いたのは、イズミだった。


「ごめんなさいね。わたくし達が来たせいで、楽しい雰囲気を台無しにしてしまって…。でも、これだけは言わせて欲しいの。恭哉くんは色んな女の子を褒めたり、遊びに行ったり、楽しくお話ししたり、しているけれど、こう見えて誰とも正式なお付き合いをしていないのよ。わたくし達が、"勝手に"恭哉くんに入れあげてるだけなの。デートだって、当番制なのよ?恭哉くんはね、ずるい男なの。誰にも"特別な"愛情を注いでないんだから。婚約者からしたら裏切り行為に見えるかもしれないけれど、本当にただの火遊びなのよ。恭哉くんは、誰にも本気じゃないの。だから、婚約者の貴女が、そんな悲しい顔をする必要はないわ」


「イズミちゃん」


「あら、余計なことだったわね」


 だから、なんだと言うのだ。咄嗟に、反論したくなった。イズミは、涼しげな顔をして、悪意のない言葉で私を諭す。だけど、誰にも本気じゃないのだから許せ、なんて、浮気相手の都合のいい言い訳のようだ。みぞおちの辺りがきゅっと、絞られる。

 確かに、『桃ロキ』本編では、その"特別"に陽愛が選ばれ、世の中の乙女達はその姿にキュンキュンしたのだろう。だけど、それはフィクションだからときめくのであって、自分が当事者になっている今、ときめきの「と」の字もない。


 陽愛の私の手を握る力が強くなる。


「あの、もしよろしければ、席をくっつけますか?」


 恭哉とイズミに水を持ってきた店員が、空気を読まず、口を挟む。


「いえ、結構です」


 イズミが、柔らかい口調でピシャリと言い放った。


「かしこまりました。ご注文がお決まりの際、お呼びください」


「せっかくの心遣いでしたのに、申し訳ありませんね」


 イズミが軽く会釈すると、店員は奥にはけていった。イズミが小さく息を吐くと、力のこもった鋭い目で恭哉を見据えた。


「恭哉くん」


「はい?」


「わたくし、用事を思い出してしまったの。だから、わたくしはお暇しますね」


「えっ、イズミちゃん…?」


「……。わたくし、恭哉くんは婚約者さんと一度しっかり話し合うべきだと思うの。遊ぶなら、婚約者の許可を得てからにすべきだわ。恭哉くんの口ぶりで、婚約者さんは納得しているんだとばっかり思っていたけれど、それはわたくしの勘違いだったみたいね。美しい彼女の顔を、苦しみで歪めさせてはいけないわ」


 真剣な眼差しだった。瞳に鋭利な刃物を宿している。強く、芯のある女の人だ。あの瞳で見つめられたら、動けなくなってしまうだろう。


「ごめんなさい。彼女でもなんでもないのに、でしゃばってしまったわね。でも、婚約者さんのこんな辛そうなお顔は、見ていられないわ。だから、今日はお暇させていただきますね。恭哉くん、もし、まだわたくしとデートをしたいって思って下さるのなら、その時までに、婚約者さんの納得を得てくれると、嬉しいわ」


「えっと…」


 言い淀んでいる恭哉を無視して、イズミはコートを手に取り、立ち上がると、私と恭哉を交互に見て、ふわりと優雅な微笑みを浮かべる。


「それじゃあ、ごきげんよう。またお会いできたら、今度は楽しくお茶しましょうね」


 イズミはそう言い残すと、振り向きもせず、喫茶店を後にした。


 誰も言葉を発さない。恭哉は喫茶店の入り口の方を、立ち上がるか立ち上がっていないのか微妙なただずまいで、呆気に取られたように見つめていた。

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