第3章 9話 高嶺の花
「どうして」
柚葉が去った庭園で、翔磨は1人、ぽつりとつぶやいた。
翔磨は、人に必要とされることがこの上なく好きだった。人に求められれば求められるだけ、自分が価値のある人間に感じられるから。
昼間見た柚葉は、可憐な見た目に反して、かなり野太い声を出すものだから、そのギャップが面白くて、思わず声をかけてしまった。
翔磨が声をかけた時、柚葉は目を見開いて、一瞬固まった。翔磨は、自分の容姿に見惚れていたのだと、瞬時にわかった。
きっと、柚葉も翔磨の顔がタイプか何かなのだ、と思う。あの忌々しい母親に似て、顔だけはいいから、柚葉が顔に惹かれ、見惚れていたとしても、なんら不思議ではない。
段ボールを運び終えたケントが、柚葉のことを「孤高に咲く高嶺の花」、なんて形容していたけれど、おそらくそうではなく、彼女の印象を、あの容姿端麗さから、周りが勝手に作り上げただけだろう。
どこにでもいる普通の少女。ただ、類稀なる美貌から、とっつきにくいと見なされ、人から敬遠されてしまった、少女。人の優しさ、愛情に慣れてないだけの、不器用な女の子。それが柚葉に対する、印象だった。
夕飯後、中庭に向かう柚葉を見かけた時は、しめしめ、と思った。彼女が難攻不落の高嶺の花と思われているならば、僕が落としてみよう、と思ってしまったのだ。
僕に、僕だけに、依存してくれればいい。
柚葉が周りから価値のある人間と認識されているのならば、そんな彼女に依存されている僕も価値のある人間として、認められることになる。それに、今日の反応を見るに、柚葉は、僕に対して好印象を持っているはずだ。
わざと悲しそうに声をかけたら、柚葉は慌てて、自分の心のうちを話してくれた。話を聞いて、やはり彼女は、人との程よい距離感を知らない普通の女子中学生だ、と確信を持つことができた。
ここまで心を開かせてしまえば、あとは簡単だ。嘘の話に本当の話を混ぜて、柚葉に共感してあげればいいだけ。そして、優しく微笑みかけるだけ。それだけで、彼女の心を掌握できるはずだ。
そう、思ってたのに。
翔磨の顔を見上げ見た彼女の顔は、恐怖で歪んでいた。翔磨は、彼女の表情が理解できずに、一瞬フリーズしてしまった。
何故、君はそんな顔をしているの…?
声にならない疑問が、翔磨の心を渦巻く。
翔磨と柚葉がそんなやりとりをしていると、まるで図ったように、柚葉の後輩と思しき男が、翔磨のことなど気にも留めずに、柚葉を連れ去った。柚葉は、柚葉で、その少年に向かって、心底安心し切った笑顔を、彼に向けていた。
「なんでなんだ…」
翔磨はもう一度、声を漏らす。
何故、柚葉は僕に怯えた表情を見せたのだろうか。
僕に好意があったんじゃないのか?
僕は何か「失敗」をしてしまったのだろうか。
わけがわからなくて、頭を抱える。
もちろん、翔磨だって、全員に好かれてきたわけじゃない。偽善者、鼻につく、と嫌われることも、多々あった。しかし、翔磨に嫌悪感を抱く者はあれど、誰も翔磨に「恐怖心」を持つ者は誰一人としていなかった。
息を吐いて、空を見上げてみる。星々が翔磨に語りかけるよう、朧げに輝いている。
肌寒いから、部屋に戻ろうか。でも、もし、まだエントランスに彼らがいたら、どうしよう。
そう思うと、ぐっと腰が重たくなる。しかし、いつまでも、ここにいるわけにはいかない。
立ち上がり、寮に戻る決意をするも、臆病な翔磨は、まだ柚葉と少年がいないか、確認をするために、寮まわりに生えている常緑樹の茂みから、寮の窓の中を覗き込む。
そこには、2人が楽しそうに手を振りあっている姿があった。
本当なら、自分がああやって柚葉と笑い合っている予定だったのに。そう思うものの、先程の彼女の恐怖に満ちた顔が、頭にこびりついて離れない。
手が届きそうなのに、届かない花。もしかしたら、柚葉は本当に高嶺の花、なのかもしれない、なんてらしくないことを考える。
翔磨は、木陰から柚葉がエレベーターに乗るのを見届けると、エントランスホールに入っていった。
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