第3章 5話 薔薇の花
ほんとなんなの、あいつ。
須崎恭弥は苛立っていた。いつも可愛らしいと思う女の子の笑顔も、今はただ、鬱陶しいと感じる。いつもは美味しいと感じる食堂のご飯も、味気なかった。
ああ、イライラする。全ては、清水柚葉のせいだ。
「ねぇ、恭哉ぁ、どうしたのぉ?さっきから浮かない顔だけどぉ…」
甘ったるい声を出す目の前の女に、思わず、舌打ちをしそうになる。今は勘弁してほしい。
「んー?そうかな?そんなことないよ。オレはいつも通り」
「絶対そんなことないよぉ。あっ!メルちゃん、わかっちゃったぁ!あの
ドンっ、という鈍い音が食堂に響く。思わず、テーブルを叩いて、立ち上がってしまった。自分の行動に、自分でも驚く。"メル"と名乗る女も甘ったるい声を発するのをやめ、目を見開いてこちらを見ている。
「ごめん。やっぱり、具合良くないみたい。ご飯も喉通らないし、部屋で休むことにするよ」
「え、恭哉!?」
目を逸らしながら、隣にいる女の子に軽く微笑み、足早に、その場から離れる。
これ以上、彼女の話を聞きたくなかった。彼女が柚葉を悪く言うのを聞いていられなかったんだ。
我ながら矛盾している。今まで女の子たちの前で、散々、柚葉の悪口を言ってきたくせに。女の子たちが柚葉の悪口を聞くのを、快楽としてたくせに。なのに、なんで今になって、柚葉の悪口を聞きたくない、なんて思うんだろう。
恭哉は、授業を受ける気にもなれず、寮の部屋へと戻る。
幸いなことに、今年度の初めの方は真面目に授業を受けていたこともあり、ここからの授業、全部バックレても、単位は足りる。
がらんとした広い部屋のベッドに腰掛ける。不必要な物を全て削ぎ落としたような、シンプルな部屋。恭哉はこの部屋が好きだった。
今日の柚葉も儚かった。
アッシュグレーの長い髪が光加減で黒のように輝き、その中にある唇の
本当は、あんな酷いことを言うつもりはなかった。
だけど、2日前の保健室の件があったから、わざと挑発したというのは、あると思う。無作法な言葉を浴びせて、柚葉がどう出るか試したのだ。
「はぁ、呆れた。口だけ達者になって。そんなことに時間を費やす暇があったら、自分の立ち居振る舞いを見直しなさい」
なんて、ピシャリといい返されることを期待していた。
だけど、柚葉は、何も言わなかった。ただ黙って、その場で俯いているだけだった。
自分が悪いことをしているみたいで、居た堪れなかった。悪いのは、いつも冷酷冷淡でいる柚葉なのに。
しかも、なんか、知らない童顔の男にずっと触られて、支えられてるし。男は、一条の繁栄のためにしか必要ない存在なんじゃないのかよ。
以前、恭哉は柚葉に、好きな人はいないのか、と聞いたことがある。柚葉が小学6年生で、恭弥が中学2年生の頃だった。たしか、夏休みで京都に帰省していた時のことだったと思う。
柚葉と恭哉は6畳ほどの和室の一室で、向き合って座っていた。親同士が親睦を深めなさい、と用意した場だ。
「ねぇ、柚葉ちゃん。好きな人とかいないの?」
ただの雑談のつもりだった。もし、好きな人がいたら、年上のお兄さんがアドバイスしてやろう、くらいの気持ちで聞いたのだ。
でも、柚葉は、雑談を雑談とも捉えないで、
「いないわ。好きな人なんて、必要ないもの」
と、
「いや、でも、気になる人くらい、できたことあるでしょ?」
焦る。なんとかして、話題を続けなければ、自分が攻撃される、そんな予感がした。
「恭哉さん」
キリッとした力強い瞳を恭哉に向け、柚葉が恭哉の名前を呼ぶ。予感が確信に変わった。
「はい」
あぐらから正座に座り方を直し、背筋を伸ばして、聞く体制をとる。恭哉なりの構えだ。
「あのですね、恭哉さん。恋愛なんてものにうつつを抜かしている暇、ないんですよ。私も清水の家の者として、1日でも早く、立派な大人にならないといけないんですから」
淡々と言い放つ。時折、扇風機の風があたり、柚葉の髪がサラサラと揺れていた。
「友人も、清水の家に利益があるかどうかで、決めています。恋愛もそれと同じように考えています。なので、恋愛はしません。男の友達も、利益がなければ作るつもりはありません。恭哉さんがいるのに、他の男性と仲良くするなんて、体裁が良くありませんから。だから、そんなくだらないことは金輪際、聞かないでいただきたいです」
頭をレンガでガツンと叩かれたような気がした。衝撃的だった。こんな考えの少女がいるなんてこと、思いもしなかった。まるで柚葉は、別の世界の住民のようで、本当は、12歳の女の子の形をした心ないロボットなのではないか、と疑念を抱いたほどだ。
だから、柚葉が中学に上がり、家柄も特に何もない
そして、今日、柚葉は食堂で、知らない男に支えられていた。しかも、柚葉から腕を取って、一緒に食堂から出て行った。訳がわからない。今までの彼女の言動と整合性がとれない。
「ほんと、なんなの、あいつは」
ベッドを思いっきり殴る。殴った衝撃は、ベッドに全て吸収され、殴った気がしなかった。気持ちを発散させたかったのに、むしろ、不完全燃焼になってしまった。余計にイライラする。
いつだって、恭哉は柚葉の言動に腹を立ててきた。でも、今回は、腹の立ち方が、妙に違う。
いつもは彼女の生意気な態度と、恭哉を見下した態度にムカムカしていたが、今、恭哉の心の中にあるのは、モヤモヤしたやり場のない、よくわからない怒りだ。こんな気持ちに、初めてなった気がする。
あんな儚い女じゃなかっただろ。美しい見た目をして人を魅了するくせに、触れようとする者を針で刺す薔薇のような女だっただろ、と内心で毒づく。
それに何より、柚葉のそばにいた男が、どうにも気になった。
婚約者である恭哉には、触れることも、触れさせることも拒んできたのに、あの男には、いとも容易く
気に食わない。何もかも気に食わない。婚約者は"オレ"なのに。
そこまで思考して、恭哉はハッとする。柚葉の婚約者なんて、反吐が出るほど嫌だったのに、何を考えているのだろう。
頭を軽く、数度叩く。
冷静になろう。あの男も、実は、由緒正しいお家の息子で、柚葉にとって利益のある男なだけかもしれない。
そうだ、そうに違いない。そう考えれば、全て納得がいく。
利用価値のある男の前で、粗相なんてできないから、ああいう不可解な行動を取ったのだ。
恭哉はすくりと立ち上がる。
少し、探りを入れてみよう。
中等部の校舎へと、足を向ける。恭哉の部屋のドアが閉まる音が、広い部屋に響いた。
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