第3章 3話 不躾な言葉
箸を持ってテーブルに戻った拓海と、語らいながら過ごす朝食の時間は、とても楽しいひとときだった。
「なんでこんなに席が空いてるのに、私の隣に座ったんですか?」
ふと疑問に思い、拓海に問うてみた。
「いつもは仲良い友達と食べてるんですけど、そいつら、今日朝練で。俺は朝練なかったもんだから、どうしよっかなーって思ってたら、いい席が空いてたんで」
「てか、俺、後輩なんで、敬語じゃなくていいですよ」と拓海が付け加え、眩しい太陽のような笑顔を、私に振りまく。
「そう…?じゃあ敬語やめるけど…。いい席って…別に、ここじゃなくても。他の席だって空いてるのに…」
「へへ、ここじゃなきゃ、駄目だったんですよ。実は前々から、先輩のこと気になってたから、お話できるいいチャンスじゃないですか」
「気になってたの…?」
「はい」と、拓海がにこやかに笑う。
出た、必殺天然人たらし、と私は、瞬時に思った。拓海は人から好かれる性質を持っていた。本人は無意識なのかもしれないが、持ち前の素直さと明るさで、どんな気難しい人の懐にも入っていってしまう。
乙女ゲーム本編では、男嫌いの主人公、
「俺、全然先輩のこと知らなかったんですけど、2年の間で話題になってるんです。3年生に綺麗な先輩がいるぞって。容姿端麗、一匹狼、高嶺の花って感じで。だから、どんな人なのかなーって気になって」
「いや、そんなことはない…と、思うんだけど…」
口籠もる。だって、そんなことあるって思うから。一条めぐは綺麗な女の子だった。透き通る白い肌に綺麗に整った顔立ち。主人公の大親友として描かれている彼女も、主人公と同様、美しく描かれていたのだ。
陽愛は、微笑めばその場にパッと鮮やかな花を咲かせるような女の子なのに対し、めぐは、すらりと伸びた一本の花のようで、立ち居振る舞いの美しい、清楚で気品のあふれる女の子であった。
「ここ2日間、柚葉先輩、食堂でご飯食べてるじゃないですか。今まで食堂で食事をする姿、見たことなかったのに。だから、余計ここ最近、噂になってたんです」
そうだったんだ、知らなかった。じゃあ、彼女は一体、今までどこでご飯を食べていたのだろう。こんな豪華な食堂があるのに、もったいない気がする。
「うーん、みんなで食べるのも悪くないかなって、思って…」
曖昧にぼかして、答える。それを勘違いしたのか、拓海は食事をする手を止め、慌てて私に向き合う。口の中に入ってたものを飲み込むと、早口で言葉をこぼしはじめた。
「あ、すみません…!俺、めっちゃ無神経ですね!?噂に流されて、気になる〜とか言って、近づいて、野次馬根性丸出しだし…。でも、俺自身、噂に流されて気になってわけじゃなくて…って、いやほんと、何言っても言い訳にしかならないですね…どうしよう…」
慌てふためき、手をバタバタさせる姿が、面白い。
「ふふっ」
思わず笑みが溢れる。
「あっ…、えっと…」
「ごめんなさい…。慌ててる様が面白かったから…。ふふっ。でも、人の失敗を見て笑ってる私も失礼でしょ?これでおあいこ」
今度は、拓海の目を見て、許すよ、と伝えるように微笑む。彼の目が一瞬、見開かれた気がした。
「あはは、先輩、優しいですね。ありがとうございます」
大袈裟に深々とお辞儀をする。
「どういたしまして。じゃ、ご飯食べるよ」
こうして私たち2人は、おしゃべりしながら朝食の時間を過ごし、2人で中等部の校舎へと向かうことにした。
重厚な食堂のドアに手をかけ、開けようと一歩踏み出した瞬間、体全体に衝撃が来た。ちょっとだけよろめく。
「あっと…、ごめんなさい……って、あれ?柚葉ちゃん?珍しいね、食堂で食事を取ってるなんて。いつも部屋に持って行くのに」
頭上から聞き覚えのある声が降ってくる。どうやら私は、不運にも恭哉とぶつかってしまったらしい。自分のおでこを軽く抑えながら、彼との距離をとる。
「あああ、柚葉先輩、大丈夫ですか?」
私の体を心配するように、拓海の手のひらが肩を包む。
「え、嘘でしょ?もしかして、男と一緒にいるの?どういう風の吹き回し?明日は大雪かな?」
あまりにも不躾な言い草に、思わず、キッと恭弥を睨んでしまった。恭哉の横には見知らぬ女が立っていた。
「なにこの女、睨んでるんだけど…こっわ…。ねぇ、恭哉ぁ、この女誰?恭哉の新しい女?」
甘ったるい猫撫で声を出し、恭哉の胸に指を当て、円を描いている。
「やだなぁ、君みたいな可愛い女の子がいるのに、他に女、作るわけないでしょ。彼女はオレの
「ああ例の」と、女の子がこちら見て、冷ややかな笑みを浮かべる。例のって何。他の女にどういう話をしているの、この婚約者は。
「え、柚葉先輩、許嫁がいるんですか…?」
拓海が目を丸くして、数度瞬きをする。返答をしたのは恭哉だった。
「んー、柚葉ちゃんは、京都の大きな茶道の家元の娘だからね。政略結婚しなきゃいけないんだよ」
「え…、政略結婚ってそんな……お互い好きじゃない人と?」
「そうそう。お互い好きじゃない人と。オレも、柚葉ちゃんも、お家のために結婚する約束してるの。全く馬鹿げてるよね」
恭哉はわざとらしく肩を竦め、続ける。
「でも、おかしいねぇ。君ってば、清水の家の者らしくすることに努めてたんじゃなかったっけ?清水の家の者は、下賤の者たちが集う食堂なんて場所で、食事を取らないんじゃないの?」
横の女がここぞとばかりに、クスクスと笑う。
居た堪れない。明らかに敵意のある嫌味だ。言葉の1つ1つが小さな針になって、私の体をチクチクと刺す。
そういえばそうだった。一条めぐは隙を見せない女として描かれていた。彼女は清水の家の娘であることに誇りを持つと同時に、清水の威厳を保とうと心がけていたのだ。食事を皆の前で取らないのは、少しでも人の前で粗相をする可能性を排除するため。
彼女が彼女らしくいられるのは陽愛と従姉妹の
だらんと下げた腕の指先で、ぎゅっとスカートの裾を握る。
「それに、婚約者以外の男といるなんて、清水家の恥なんじゃない?君がいつも僕に言ってることだよ。不潔だって。品位に関わるから女遊びを控えろって。自分で言ってるのに、自分は男遊びしちゃうんだ」
下品で浅ましく卑しい笑顔だった。
ぐわりと、胸の内にある大きな何かが蠢く。私の中から泥水のような感情が喉元まで這い上がってくる。
私自身に言われている訳ではないけれど、胸が苦しくなる。人を傷つけるために悪意丸出しで吐かれる嫌味は苦手だ。外側からチクチクチクチク私の体を突き刺し、私の汚い感情を露出させる。私が爆発すれば、自分はそんなつもりじゃなかったとのたまい、被害者ヅラをする、下劣で卑怯でずるい奴がする手法。
こいつに大声で反論したい。「一条めぐはそういう人間ではない」と言い放ちたい。でも、できない。私は泥水を口に出すことが不可能なことを知っているから。口から出る前に、涙となって溢れてしまうことを知っているから。
「そんな言い方、ないんじゃないですか!俺が勝手に柚葉先輩に付き纏っただけなのに」
一歩前へ歩み出た拓海のブレザーの裾を引っ張り、彼の言葉を停止させる。
「いいの。大丈夫。何も言わなくていいから」
握っている拳が震える。瞳の中が微かに揺れた。
「でも…」
「言いたい奴には言わせとけば、いいの。こんな奴に、言葉を浪費する必要、ないんだから」
声が震える。あと少しで、出したくもない水が、目から出てきてしまう予感がする。その前にここから立ち去らなきゃ。
「行こう」
と、私は強引に拓海の腕を掴み、食堂を後にした。
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