第3章 2話 天能拓海



 結局、昨夜は一睡もできないまま夜が明け、私は今、眠い目を擦りながら、寮の食堂にいた。


 ソフィーリア学院の寮全体が、ゴシック調で統一され、アンティーク物で着飾られていることもあり、学生寮の食堂だというのに、厳かな雰囲気を醸し出している。

 こげ茶の長机がいくつも並べられており、飾り彫りのフカフカな椅子が、身体によく馴染む。

 大半の寮生は、ここで食事を摂り、厳かな雰囲気をものともせず、仲の良い友達と大きな声で笑い合い、騒ぎ、中身のない会話を繰り広げている。


 そんな喧騒の中で、私は、小洒落たトレーに乗せられた焼き鯖定食を、1人淡々と舌に乗せていた。

 陽愛ひよりは自宅から通ってるため、寮にはいない。一条めぐ自身、特別仲がいい子がいるわけではなさそうで、今のところ朝晩と1人で食事を摂っている。


「あの、すみません。ここ隣いいですか?」


 ふいに、男性に話しかけられる。今まで食堂で誰かに話しかけられたことなどなかったものだから、驚き、体がびくりと跳ねてしまった。

 彼は、私の返事を待たずに、隣の席に腰掛け、自分のトレーをテーブルに置くと、私のトレーの中を盗み見る。


「うわっ!鯖定食めっちゃ美味そうですね!あー、俺も鯖定食にしとけばよかったな」


 そう無邪気に言う彼を、私はよく知っている。黄褐色おうかっしょくの大きなくりくりのお目目に、はたまた、黄褐色で軽く癖の入ったショートヘアを持つ童顔の彼は、


天能 拓海てんのう たくみ…」


 思わず、呟いてしまった。


「あれ?俺のこと、知ってるんですか?うっわー!もしかして、俺って超有名人?」


「あ、いや!………すみません。見知らぬ人が名前知ってたら気色悪いですよね」


「そんなことないですよ!むしろ、嬉しいです。俺、人気者なんだなーって思えるんで!」


 そういうと拓海はチラリと私の胸元に視線を落とす。


「あ、先輩だったんですね!…てことは、来週卒業しちゃうんだ」


 おそらく彼は、私の着ているブレザーの紋章を見たのだろう。ソフィーリア学院では、入学年度毎に、ブレザーの紋章の色が違う。現在は、1年生が青。2年生が黄色。そして、私たち、3年は赤だった。


 拓海の紋章を確認すると、やはり、黄色。ゲーム通り、陽愛の一個下の後輩だ。

 

 拓実はトレーに置かれたカレーをがっつき始める。


「卒業シーズンってなんだか寂しくなりますよね。俺、この時期嫌いなんですよ。見知った人たちがいなくなっちゃって寂しいって言うんすかね。まぁ、卒業式が終わったら、また新しい出会いがあるんですけど…。えーっと…先輩、お名前は…」


「清水、柚葉です」


「柚葉、先輩ですね。覚えました」


 お皿に盛られた山盛りのカレーで頬をいっぱいにしながら、こちらに無邪気な笑顔を向ける。小動物みたいで、なんだか可愛らしい。

 さりげなく、下の名前で呼ばれたが、こういう距離感の少年なのだ。気にしないでおこう。


「柚葉先輩、今こうやって俺たち、出会ったわけじゃないですか。なのに、出会ったばっかで、もう卒業なんて、寂しいなーって思っちゃったんですよね」


「うん、私は、来週卒業予定です。だけど、校舎は変わっても、寮でこうしてまた会えますよ。中高ごちゃ混ぜの寮なんだから。それに、中高一貫校なんだし、来年になれば、拓海くんも高校生になって、同じ校舎で学ぶことになります」


「あっ、そうか」


 そう言うと拓海は食べていた手を止め、体ごとこちらに向き直り、目を輝かせて、私の手を取る。

 カランっと箸が落ちると音がした。


「うわぁ!先輩って天才ですね!確かに確かに。来年になればまた卒業してった先輩たちと会えちゃうわけですもんね!」


 「うん、そうだそうだ」と、1人頷いている姿が、人懐っこい子犬が尻尾を思い切り振っている姿を連想させる。ゲーム通りの親しみやすい人柄の少年だと思う。


「てか、すみません!俺、柚葉先輩の箸、落としちゃいましたね。箸とってきますね!」


口元に米粒を数粒つけながら、ドタバタと食器がまとめて置いてある棚へと向かった。


 嵐のような人だな、と思う。嵐のようにやってきて、嵐のように去る。彼の方を目で追っていると、彼は知り合いらしき男性に捕まっているようだ。私の箸のことなど忘れて、談笑している。

 拓海らしいと思う。何事にも真っ直ぐで素直で幼い少年のまま育ったような人。猪突猛進で、一つのことしかできないのがたまにキズだけれど、そういうところも含め、可愛らしいなと思う。


 うららかな日の光が、食堂の大きな窓から差し込む。この2日間で、この生活が慣れたわけではない。だけど、この世界の人々と接することに慣れてきた。ゲームのキャラクターだと身構えていたが、それ以前に、彼らは1人の人間であることを認識することができた。

 だから、私は、陽愛と接する時は、友達の咲子に接するように、クラメイトと話す時は、現実のクラスメイトたちと接してたときのように、現実の世界と寸分も変わらぬ対応を心がけた。そうしているうちに、自然とこの世界の人とうまく関われるようになってきた。


 拓海は、知り合いから解放されたのか、1人、食器棚のあたりをうろついていた。私が見ていることに気がつくと、私に向かって大きく右手を振る。その無邪気さが愛おしく、つい笑みが溢れる。私もそれに返すように左手を小さく挙げた。

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