第2章 3話 須崎恭哉
1限目と2限目の休憩時間、2人は私の前に立っていた。
洲浜 陽愛と須崎 恭哉(すざき きょうや)。
金髪をツンツンと立てた髪に、髪からちらりと覗かせてる耳には3つのピアスを、赤目で吊り眉の、いかにもチャラい男である風貌の彼は、『桃ロキ』の攻略キャラクターの1人であり、一条めぐ、つまり、今の私の許嫁だ。
私はベッドに腰掛け、2人のことをじっと見つめて、2人の会話をただただ聞いていた。
「ごめん…、柚葉…。連れてくるつもりじゃなかったんだけれど、彼がついてきちゃって…」
陽愛が申し訳なさそうに謝る。
「いや、陽愛ちゃんが謝らないでよ。オレが無理矢理ついてきたんだからさ」
恭哉が陽愛の肩に腕を伸ばす。それを陽愛は「やめてください」と、睨みながら言い放ち、彼の動作を停止させた。
「そもそもなんで、須崎先輩が中等部にいるんですか。須崎先輩、高等部の2年生ですよね」
陽愛は可愛い顔を歪めながら、恭哉を睨みつける。
「んー、可愛いオレの女の子がね、休憩時間にも会いたいっていうから中等部に飛んできちゃったんだ」
いかつい見た目に反して、人懐っこい笑顔を作りながら、恭哉は歯痒いセリフを言う。
「嘘ですね。授業、サボってたんでしょう、その女の子と。先輩、本当にありえないです。清水柚葉という可愛い許嫁がいながら、なんでそんな酷いことできるんですか!」
睨みつけたまま、泣きそうな声で陽愛は訴える。
「柚葉の傷つくこと、なんでそんな簡単にするんですか…。ありえないです、本当に」
きっと、本物の一条めぐならば、今にも泣き出しそうな陽愛に対して、「私なら、大丈夫よ。だって傷つかないもの。だから、こんなクソ野郎のために、感情を出すなんてもったいないことしないで」と言い、恭哉を非難しつつ、陽愛を慰めるのだろう。
だけど、私は一条めぐの姿をしていても、一条めぐ自身ではない。私は、愛がなかったとしても、許嫁がこんなに女っ早いことを許すことができるのだろうか。
そもそも、恭哉が女好きなのには理由がある。乙女ゲームあるあるだが、女好きなキャラには、何かしら理由があり、実はピュアで、主人公で本物の愛を知る、というお決まりのパターンがある。この須崎恭哉も例に漏れない。
須崎恭哉は元来、優しい少年であった。自分自身が有名な茶道一家の分家の生まれであることを理解し、立場を弁えていたし、親が自分自身を利用することも構わないと思っていた。
だけれど、自分より2歳年下の女の子、一条めぐが「家のため」なんていうくだらない理由で、未来を縛られてしまうことを、そして、無理矢理、自分自身と結婚させられることに対して、憤りを覚えた。
初めて、恭哉とめぐが会った日、めぐは小学5年生であった。秋の涼しい日のことだった。
めぐに会うために、東京の中学を休み、新幹線で帰ってきた恭哉は、めぐが、どんな女の子なのか気になり、ワクワクしていたのと同時に、親に生き方を決められているめぐをかわいそうに思い、ひどく同情していた。
一条家のある一室に案内されると、その和室の真ん中あたりに、めぐはいた。まるで、一輪の花のようだ、と恭哉は思った。すっと伸びた背筋が美しい少女で、恭哉を見据えるアメジスト色の瞳には、小学5年生とは思えない強い意志を宿しているようで、恭哉は底知れぬ恐怖を感じた。
「はじめまして、一条めぐと申します」
そう口にし、お辞儀をするめぐの所作は、あまりに美しく、恭哉の心を一瞬で掴んだように思う。畳の独特の香りが鼻をくすぐる。
挨拶を終え、めぐと恭哉と2人で庭園に出ると、
「うん、思ったより、悪くないかも。かっこいい人で安心した」
と、めぐが開口一番でそう言い、「やっぱり、どうせ結婚するならかっこいい人がいいもんね」と、恭哉にまだあどけなさが残る笑顔を向けた。先程までの凛としている姿が嘘だったのかと思うほどに、年相応の悪戯な笑顔だ。
「あの、一条さんは、オレとの結婚、嫌じゃないの…?」
「嫌じゃないわ、別に。私が「一条」で生まれてしまった以上、どうしようもないことだもの」
「う、うん、でも…」
「それと、一条さん、じゃなくて、めぐ、でいいわ。貴方もいずれ、一条になるんだし」
めぐは、幼いながら、恭哉以上に、自分の立場を弁えていた。それが余計に彼女の不憫さを際立たせる。こんなに幼い彼女が、まだ未来のある少女が、親に勝手に決められたレールを無理矢理走らされるなんて、なんて不憫なのだろう。
いつの間にかめぐの手には、紙コップがあり、池の鯉に餌をあげていた。手の行き届いた庭園はとても綺麗で、紅葉がめぐの美しさを一際引き立たせている。
「いちじょ…、ううん、めぐ、ちゃん。本当に、オレと結婚していいの?」
「うん、いいよ。イケメンだったし、私ってついてるよね」
視線は池に落ちたままだったが、めぐが小さく微笑むのがわかる。そうやって諦めたように微笑むのはなんで?
「結婚を決めるの、早くない?だってまだ君は11歳なんだから」
「確かに少し早いかもしれないけれど、昔の人は14歳で結婚してたらしいし、人間という種から考えると、別に変なことじゃないんじゃないかしら」
平然と言い退ける。そうやって、親に説得させられたのだろうか。親に説得されて、仕方なく、恭哉と結婚するのだろうか。
「ねぇ、めぐちゃん、そうやって、諦めちゃダメだよ。一条で生まれたから仕方ない、なんて思っちゃダメだ。君だって、好きな人と恋をして、君の人生を謳歌すべきだ。こんな親に決められた人生しかないなんて、可哀想だよ。めぐちゃんが、可哀想だ」
言ってやった。そうだ、諦めちゃダメなんだ。不憫でいる必要なんてない。家なんてものは、大したことないのだから。
鯉に餌をやる手を徐に止め、めぐは視線を池から恭哉の顔に移す。
「私が、可哀想…?別に、私は可哀想じゃないわ。私の意思で、一条に従うと決め、一条で生きると決めたの。私を勝手に可哀想な女の子にしないで」
スッと、背筋の伸びた一輪の花になる。「少女」ではなく、凛として美しい女性になる。
恭哉を見る目が、恭哉に浴びせる声が、まるで鋭い刃物のようだ。
「貴方は、私のことを可哀想、可哀想、というけれど、本当に、可哀想だと思っているのは、私のことではなくて、貴方自身なんじゃないの?」
「え…?」
「私のこと可哀想と思うフリして、同じ境遇の自分に同情してもらいたいだけでしょう。もしくは、本当は貴方自身が政略結婚を嫌だと思っているか」
めぐは恭哉の言葉を待たずに続ける。
「私を利用して、貴方の思いを私に押し付けないで。私と貴方はちがう人間で、考えてることも感じることも違うのだから、私に対して「可哀想な人間」っていうラベリングを勝手にしないで」
ポチャンと池から鯉が跳ねる音がする。めぐの言葉はゆっくりと静寂に包み込まれた。
先程まで、萎れた可哀想な花だと思っていためぐの小さな体からは、生命力が溢れている。1人で生きていける強さを持っているように思う。
恭哉は何も言えなかった。沈黙を破ったのは、めぐだった。
「そうね…。そんなに私が可哀想だと思うなら、契約しましょう。お互い、本気で好きな人ができたら別れるって。でも、もし、結婚までに本気で好きな人ができなければ、このまま結婚する。そういう契約をしましょう」
めぐはそう言うと、「うん、それ、いいかも」と呟き、凛とした花のような姿のまま、作られた能面のような笑顔を恭哉に向け、軽く会釈し、そそくさと母屋に入っていった。
その後、めぐが持ってきた「けい約書」と書かれた紙に、お互いサインし、その日の顔合わせは終わった。
恭哉は、時間が経つごとに、その日の出来事を腹立たしく思うようになった。年下の女の子に言い負かされてプライドが傷ついたからかもしれないし、痛いところを突かれて虫の居所が悪くなったからかもしれない。はたまた、自分の優しさを無碍にされた腹いせかもしれない。
とにかく、恭哉はめぐが気に入らなくなった。なにより、何があっても凛とした姿を崩さず、弱さを見せず、強い女でいようとするめぐを不愉快に思った。そして、この先、彼女と一生を添い遂げることを思うと、吐き気がした。
何度か会っているうちに、恭哉は、めぐは、何よりも家を大切にする女であることを知った。だから、めぐは好きな人を作って、恭哉と別れるなんて、愚かなことはしないであろうことは容易に想像ができた。
だったら、嫌われよう。嫌われて、めぐに婚約を破棄してもらおう。恭哉からの婚約破棄は、聞いてはもらえないけれど、家に力のあるめぐが言えば、婚約破棄することができるかもしれない。
生憎、恭哉は恋や愛というものを知らなかったし、永遠の愛というものに、憧れこそ抱いたものの、自分自身が本気で人を愛する姿を想像することすらできなかった。だから、めぐに嫌われるしかない、そう考えたのだ。
そう決意を固め、どう嫌われようか毎日考えてた頃、めぐが同じ学校に入学してきた。
だから、彼女に見せつけるように、わざと茶道に合わない髪色にし、ピアスの穴を3つも開け、女の子にちょっかいをかけるようになった。
なのに、めぐは恭弥を嫌う素振りを見せない。仕方のない人だとただ呆れ返り、恭哉を見下すようになっただけだった。
「あんな男一条家に相応しくない」と親族に言われれば、「アレは家に反抗しているだけだと思います。年頃ですからね。わたくしと結婚したら、否が応でも、落ち着かざるを得ないことを本人もわかっていると思うので、大丈夫ですよ」などと、中学1年生のくせに澄ました顔でのたまう。
めぐに嫌われるために、めぐの親友である陽愛に手を出した時は、いつも冷静なめぐの顔が真っ赤に歪み、本物の鬼だと錯覚するほどの形相で大激怒されたが、それでもやはり、婚約破棄には至らなかった。
めぐが欲しいのは、自分ではなく、自分の家の名前なのだと、痛感する。家のためなら冷酷になれる最低な女、それが恭哉のめぐに対する印象だった。
そんな恭哉だったが、大嫌いである婚約者が倒れれば、ちょっかいをかけていた女の子を置いて、見舞いにくるといったような優しさを、彼はまだ持っている。
心根はいい人なのだと思う。
だけど。
だけど、私は須崎恭哉があまり好きではなかった。どんな理由であれ、許嫁を傷つける行いをする男が、本当に優しいわけがない。
一条めぐは、『桃ロキ』の主人公でも攻略キャラでもないから、本当はどう思っていたのか、詳しくは描かれていない。だけど、好きではないとはいえ、婚約者が他の女に手を出して気持ちがいいわけがない。
彼にとってはくだらなく見えた家も、彼女にとったら大切なものだったのだし、それを蔑ろにする恭哉に対して、快い感情を抱くわけがない。
それに、めぐが東京に出たのは、6年間だけでもいいから、一条家から離れたいと思ったからだ。めぐだって、あの環境を甘んじて受け入れてたわけではない。めぐは強い女だけれど、それでもやっぱり、等身大の15歳の女の子なのだ。
『桃ロキ』の中では、恭哉のめぐに対する、お家に対する劣等感や、恭哉とめぐが和解するシーンも描かれている。恭哉の劣等感に共感するところもあったし、乙女ゲームということもあり、ばっちりキャラ萌えする所もあった。だからこそ、恭哉ルートも3周くらいはしたけれど、めぐを疎かにするという点において、恭哉を好きになることができなかった。
一条めぐは、強い人間だ。だけど、私はめぐのようには生きられない。私は今、めぐの姿をした清水柚葉でしかなく、彼女自身になりきることなんて、絶対にできない。
ならば、と私は思う。
この世界でしばらく過ごさなければならないならば、私は、私らしく、この世界の人たちと向き合うことにしよう。一条めぐ、としてではなく、清水柚葉、として。
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