第2章 4話 心境



 目の前の陽愛(ひより)と恭哉のやりとりを聞きながら、私は何をどう言葉にすればいいのかわからず、押し黙る。


 私にとって、この人たちは、芸能人のような存在だ。私は存在を知っていて、情報として色々なことを知っているけれど、彼ら自身は"本物"の私のことは知らない。だけれど、今の私は「一条 めぐ」で、彼らも知る人物となっている。


 複雑だ。複雑でややこしい。


「柚葉、具合は平気?2限目も具合が悪かったら休むんだよ」


 突然、私に矛先が向けられる。清水柚葉として向き合う、と決めたが、どう接していいかがわからない。

 私は、こくりと、小さく頷くことしかできなかった。


「柚葉ちゃんがこんなにしゃべらないの珍しいね。本当に大丈夫?オレも流石に心配だな…」


「"流石に"って何ですか。柚葉が心配で保健室まで来たんじゃないんですか?先輩って本当に言葉の端々で失礼で、無神経なこと言いますよね。こんな人が柚葉の婚約者なんて、私が耐えられないです」


 陽愛の柔らかい出立ちからは想像もできないような、強い口調で恭哉を責め立てる。


「ああ、陽愛ちゃん、そんなに怒った顔をしないで。君は笑顔が似合う女の子なんだから」


 キザったらしい言葉が耳に入ってくる。恭哉は、陽愛に言われたことなど、露ほども気にせず、陽愛に向き合い、満面の笑みを陽愛に浴びせている。陽愛は不快だったのか、顔をさらに顰めた。


 わからないことだらけの今の状況だけれど、1つ、確かなことがある。もし、陽愛も私も誰かと結ばれて、ゲームクリアしなければいけないのなら、私は恭哉とは結ばれたくない。陽愛にだって、もっと良物件の攻略対象がいる。恭哉である必要はない。


 スカートの布をギュッと握る。


 親友のために、こんなに怒ってくれる優しい女の子。できれば、メインヒーローポジションの楊井 奏(やぎい かなで)くんと結ばれて欲しい。私は私で、できることなら、一番大好きな悠斗(はると)くんと結ばれたい。

 そうなるように未来を変えることができるのは、"プレイヤー"の私だけだ。


 私は2人をゆっくりと見据える。


「2人とも、心配してくれて、ありがとう。私は大丈夫。今は全然、具合悪くないし、2限目から出られるよ」


 言葉が震える。何かを決意して、言葉にするのはなぜこんなにも難しいのだろう。微笑もうと努めたけれど、上手く微笑めているだろうか。

 陽愛と恭哉が目を見合わせ、アイコンタクトを取る。私の言動を不審がってるのだ。

 一条めぐならきっと、恭哉に対して「発言を慎んで。もっと一条家に相応しい振る舞いを心掛けて。もっというなら、陽愛に近づかないで」みたいなことを言うことは、なんとなくわかっていた。だけど、私には言えないし、言わない。


「ねぇ、柚葉ちゃん?本当に大丈夫?頭とか打った?」


 恭哉が真顔でまじまじと私の顔を見る。胸がドキリと大きく揺れる。これ以上ないほどのイケメンが私を見るのだ。これくらいの胸の高まりは許して欲しい。


「大丈夫だよ、本当に。保健室で休んでいる間にね、ちょっといろいろ考えたんだ。えっと…、たとえば、過去のこととか、未来のこととか…。それで、えーっと、私、変わりたいなって思ったの。どう変わりたいとか、うまく言葉にできないけど。今なら変われそうって思って……。だから、これから私は、私らしくない言動をするかもしれないけど、それも、私なんだって、認めて欲しいというか…なんというか……」


 精一杯、言葉にする。我ながら支離滅裂だ。最後の方は、声になってたか、よくわからない。たくさんたくさん思考しているのに、どうして言葉にしようとすると、うまく言えなくなってしまうのだろう。


 それ以上、言葉を紡ぐことができず、私はただ俯く。


 少しの間の無音。


 膝の上に置かれていた手のひらに、そっと丸びを帯びた柔らかい手が重なり、再び胸がドキリとする。顔を上げると、陽愛が人懐っこい優しい笑顔をこちらに向け、私を包み込むように言葉を発した。


「そっか…。柚葉っていつも色々考えてるもんね。…うん、私、応援するよ。どんな柚葉でも、柚葉だもん。私の大好きな柚葉なことには変わりないもん」


 陽愛の大きな瞳がきらめく。真っ直ぐな瞳だ。真っ直ぐ、私を受け入れてくれる瞳。暖かくて、優しくて、眩しくて、それでいて、少し痛い。


 こんな力強い瞳を見たのは何年ぶりだろう。人と、真っ正面から向き合う、なんてことずっとしてこなかった。それこそ、高校生の時以来かもしれない。歳をとると、"ほどほど"を学び、本気で人とぶつかる、なんてことはしなくなる。だから、こうして、本気で人と向き合い、変化を受け入れようとする陽愛を愛おしいと思ってしまう。たとえそれが、私に向けられたものではなく、一条めぐに向けられたものだとしても。


「ありがとう、陽愛」


 心からのありがとう、を陽愛に送る。私たち2人は忍びやかに笑い合った。





 中等部の保健室を出て、柚葉と陽愛が教室に戻るのを見届けた恭哉は1人、中等部から高等部へと繋ぐ中庭の100mほどある桁橋を歩いていた。橋を吹き抜ける風がまばゆい。


 先程の保健室での出来事を思い出す。

 陽愛から柚葉が倒れた時いた時は、心臓が飛び出るぐらいに、びっくりした。生命力に満ち溢れ、たとえ、地球が滅びようとも強かに生き抜ける強さを持っていると思っていた少女が、なんの前触れもなく倒れたのだ。驚かないわけがない。

 でも、それ以上に驚愕したのは、保健室での柚葉の態度だった。


 狼狽していた柚葉の姿を思い出す。


 「大丈夫」とぎこちなく微笑んだ柚葉の顔が、忘れられない。繊細なガラス細工のように、触れたら壊れてしまうような脆さを持っていた。


 いつも気丈に振る舞っていた柚葉が、初めて恭哉に見せた、彼女の弱い部分のように感じる。


 正直、美しい、と思った。

 いや、柚葉はいつも美しい女だ。だけど、それ以上に、今日の彼女は、儚く可憐だった。


 いつも鷹のような獰猛さを備え、強さを宿すアメジストの瞳が、今日は、か弱い小動物が猛獣に睨まれた時のように怯え、不安げに左右に揺れ動いてた。


 常に力強い言葉を放つ愛嬌のない桃色の唇が、今日は、不安で押しつぶされそうな弱々しさを携え、震えていた。


 肌の白さが、不気味なほど際立ち、彼女の儚さを引き立てていた。


「なんなの、アイツ…」


 頭をかく。今まで見てきた彼女と今日の彼女があまりに違いすぎて、戸惑う。これからどう接したらいいかわからない。


 もしかしたら、柚葉は、今まで誰も知らないところで責任感に押しつぶされながら、震えていたのではないか、と錯覚しそうになってしまう。


 そんなわけがないのに。


 橋の上からチラリと中等部の校舎に視線を送る。


 きっと、倒れたことで気が弱っていたのだろう。また明日から元通りの気の強い彼女に戻るはずだ。

 きっと、そうなる。人は簡単には、変わらないのだから。


「さて、オレも授業受けようかな」


 と、軽い口調で独り言を呟いてみる。


 橋の上に、春ののどかで柔かい風が吹き抜けた。

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