第六章 真の終焉に、新たな今日が始まる《三》
次の日の、昼下がり。
忠光に此度の御役目の報告をするため、善次郎は吹上御庭にいた。
竹箒を手に、掃除に勤しむ。
御役目を指示された八朔同様、御庭には冴えた風が吹き、暖かい陽が射し込んでいた。
(思えば、あの時は、気鬱であったな)
持て余した力を巧く扱えず、怪異絡みの御役目が指示される度に、気が滅入った。
(あれから、五日しか経っておらぬに。景色まで、変わって見える)
広々とした御庭は、見慣れた景色だ。空虚に広く感じていた心情は、もうない。
透き通るような天青も、陽の光を受け輝く雲も、素直に美しいと思える。冴えた風が頬を掠める。五日前とは違った彊直が、善次郎の背に張り詰めた。
奥の四阿に、人影が見えた。竹箒を左手に持ち替え、走り寄る。
善次郎は忠光の前に、低頭した。
「顔を、見せてくれるか、善次郎」
吹上御庭で謁見する時、忠光は毎回、善次郎に同じように促す。善次郎は、しっかりと顔を上げた。
忠光が、得心したように頷き、満足そうに微笑んだ。
「此度の御役目は其方にとり、良い切掛となったようだ。その顔を見られただけで、儂は満足だ。だが、報せは受けねばな」
忠光が笑みを仕舞う。
善次郎も顔を引き締め、忠光に寄った。
「源壽院の怨霊は、黄泉へと送りました。獅子の御霊も福徳稲荷へ戻り、鎮座しております。源壽院へ獅子を宛がったのは、福徳稲荷社の神官・森村縫殿助の死霊でございましたが。彼の死霊も、死神の導きで黄泉へ参りました。目安箱に紛れておった紙の文字は、福徳稲荷の狛犬の書いた文字でございました。狛犬も今は安堵して、在るべき所に鎮座しております」
そこで一度、言葉を区切る。善次郎は息を整えた。
「兄、宇八郎も役目を終え、黄泉へと旅立ちました。潺の皆と、賑やかに見送りましてございます。兄は、笑って逝かれました」
忠光が、小さく息を吐いた。
「……そうか」
忠光の零した一言には、安堵が溢れていた。
怨霊討伐を願い出た時に、忠光が発した一言には、憤りが滲んでいた。同じ言葉だが、響きが、まるで違っている。
善次郎は、胸を撫で下ろした。
「儂からも、其方に伝える話がある。狛犬――いや、獅子が壊された社だが。三社とも獅子像が元に戻ったと、因幡守様から報せがあった。昨日の朝に見付けた権禰宜が、狐に抓まれたようだと驚いておったそうだ」
可笑しそうに、忠光が笑う。
忠光の珍しい表情に驚きながらも、善次郎は安堵した。
福徳稲荷社の獅子の御霊の核を壊した時。滑り込ませた心剣が、荒魂を浄化したのだろう。平生の御霊に戻った獅子たちもまた、在るべき場所に戻った。
獅子像までもが本復したのは意外だった。だが、元の像がそのまま鎮座するなら、重畳だ。
(朋輩がおらぬと悲しむ狛犬は、もう見たくないからな)
胸に温かいものを感じて、善治郎は微笑む。
「それと、福徳稲荷社については儂も因幡守様と共に調べてな。あの社に起きた事実は、多少解した。土地を奪われたのは、
善次郎は、ぱっと顔を上げた。
福徳稲荷の名を忠光に知らせたのは、二日前の、怨霊討伐を願い出た時だ。こんなにも早く動いてくれた忠光の配慮が、嬉しかった。
「有難う存じます。縫殿助殿も、きっと喜ばれましょう。黄泉から見ていてくれると良いのですが」
善次郎の顔を見て、忠光が嬉しそうに微笑む。
「源壽院様の件も、福徳稲荷の神官も、宇八郎の話も、詳しく聞きたい。此度の件で、其方の心持がどう変わったかも、よく話して聞かせてくれ。今度、儂の屋敷に来い。たまには一献付き合え、善次郎」
忠光の顔が綻ぶ。御側御用取次でとしてではなく、父の知己としての笑みだ。
善次郎の心が和んだ。
「勿論でございます。是非、伺わせてくださいませ。……幼い時分の、ように」
照れを隠すのに、語尾は小さくなった。
「父に手を引かれてきた童の頃と同じでは、困るぞ。儂は其方と、酒を飲み交わしたい」
忠光の相好が、浮かれて見える。
「……はい、はい! 儂も、出雲守様に伝えとう話が、山とありまする」
善次郎は嬉しくなって、何度も頷いた。
白い風が、落ち葉を、からからと吹き流す。
それすらも、善次郎には明るい音に、聞こえた。
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