第四章 怨霊の、正体見たり《二》
陽の傾きかけた町中を、人気の少ない道を選び歩く。随分と時が経ったように感じたが、まだ昼七つくらいだろう。
火傷を負った環を、円空が背負って歩く。環は、円空の肩に凭れて顔を隠していた。落雷が命中した体だ。普通の人間なら、死んでもおかしくない。
「環、体が痛むか。手足の痺れなど、残っておらぬか」
善次郎の問い掛けに、環が小さく首を振った。
「あたしは人鬼だから、雷くらい、どうってことねぇですよ。火傷だって、直ぐに治りやす」
平生の環からは想像もできない弱々しい声音に、善次郎の憂いが深まる。
「では、歩くか。そろそろ私の腕が痺れてきた」
善次郎とは逆様の素っ気なさに、環が円空の首を絞めた。
「嫌だ、降りねぇ。皓月堂まで背負って行けよ。あたし一人くらいで痺れる腕じゃぁ、ねぇだろう」
「ああ、苦しい。腕から力が抜けそうだ」
台詞めいた言廻しで、円空が腕を離そうとする。逃がさんとばかりに円空の首に腕を回し、環がしがみついた。
「力を抜けば、あんたの首が、もっと絞まるぜ。しっかと力を入れて背負いやがれ」
二人の常のやり取りに、善次郎は思わず吹き出した。
「思ったより元気だな、環。安堵した。お主に陽気がないと、儂も気掛りだ」
ぱちぱちと目を瞬かせて、環が円空の背中に顔を埋めた。想像しなかった環の反応に、善次郎が首を傾げる。
「体ではなく、心が痛むのでしょう。環は宇八郎様に惚れておりました故」
にべもなく言い放った円空の首を、環の細指がめり込むほどに、強く絞め上げた。
「円空てめぇ! 死ぬ覚悟は、できているんだろうなぁ!」
顔を真っ赤にして惑乱する環を見るに、円空の言葉は事実なのだろう。
「そうで、あったか……」
ぽつりと零し、善次郎は黙り込んだ。環の胸中を思うと、それ以上、言葉が出なかった。
善次郎の顔を見た二人が、ふざけるのを止めて、大人しく歩き出した。
宇八郎の死霊を見た時の皓月も、衝戟を受けていた。今日の環も円空も、其々に思う所があるだろう。
(だが、これではっきりした。兄上は犯人ではない)
それどころか、真の下手人である乗邑の怨霊を、抑えていた節すらある。
(まだわからぬ事実もあるが、一度、出雲守様に御報告に上がるべきか)
「あれは、罠だったやも、しれませぬな」
思案に暮れていた善次郎が顔を上げる。円空が善次郎を眺めていた。
「儂を
「両方でしょう。怨霊の言葉を思い返せば、恨みの矛先は公方様や出雲守様でしょうが。妨げである宇八郎様の死霊も善次郎様も、消したかったはずです。勿論、三社権現の獅子の御霊も取るつもりだったのでしょうが、選んだ社が悪かった」
「どういう意味だ」
「今までに狙われた、神田明神、根津権現、日吉山王大権現。いずれの社も、江戸城建立の際に遷移をして場所が変わっております。土地神は、遷座すると力が弱まるものです」
「そういうものか」
円空は頷き、話を続ける。
「最初に狙われた三つの社は神社が単独で建っている。しかし三社権現は真横に浅草寺があります。鎮座した場所が千年以上ずっと変わらず、御仏の加護もある。更に、あの社の御祭神は土着の神々。高々数年前に死んだ怨霊如きが砕ける相手では、ございますまい」
境内に一歩踏み入った時から、神の力を感じた。強靭な結界は社を隠すだけでなく、宇八郎の死霊にも力を貸した。三社権現の神力の強さは、納得できる。
「怨霊は諦めておらなんだ。此度の禍敗で、次は力の弱い社を狙うやもしれぬな」
しばし間を置き、円空が再び口を開いた。
「力が弱まったといえど、初めの三社も充分に大きな社です。遷座しても人々の信仰が続けば、力は維持できます。神力を支える根源は、人々の信仰。すなわち、心でございます故」
円空の瞳が優しく細まる。瞳の奥に見え隠れする悲し気な影が、やけに善次郎の胸に焼き付いた。
「御府内にゃぁ神社なんざ、山とある。次に何処が狙われるか、皆目、見当もつかねぇ。まぁ、今の円空の話なら、少なくとも三社権現のような社は、もう狙わねぇだろうが」
乗邑の怨霊が三社権現の神力を、どこまで感じ取っているか、わからない。だが、環の呟きで、善次郎の意が決まった。
「探すより、誘き出すが早かろう。怨霊は儂を殺しに来ると言った。儂が囮となればよい」
円空と環が、躊躇しながらも頷いた。それが最も的確で迅速であると、二人も解している。
「善次郎様の御身は、必ずお守り致しやす。同じ轍は二度と踏まねぇ。宇八郎様だって、きっとまだ、何処かを彷徨っているんだ。助けなけりゃ、あたしぁ死んでも死にきれねぇよ」
悲痛な声音を隠すように、円空の背に顔を埋める。円空が、環を背負う腕に力を籠めた。
二人の姿に、善次郎の心が発揚する。
(兄上が消える前に残された言葉。総ては聞き取れなんだが、お鴇に、鈴を、と言っていた)
神社の狛犬が壊されたのも。怨霊の動きが大胆になったのも。お鴇の手から鈴が離れた後だ。もし、今まで宇八郎が乗邑の怨霊を抑え込んでいたのだとしたら。
(お鴇の手に鈴を戻せば、兄上の力が戻るやもしれぬ。それに)
長七やお鴇の話を思い返す。鈴を持っていた間は、お鴇が道具に生気を吸われた様子もなかった。
「鈴がお鴇を守り、お鴇が兄上を守っていたのやもしれぬ」
ぽつりと零した善次郎を、円空が振り返った。
「私も、そう思います。お鴇さんは巫覡のような質を持つ娘です。鈴を介してお鴇さんと繋がり、宇八郎様は死霊の力を維持していたのやもしれませぬ」
善次郎は顎に手を当て、思案した。
「お鴇の手に鈴を戻して、体や魂が憔悴する顛末には、なるまいか」
憂慮する善次郎に、円空は首を振った。
「先ほど申した通り、信仰は心です。お鴇さんは宇八郎様の鈴を守りとして、肌身離さず持っていた。お鴇さんの心が、宇八郎様に力を与えていたのでしょう。だからこそ宇八郎様の鈴も、お鴇さんを守り続けたのだと思います」
心の底から安堵が広がった。お鴇を守り、宇八郎を救えるのなら。お鴇に鈴を持たせるのを躊躇う必用はない。
善次郎の顔を眺めていた環が、ふぅんと鼻を鳴らした。
「そんなお顔をする善次郎様を見るのは、初めてだ。そうならそうと教えてくれりゃぁいいのにねぇ」
善次郎は、ふぃと顔を背けた。自分が今、どんな顔をしているのか、わからない。
「環や円空を案じる気持ちと変わらぬ。お鴇はお主らと違い、身を守る術がない。結界彫りも、まだ施しておらぬのだ。案じるのは当然だろう」
円空と環が目を合わせる。くくっと、環が小さな笑いを漏らした。
「そうですかぃ。それじゃぁ、まぁ、そういうことに致しやしょうかね」
楽しそうに笑いを噛み殺す環を、じっとりと睨めつける。
「全く、皓月といい環といい。お主らは、その手の話が好きだな。言っておくが、他意は一切ないぞ」
ふぅと、疲れた息を吐いた。顔が下がり、首に下げた懸守が目につく。護法神が微笑んでいるように見えた。
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