第6話 Soupir d'amour 恋の溜息③
「で?なんですか?昨晩寝付けなくて?それで今朝の集合時間のことをすっかり忘れてしまったってわけですか?」
「…ハイ」
昨晩セシルからの突然の『距離を置きたいの』発言が頭の中でリフレインし続けて眠れなくなるほど考え込んでしまい、目の下に大きなクマを作るほど一晩でやつれてしまった悩める17歳の健全な男子、ケヴィンは執務長官室に呼び出されておりました。
魂が抜けたかのようにとぼとぼと廊下を歩いておりましたが、朝っぱらからケヴィンを探して走り回り汗だくの執務秘書官のバルトに声を掛けられ、今朝朝一番からの大事な大事な仕事があったのを忘れてしまっていたことに気が付きました。
震えあがるほど大慌てて集合場所であるお城の正門前へと走って行ったケヴィンでありましたが時すでに遅し…。氷のように冷たく微笑む怪我から回復して公務に復帰しているヴィンセントに執務官室に呼び出され、仕事を忘れてしまった件についてネチネチとお説教をただ今くらっております。
「…今日は陛下が
「…ハイ」
「なのに?昨晩彼女から『距離を置きたい』って言われて寝られなくなって?それで遅刻とは呆れてモノが言えませんね。貴方自分の立場分かっていますか?ったく…ローザタニア王国軍隊の
「…面目ありません」
「まぁ確かにその一言はパンチがありますけどね。でも何でそうなったんですか?」
「いや…あの…それは…よく分からなくて…」
「まぁおおかた、初心で乙女なセシルにキス以上のこと求めようとしたんでしょ」
「なぜそれを…っ!?」
「分かりやすい反応ですね。…相変わらずバカ正直ですねぇ。適当に言ったのに」
指摘がドンぴしゃすぎてビビッて大きく後退りしたケヴィンを見て、ヴィンセントは呆れたように大きく溜息をついて、立派な革張りの椅子に大きくもたれ掛りました。
「…だって…仕方ないじゃないですか。俺だって健全な17の男ですよ?可愛い彼女がすぐ傍で甘い香りを纏って上目使いとかして俺の顔見上げてたら…もうヤバいじゃないですか!」
「まぁ気持ちは分からなくはないんですけどね。私も男ですからね」
「でしょ~?」
ケヴィンは目を輝かせながら大きく頷き同意したヴィンセントはの手をパッと握り、机の上に飛び乗りました。鬱陶しいと言わんばかりにパッとヴィンセントは手を解き、じろっとケヴィンを睨みつけて静かに話しはじめました。
「ですがね、ケヴィン。話は戻りますけど、貴方たちカップルの痴話ゲンカなんてどうでもいいんです。貴方はこれからローザタニア軍を引っ張ていかなくてはならないそんな存在なんですよ?そんな貴方が彼女とのいざこざでうっかり仕事を忘れてしまうとはあってはならないことです」
「…ハイ」
「まぁ今日は貴方の代わりにエレンが護衛の隊長として行ってくれましたが」
「エレンが!?」
「持つべきものはしっかりとした友人ですね」
「…はぁ」
「まぁ今日はこれくらいにしておいてあげます。以後こういうことの無いように」
「はい…申し訳ゴザイマセンデシタ」
「という訳で今日一日、エレンの代わりに執務室の仕事手伝ってください。貴方今日一日暇でしょうから。まぁあのエレンの代わりなんて到底無理でしょうから、力仕事で書庫の書類の整理をお願いします」
「えっ!!」
「当たり前でしょう。どういう訳か執務秘書官はいつも人員不足なんですから。あ、元帥にはもう話しつけておりますから」
「…俺がヴィンセント様の仕事を手伝う…?」
「えぇ。書庫にはたっぷり整理できていない書類が山積みとなっております。なのでしっかり働いてもらいますよ?」
「オレ整理整頓とか苦手なんですけど…」
「書類の日付通りにファイリングして棚に直すだけですけど?」
「でも…そんな作業、脳筋の俺には無理ですっ!」
「無理…?え?よく聞こえませんけど?」
「ヴィンセント様っ!!」
「とりあえずたまにはそう言うことをして頭を整理してみなさい。ハイ行った行った」
「えーっ!!」
筋肉モリモリの立派な身体をプルプルと震わしながらケヴィンは頭を抱えて震えております。
しかしそんなこと知った事じゃないと言わんばかりにヴィンセントはしかめっ面でケヴィンを冷たくあしらい、冷たい氷のような声で静かに言い放ちます。
「ケヴィン…今日の上司は私です。上司である私の命令は絶対です」
「…これってパワハラ?」
「何か言いましたか?」
「いえ…」
「よろしい、ではさっそくさっさと働いてください」
「…」
「返事は?」
「ハイ…」
シツレイイタシマシタ、と機械のような片言で挨拶をしてケヴィンは執務室から解放されました。ドアを閉じた瞬間はぁ~っとものすごく大きな溜息を吐き頭を抱えて座り込んでいると、大柄でちょっと小太りのグレヴが足早に駆け寄ってきました。
「よぉケヴィン!今日一日宜しくな!」
「グレヴ…」
「ほら~浮かない顔してないで立てよ!とりあえず執務室に行こうぜ!」
「やめてくれ~!俺は文字に囲まれると頭が痛くなるんだよぉ~!」
「大丈夫だって!ただ書類まとめるだけだから!」
「筋肉しか能の無い俺には無理だ~!!」
「ケヴィン~」
「俺はエレンと違って馬鹿だから執務室の仕事なんてできない~!!」
身体をヒュンッと小さくしてケヴィンは執務官室の前で泣き叫びます。グレヴはヴィンセントが煩いと怒り出す前に早い所ケヴィンをここから動かそうと励まして立ち上がらせようとしました。しかしケヴィンはいつもの豪快さは一切どこかへ吹っ飛んでいき、小動物のようにプルプル震えておりました。
埒が明かないと思ったのでしょうか、グレヴはケヴィンのゴツイ腕を掴んで必死に立ち上がられようとしますが小太りなだけで全然力の無いグレヴではケヴィンを立たせることも出来ませんでした。
「大丈夫だって!じゃあ他の回すからさ、とりあえず向こうの執務室に移動しようぜ!ずっとここに居てたら
「うぅ…身体使って働きたい…」
「…うん、気持ちはわかるけどさ…」
「拷問の様だ…」
「うん、やっぱりあの人って鬼だよな…」
腹をくくったのか、仕方なしにケヴィンは立ち上がりグレヴの肩にもたれ掛って歩き出しました。おっとっと…とよろめくグレヴと共に二人してヨタヨタと廊下を歩いて行ったのでした。
「…ぜーんぶ聞こえているんですけどね。ったく…あいつら」
椅子にドドーンと座ったまま、ヴィンセントはハッと息を吐きながらそうツッコミのように独り言を吐き捨てました。
そしてストレッチのように軽く首を動かしながらスッと立ち上がると、机の後ろにある大きな窓を開けて窓辺にもたれ掛りました。ちょうどヴィンセントの部屋の窓からグレヴにもたれ掛ったまま中庭を抜けていくケヴィンの姿が見えております。
「まったく…アイツら…」
はぁ…と溜息をついたその時、ザワッと大きな風が入り込んでヴィンセントの前を吹き抜けていきました。部屋の中にその風が舞い込んで銀の糸のように輝くヴィンセントの髪がふわっと踊るように揺れました。
更にもう一回、机の上に置いていた書類が風に乗って吹き飛ばされるほどの大きな風が吹き付け、その奥にある棚をも風で遊ばせました。
きちんと閉まっていなかったのか棚の扉が開いてしまい、棚の中身がチラッと見えております。
そこにはユリをモチーフにした紋章の刺繍の入っている薄手のレースのハンカチが一枚入っておりました。
風に乗ってそのハンカチも飛ばされ、床にひらひらと舞いながら落ちて行きます。
ヴィンセントはゆっくりと歩いてそのハンカチを拾い上げました。
「…こんな所にしまっていたっけ…」
ヴィンセントはそのハンカチを少し見つめて何やら考えておりました。しかしすぐに顔を上げて、そのハンカチを元あった場所に戻します。
そしてポケットから煙草を取出して火をつけて一服しようとしましたが、ふとこの後シャルロット様と会わなければいけないことを思い出し、煙草を見つめたまま少ーし考えた後、そっとその煙草を机の上に置きました。
「…姫様煙草の臭い嫌いだしな」
パパッと制服を払い、ヴィンセントは水差しから一杯水を入れて飲み干すとカツカツ靴の音を響かせながら執務官室から足早に出て行ってしまいました。
・・・・・・・・
「…セシルどうしたの?今日調子でも悪いの?」
さてさて場所が変わりましてここはシャルロット様のお部屋でございます。
先ほどセシルに起こされて起きたばっかりのシャルロット様はまだ少し寝ぼけ眼のままお召し替えをしている最中であります。
「え?」
「何だか今日ちょっと様子がおかしいわよ?どこか具合でも悪いの?」
「そ…そうでしょうかっ!?私いたって全然いつも通りですよっ!?」
「そう?」
「えぇ!!」
「…セシル」
「はい?」
「苦しい…」
「っ!!申し訳ございませんっ!!」
セシルはドレスのウエスト部分のリボンを思いっきりギューッと引っ張っており、シャルロット様はギューッと閉められて息も絶え絶えと言った表情でセシルの方を振り返りました。
「ももももも申し訳ございません…っ!私ったらなんて事を…っ!!」
「だ…大丈夫よセシル…ちょっと息が止まりかけただけだから…」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!本当に姫様になんたることを…っ!!」
「…大丈夫?セシル…今日ちょっとおかしいわよ?少し休んだら?」
「…姫様っ!」
「何かあったの?話しくらいなら聞くわよ?」
「…はぁ…」
シャルロット様は心配そうにセシルの手を取り、首を少し傾げてキラキラと輝く大きな瞳でジッとセシルのお顔を見つめおります。まるで小動物のような愛らしいそのお姿にセシルはその可愛さオーラに当てられて同性ながらも少し顔を赤らめておりますが、すぐに正気に戻り申し訳なさそうに笑いながらシャルロット様の手を握り返しました。
「ありがとうございますシャルロット様…。でも本当に大丈夫なので…」
「本当?」
「えぇ…。ご主人様に心配かけちゃうメイドなんてダメですね…」
「そんなことないわ!セシルは私にはもったいないくらいの素敵なメイドよ!」
「…ったく、遅いと思ってお迎えに上がったら…手なんか握り合って何されているんですか」
コンコンコンっとドアがノックされると返事を返すよりも先にドアが開き、呆れ顔のヴィンセントがドアにもたれ掛って大きく溜息をつきながら現れました。
「ヴィー!」
「…セシル、姫様のピアノレッスンの時間はもう過ぎていますよ?」
「も…申し訳ございません!」
「姫様、準備は整っているんですか?」
「あ…ちょっと待って…あとリボンが…」
「…失礼」
ヴィンセントはいまだモタモタしているシャルロット様とセシルの間に割って入ると、素早くシャルロット様のドレスのリボンを手慣れた様子で手際よく少しアレンジを加えて可愛らしく結びあげました。
「…ありがと」
「いえ。さぁ姫様、ピアノレッスンの時間に遅れています。さっさと行きますよ」
ヴィンセントはドレスのリボンを結ぶやいなや、すぐにシャルロット様の手を取りツカツカと歩き始めました。そしてあ、と一言発してセシルの方をパッと振り返ります。
「セシル、今日はばあやと一緒に姫様の衣替えをお願いいます。衣裳部屋をひっくり返すと言っていたので大仕事になります。手伝いに行ってください」
「あ…でも今日私、食器庫の整理の続きを…」
「あれは他のメイドたちがするそうです。今日の貴女が一人で食器庫行ったら、あの部屋のお皿全部割りかねないので。今日はばあやと一緒に居てください」
「…っ!」
その言葉を聞いてセシルは何か言いたそうでしたが、ヴィンセントはパパッと告げるだけ告げると、後ろを振り向かずにすぐに踵を返してシャルロット様の手を取って足早に歩き始めました。
「え?今日はヴィー、仕事は?」
「今日の私の仕事は姫様のお相手です」
「えーっ!!」
「『えーっ!!』じゃありません。陛下が半日留守の今日、リズム音痴の姫様の特訓です。もうすぐドミニク様の結婚式でしょ?パーティーありますから恥ずかしくないようにしないといけません」
「えっ!嫌よ!」
「嫌とか言わない!はい、行きますよ」
バタン…っとドアが閉まってもなお聞こえてくるシャルロット様とヴィンセントの小競り合いがだんだんと遠くなっていきます。
ポツンと一人お部屋に取り残されてしまったセシルは、嵐が去っていったかのような状況に呆気に取られながらもはぁ…と肩を落とし、お部屋に散乱しているシャルロット様のドレスをクローゼットにしまって片付けるとしょぼんとした様子で部屋をあとにしたのでした。
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