第6話
地図の指定された場所は大学内だった。明人は知らない学部の棟の前にいる。
「よし。入ってみよう」
「ちょ、ちょっと待て」
明人は先を行こうとする丈を抱き上げた。
「な、何をする!?」
暴れる丈を明人は持って来ていたリュックの中に詰め込む。
「江原さんをさらったのはお前が目的なんだぞ。まずは大人しくそこで隠れているんだ」
明人にそう言われると、丈は大人しくリュックの中に納まった。ガラス戸を開けて薄暗い校舎の中へ足を踏み入れる。天井の明かりはぽつぽつとしか電気が点いていない。
「……どこに向かえばいいんだ」
当然扉は無数にある。どこも閉ざされていた。
「よく来たね。明人」
「わッ! 誰だ!」
暗がりの隅に誰かが立っていた。スッと顔が見える場所まで出てくる。眼鏡をかけた人間の杉崎丈だ。ということは、ここは工学部の学部棟なのだろうか。
「ま、まさか、お前があのメッセージを送ったのか!?」
名前をいうことは出来なかった。リュックの中にいる猫の丈には見せられない。
「猫は?」
肯定はしないが、杉崎丈は明人の辺りを見る。
「……置いてきた。だって、あいつのことが目的なんだろ」
「そうか。まあ、いい。明人に見てもらいたいものがあるんだ」
杉崎丈は明人の返事も聞かず、階段を登りだした。江原さんが捕まっているので、ノーとは言えない。階段を登りやって来たのは三階だ。
「ここだ」
杉崎丈が連れて来たのは廊下の端にある研究室だ。そこからだけ明かりが漏れ出ていた。杉崎丈がドアを開ける。すると、
「あ。藤森くんも来たんだ!」
拍子抜けするほど、元気な江原さんが顔を出した。
「え、江原さん。捕まっていたんじゃ……」
「捕まって? ううん。杉崎くんから保護猫の世話をするのを手伝ってくれって言われて、それで来たんだけれど」
「保護猫?」
そう言われて明人は辺りを見回す。中々広い研究室の中に二段、三段とケージが積み重なっていた。中には猫がたくさんいる。
「これは……」
江原さんはご飯をケージの中に入れていた。一見するとただの保護猫施設に見える。
「ミ、ミカエル!」
どうやら丈の友猫のミカエルがいたらしい。バレないようにと明人はリュックをからい直す。
「おお。君が藤森くんか」
奥から人が出てきた。黒縁眼鏡をかけた白髪の男だ。白衣を着ている。
「教授。連れてきました」
杉崎丈がそう言うので、この人がこの研究室の持ち主なのかと分かる。
「実はね。一週間以上前かな。ここから、逃げ出した子がいてね。それが三毛猫でね」
「あ! もしかして!」
江原さんが思い浮かべたことと明人が思い浮かべたことは同じだろう。
「そう。君が飼い始めた猫だ」
教授は続ける。
「脱走して心配していたのだけれど、たまたま君のTwitterで見かけてね。心配していたんだよ?」
セリフとしてはただの保護猫おじさんだ。だが、この人物は明人を騙してここに連れ込み、それ以前に丈は普通の猫ではない。それを明人が知っていることは、教授も杉崎丈も知っているはずだ。
「君にはあの猫のジョーくんを連れてきて欲しい」
「なぜですか? 保護猫で僕に飼われるなら、もう用はないですよね」
ぐっとリュックの持ち手を握りながら明人は毅然として言う。
「お別れ前にもう一度会いたいじゃないか。もし、連れて来ないというなら……。杉崎くん」
教授が明人の背後の杉崎丈に目配せした。
「はい。江原さんこっちへ」
「え? なに?」
杉崎丈は江原さんの腕を取って、少し強引に奥の部屋に連れて行く。
「おい! 何をするつもりだ!」
明人も後を追いかけた。奥の部屋は猫だらけの部屋と違い、よく分からない大きな機械が埋め尽くしていた。中央には椅子が一台置かれている。
「私はね。永遠の命が欲しいんだ」
「なッ!」
振り返ると教授がすぐ近くに立っている。
「どうしたら、永遠の命が得られるか考えたときに、自分の記憶をコピーさせた人間がいればいいんじゃないかと思ったんだ」
「コピー……まさか、丈は」
訳知った顔で教授は頷く。
「人間で実験するのはさすがに危険でね。それで、猫を使ったんだ。実験台には杉崎くんがなってくれた」
つまり、猫の丈は人間の杉崎丈の記憶をコピーされた猫ということだ。そうしている間に江原さんは椅子に座らせられた。
「ただ、実験のほとんどは失敗。あの三毛猫も失敗だと思っていた。逃げても興味がなかった。君のTwitterを見るまではね」
(丈! お前がTwitterなんて始めるから!!)
悔やんでも悔やみきれない。
「どうやら実験は成功していたみたいなのだが、よく調べなければならない。連れてきてくれないかな」
「……嫌だと言ったら」
丈がどんな目に合うかも分からない。簡単には頷けなかった。
「そんなに嫌かい? たかが猫一匹。だが、そうだな。嫌というなら、彼女」
くいっとあごで江原さんを示す教授。
「杉崎くんの場合は彼から猫に記憶をコピーしたが、彼女には猫から彼女に記憶をコピーするんだ。君がジョーくんを連れて来なければね」
「そ、そんな……!」
猫の記憶をコピーされた人間。それは正しく人間としての生を終わらせるということに他ならない。このままでは江原さんが猫にされてしまう。
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