第3話 王宮散歩
次の日、日の出と共に目が覚めた俺は。
簡単な身支度を済ませると朝食へと向かった。
今日はこの世界に来てから、一応初めての休日。
特に予定があるわけではないが、完全な自由時間を貰えていると思うと、何かしたいという気持ちが湧いて自然と早く目が覚めた。
寮内の食堂で朝食。いるのは俺一人だ。黙々と食べていると、調理人のおじさんおばさん達がせっせと厨房を綺麗にしている事に気がつく。
これから昼食を作る、という気配がしなかったので疑問に思い確認してみると、やはり休日の寮食は朝食のみで、昼夜の食事は用意していないとのことだった。
「そうか。朝飯しかないのか」
ナタムに聞いておけばよかった。
彼はというと、昨日の夕方に地元へ帰っていった。週末は実家で過ごすことが多いらしく、明日の夜にまた寮へ帰ってくるのだという。
会える家族がいるなら一緒に過ごした方がいい。
そう思い彼を見送った後、夕食をこの食堂で食べたのだが……確認不足だった。
勝手に休日も三食出てくると思っていたからだ。
おじさんおばさんから更に詳しく話を聞いてみると、そもそも休日は寮に残る生徒自体が少なく、とりあえず朝食のみ用意してくれているらしい。どおりで昨日夕飯を食べていた時も、俺一人しかいなかった訳だ。
皿の料理を口へと運ぶ。
フォークとナイフで食べるこの国の料理は、どれも見たことのないものだったが、不思議と口に合った。肉や野菜、フルーツなど名も種類も分からないが、目の前の料理を美味しく食べることができている。
ちなみに今食べているのは、パンのようなもの。見かけはパンだが味が小麦では無さそうだ。少し甘い。芋や何か穀類から出来ているのか。
それとサラダ。色とりどりの野菜にドレッシングがかけられている。野菜は包丁で細かくカットされていて、元の形はよく分からない。
メイン料理は……これは鶏肉だろう。見た目からして直ぐに分かった。噛むと肉の旨みが口の中に広がる。
(我ながら何でも美味く食えるタイプで助かったな)
新しい土地で料理がNGとなれば、それは死活問題になる。だから限定されたものがダメなくらいならいいが、どれも合わないというのは正直避けたかった。
だがひとまず現在までは問題なく食べられている。
気になる点を強いて挙げるとすれば、和食がないことくらいだろうか。常にエスニック料理を食べ続けている、という感覚。これなら食べられるものがなくて倒れるような心配はなさそうだと、俺は残りの料理を口の中へと運んだ。
さて、昼飯がないことが判明したので、これからどうしようかと考える。
王宮の外へと出れば街があると聞いてはいるものの、流石にまだこの国の事を殆ど知らないのに、街中へ出て外食や自炊をするのはハードルが高い。
近場で食事が取れる場所はないかと聞いてみれば、「王宮職員用の食堂があるから、行ってみたらどうだい?」とお勧めされた。おじさんおばさんたちも、この後その職員食堂に移動して厨房を手伝うのだという。
お金はすでに国から幾らか貰っていた。普通に食事をするくらいなら一月は保つだろうというくらいの量。それを早速使わせてもらおうと思う。
改めて、俺が今いる場所を確認する。
ここは王宮学園の学生寮だ。
そしてここからすぐ目の前に見えるのが王宮学園の校舎。そして更に奥に見える高い塔らがガルベラ王子の住まいでもある、この国の城だ。
城の周りには騎士団や研究所など、主要な役所の本拠地がある。そのため敷地としてはかなりの広さがある。
ちなみに学園を含めたこの辺りのことをまとめて「王宮」と呼んでいるらしい。
「せっかくの休みだから、歩きながら敷地内でも覚えてみるかな」
特に予定も何も無い休日。
こんなにも予定のない休日に、一人早起きしてゆっくりと朝食を食べたのは何ヶ月ぶりだろう。
今日は、何か新しい出会いがあるだろうか。
空になった食器を見て手を合わせ「ごちそうさまでした」と呟くと、俺はこれから始める王宮探検ツアーに一人胸を躍らせた。
おじさんおばさんたちに教えてもらった道を進んでいく。学園エリアを抜けて並木路を過ぎると、その先に小さな橋があり、渡った更にその先にはお洒落な建物が幾つか見えた。
日本とはかけ離れた外観の建物が並ぶから、お洒落に見えるだけかもしれない。だがその外観から、その先にある職員食堂もお洒落な建物じゃないかと想像する。
職員食堂はこの王宮内で働く人たちが使う食堂だが、もちろん学園の生徒も利用できる。
食堂という名だが城の側に立つこともあり、装飾だけでなくメインの料理も美味い為、ちょっとした接待やご馳走の場として食べに来る人も多いらしい。
だからきっとお洒落だ。
期待を膨らませながら俺は歩みを進めた。
(春だな)
暖かい風がふんわりと通り、青い空が見える。
橋の下には川ではなく道が作られていて、王宮勤めの人たちが行き来をする様子が見えた。
ピピピ……と鳥の鳴くような声がしたので、足を止めて空を見上げる。
(同じ青い空だ)
空を見ていて気がついた。
この世界に来てから、ちゃんと空を見ることがなかった。
城では室内で過ごすことが殆どで、もちろん全く外に出なかったわけではないのだが、周りの人の話や行動についていくのに必死だった。客人として振る舞うために、気を張って過ごしていたのかもしれない。
数日前までは、あれほど虚しく感じていた一人の時間が、今は少し心地いい。
そういう意味でも、今日が予定のない休日であって良かったのかもしれない。ゆっくりと深く息を吸い吐いた空気は、とても美味しいと感じた。
「いい眺め」
橋を渡り、いくつかの建物の間を通り過ぎると、食堂の看板が見えた。そして少しだけ歩幅を広げて近づくと、周りの建物が一気になくなり、目の前に一面の城下町の屋根が広がる。
高台にあるんだ。この国の城は。
王様が国の全てを見下ろせるよう、丘の上に城が立ち、その周りを国の主要機関が囲んでいる。
城下町の屋根の先へと視線を送ると、街の端先にはとても大きな森が見え、そして遙か彼方には僅かにだが青い海が見えた。
一気に訪れた開放感。
思わず声が出るほどの景色に、早歩きだった足は走りへと変わった。
食堂前の広場に走り、柵いっぱいに身体を寄せる。少しでも広くこの国の景色を見たい、そう思うと身体が前のめりになりそうだった。
「日本より遥かに小さな島国だって聞いていたけれど、海まで結構距離がある……広い国じゃん」
ぐるりと景色を眺める。
城下町に広がる沢山の赤土色の屋根。規則正しい並び。城を中心に大通りが放射状に伸びている。
その景色はまるでどこか西洋の街にでも来たような感覚になった。
「異世界か……まだ若干信じられないけど」
遠くまで広がる青空。広がる青い海。
あの海の向こうには、もしかしたら俺の知っている世界が今まで通りあるかもしれない、とも思ってしまう。
だが記憶を思い返して俺は首を振った。
ガルベラ王子に見せてもらったから、間違いないのだ。この世界の地図を。そこにはどこにも俺の知る世界が記されていなかったことを。
(早いところ現実を受け入れないと。あの体験はちゃんと覚えているんだから)
目を閉じると広がる闇色は、数日前に体験した『異世界の扉』の感覚を思い出させた。
未だにリアルに覚えているあの時の感覚こそが、この世界を受け入れようという気持ちになる。
風が吹いて前髪が揺れた。
ゆっくりと眼を開け、再び目の前の絶景をぼんやりと眺めた。背中には太陽の光が当たって、ポカポカと気持ちが良い。
「ここでも太陽は東から昇るのかな。そうしたら今見ているのは西の方か?」
柵に手を掛けてキョロキョロと辺りを見渡す。
「あ……凄い」
広い眺めに夢中になっていて気づかなかったが、王宮内には色とりどりの花が植えられていた。
手をついていた所にも、柵の側にレンガの花壇が作られており、綺麗に花や草が植えられている。
改めて下を見下ろしてみると、城や学園内、建物の外壁にも花壇が造られていて、見える全ての建造物に花が咲いていた。おそらく城の入り口や門、ここから見えない王宮周りの塀などにも大量の花が植えられているのだろう。
春だ。
春のような陽気。暖かい。
この国に四季はあるのだろうか。それとも一年中この穏やかな気候なのだろうか。一年中この気候だとしたら、植物は豊かに育つ気がする。
見事なほど手入れのされた花の景色は、地元のテーマパークを思い出す。ファンタジー感の強い独特な雰囲気のその場所は、建物だけでなく周りの風景にも力を入れていて、撮影スポットとしても有名だった。
「なんか、妖精の国っぽい所に来ちゃった感……凄い」
しかもファンタジー感のある景色だけでなく、実際に魔法も使えちゃうという世界なのだから。
魔法か。本当に俺にも魔力があるんだろうか。ガルベラ王子とナタムは練習すればちゃんと使えるようになる、と言っていたが。今はその魔力の気配すら感じることはできていない。
目の前に植えられた花へと視線を移す。
名も知らぬ花。はじめて見る花。小さな黄色い花だ。
花の事をもっと確かめたくて、手を伸ばそうとして、ハッとしてその手を止める。
「もう触っても大丈夫だよな?」
そう思うのは、数日前に痛い目をみたばかりだからだ。
そう。言葉の通り、“花“に触れて痛い目をみたのだ。
あれはまさかの出来事で、世界を超えてしまったことの次に衝撃を受けたと言っても過言ではない。
手を引っ込めた。また痛い目を見るのは御免だ。そう思うと小さく息を吐く。
「もう触っても大丈夫よ」
するとどこからか声がしたので、俺は柵から離れた。
どこからだった? ……上から?
だが声のした方を見上げるも、そこには青空と眩しい太陽が変わらずにあるだけで。
(なんだ、ただの空耳だったか)
そのまま空を見上げていると、チカっと太陽の光が一瞬遮られて、また俺を照らした。
流石にこの世界でも太陽の光は眩しいな、と眼を細める。するとその途端、視界が違う白さへと変わり、俺は閉じかけた目を再び開いた。
目の前に何かが現れた。
深緑のワンピースに白いエプロン。
白い肌にピンクゴールドの髪。
そして俺を見つめる青い青い瑠璃色の瞳。
太陽の光を浴びた髪と瞳はキラキラと輝き、その神秘的な姿に思わず目を奪われてしまう。
それは例えていうのならまるで。
(びっくりした……一瞬、本物の天使かと思った)
軽くトンっと地面を鳴らし、俺の目の前に降り立った女の子。
どこか懐かしさを覚えるような哀しそうな表情を浮かべると、真っ直ぐ俺の瞳を見つめる。
「この前は、驚かせてしまって……ごめんなさい」
春の風がふわりと通りすぎる。
風に乗って強く花の香りがして。
その花の香りと共に、俺は数日前のある出来事を思い出していた。
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