第2話 部屋をもらう

 通常、学校の授業は日本と同じで午前午後とあるのだが、今日は新年度の初日ということもあり、午前にホームルームや年間計画の説明を受けて学校が終わった。


 ちなみに今日は日本でいう金曜日にあたり、明日明後日と二日間の週末休み。授業は休み明けからということだった。配られたカレンダーを確認したが、暦の数え方もほぼ日本と同じようで、その辺りはラッキーだった。



 ナタムと別れ、ガルベラと一緒に城へと向かう。


 正確に言えば、彼にとっては城が住まいなのだから帰る、が正しいのだが。



「昼過ぎには寮に行くのだろう?」


「うん。早速、寮の部屋を用意してもらったんだ」



 実はこの世界に来てから今朝まで、俺は城の中にある客室の一室を使わせてもらっていた。


 だが学園には学生寮があることが分かり、俺はすぐさま部屋を借りたいと希望した。だっていつまでも城に世話になるわけにはいかないし。



「本当に荷物運びを一人でやるのか? 手伝いを手配しなくて良いか?」


「大丈夫。もともと荷物は少ない」


「そうか、ここに来た時、服以外は持ち合わせていなかったのだったな」


「うん」



 そう。この世界に落ちた時、俺の持ち物はスーツだけだった。仕事のものは全てスーツケースに納めていたのだが……おそらく直前で手を離したのだろう。きっとあの路地に置いてきた。

 念のため、スーツのポケットの中身も確認したが空だった。



「それにしてもタクミ。必要なものが少なすぎて驚いた」


「ははは。もともと物への執着が薄かったし、それにミニマルな生活していたからね」


「みにまる?」



 寮に入る事が決まった時、一先ず日常生活に必要な最低限のものは揃えておきたい、と彼には伝えていた。


 日本での生活を思い出しながら、これはこの国にもあるのか、直ぐに買える物なのか、と一つずつ確認を取って。


 確認後に必需品をリストアップしたら、城の人が全ておつかいをして揃えてくれた。


 が、本当にこれだけでいいのか、と心配されたのを覚えている。



 学園生活に慣れてきて余裕が出てきたら、改めて必要な物を買い足せばいいだろう。


 なんせ俺はまだ、この世界の生活レベルすら分かっていない。だからこそ先ずは寮で最低限の生活をしてみて、足りないものを少しずつ足し算していけばいい。


 それにありがたいことに、学園には制服という指定のローブがある。

 一年間はここの学生でいられるのだから、制服で過ごす時間の多さを考えると、普段着はあまり増やさなくても済むかもしれない。そう思い、シンプルな服を上下数着だけ用意してもらった。



「謙虚なんだな。タクミは」


「そう?」



 ガルベラは俺の答えに何故かうんうんと頷いていた。



 彼の横を歩きながら城の門を潜る。

 すると騎士たちが一斉に彼へ頭を下げた。


 本当に王子様なんだ。


 そう実感しながら、俺は騎士たちに会釈をすると彼の後を追った。


 城の中へと入り客室へと向かえば、朝一番でまとめておいた荷物へと手を伸ばした。



「それより、学費と生活費がいらないって本当に大丈夫なのか?」


「大丈夫だ。過去にも他の世界から来た人間がいて、余程の事が無い限り一年間の生活費が国から保障されているらしい。

 我が国もそこは同じだ。まあ、その後は自力で生活していく事になるが……」



 一年間は国が生活を保障してくれるなんて、最初に聞いた時は自分の耳を疑ったものだ。


 この国に来られて本当にラッキーだったな、と今も心の中でガッツポーズをしている。



「うん、その制度凄く助かる。この一年でこの国の事やこの世界の事をちゃんと知って、その中で自分のやりたい事を見つけようと思う」


「了解した。タクミ、困ったら何でも言ってくれよ」



 手を振った彼が部屋を後にする。


 そして俺も客室を見渡し、部屋を出た。


 城を出て門を潜る。彼らにもお世話になったので、と再び騎士たちへと会釈をして、俺は歩みを進めた。



 本当に至れり尽くせりだ。

 もし仮に他の場所に落ちていたとしても、落ちどころが悪くない限りは国が保護してくれたと言うのだから。

 けれど今回、俺がガルベラ王子の前に落ちたことはその中でも本当に運が良かったと思う。そのくらい彼はこうして色々と面倒を見てくれている。



 彼はというと、午後は公務があるらしく、週末休みも公務続きだと話していた。十八歳なんてまだまだこれから沢山遊びたい時期だろうに、王子様って大変だ。


 まだこの世界にきて数日しか経っていないけれど、初対面の俺をこんなに世話してくれる王子様がいる事を知ってしまったのだ、いつかはこの国に恩返しができるような道を選びたい。


 その為には、まずはこの一年間で色々な事を学んで、この国……いやこの世界の事を覚えていかなければならない。


 そう心に強く思い、拓巳はもと来た道を歩き、学園の方へと歩き始めた。




 城と同じ、レンガ造りのような建物が幾つも部屋を連ねて建っている。


 教えてもらった通りの道を進んだ先には、今日からお世話になる王宮学園の学生寮があった。流石は王宮が持つ学園、綺麗な外観をしている。


 寮の前には、二年前からここで寮生活をしているという、青髪の青年ナタムが待っていた。案内をしてくれるという彼の後をついていけば、とある扉の前で足が止まる。


 木の扉だ。


 学校から受け取っていた鍵を使い扉を開けると、その先には十畳くらいはありそうな部屋が広がっていた。中にそっと足を踏み入れれば、ベッドとテーブル、椅子が一つ、それとクローゼットが置いてある。


 こちらも城の客室と同じように、床や壁は木とレンガが使われていて、簡素ではあるものの、レトロな雰囲気が感じられる。



「ナタム、この国はこういう部屋が一般的なの?」


「んーー? そうだよ。流石に一人用の部屋だから簡易的だけど、でも一般的だね。タクミは? タクミの国はどんな部屋だったの?」


「少し造りは違うけど、木の床は一緒かな」



 一人で住むには十分な部屋の広さだ。


 ここの寮では、寮内で食事も用意してもらえるし、シャワー室も共同の場所がある。こういった寮内の共同スペースは全て掃除をしてくれる人がいて、自分で管理するのはこの部屋だけでよいとの事だった。



 クローゼットに荷物を一通り置く。


 それから部屋の奥へと進み、やや小さめの窓を開ければ、ふわりと涼しい風が入ってきた。窓から玄関に向かって風が通っていく。この風通りなら、換気も良くできて過ごしやすい部屋な感じだけど……


 ちらりと彼の様子を見る。目が合えば「何か気なることある?」と笑顔で声を掛けてくれた。


(感じの良い子だな…)



 教室で話した時にも思ったが、彼ナタムはガルベラ王子と仲が良いだけあって、とても話し掛けやすい雰囲気をしている。



(平民出身だって言ってたし)


 ならば、先ほどから考えていたことを彼にお願いしてみようと思う。

 一人でも出来なくはないのだが、手伝ってもらえると非常に助かる事だからだ。

 流石に王子に頼むのは気が引けたのだが、彼だったら頼みやすそうだし、快く手伝ってくれるかもしれないから。


「ナタム、手伝ってほしいことがあるんだけれど、時間ある?」


「いいよ! 何?」


「床の掃除一緒にしてほしいんだ」


「……床?」




 そう、気になっていたんだよね。


 土足。うん、これは譲れなかった。


 城の客室の時は、洋館ホテルに泊まりにきた感覚で過ごしていたけれど、やはり一日中靴を履いて過ごすのは苦痛で。だから寮での生活が決まった時、自分の部屋くらいは靴を脱ぎたいと心から思っていた。


 念のためガルベラに質問してみると、やはりこの国は土足の文化だった。日本のように靴を脱ぐ文化は他国からも聞いたことが無いのだという。


 だが詳しく話を聞いてみれば、自室内で靴を脱いで部屋を歩くこと自体は、マナー的にはあまり問題はないらしい。同じような説明をナタムにも伝えれば「自分の部屋だったら僕も全然悪くないと思うよ」と返事がくる。



 そうと分かればいざ床掃除。


 借りてきたバケツに水を張り、床に水を思い切り撒いた。


 デッキブラシで撒いた水を部屋の四隅にまで広げていけば「床、水浸しになっちゃうよ!?」と驚きながらも彼も真似しはじめる。


 更に俺が靴を脱ぎ、裸足になって床の上を歩き始めれば、彼も真似て裸足になって歩き始めた。




 床を磨いて、拭いて、足を洗って。また磨いて、拭いて、洗って。

 それを何度か繰り返すと、最初は見られていた泥水も出なくなり、綺麗な床となった。


 開けた窓からは風が入って気持ちが良い。少しだけ汗ばんだシャツをパタパタと扇ぎながらナタムを見れば、自分の足元をじっと見ていた彼がこちらを向いた。


「そうしたら、どうするの? タクミはこれから裸足で部屋歩くの?」


「いや、流石にそれは汚れるから、室内履きで生活しようと思うんだ。そうだな……街で絨毯とかって売ってるかな?」


「生地屋に行けばあると思う」


「床に絨毯を敷こうと思ってね。向こうでは床に座って過ごすこともあったんだ」


「床で生活するの? 面白いねぇ。


 僕で良ければ街の案内するからね」



 部屋の床が乾いたことを確認して、一時的に部屋の外へ出していた家具類を中へと運び入れれば、休める部屋の完成だ。


 借りてきた掃除道具を返すついでに、ナタムに寮の共有スペースも案内してもらった。食堂、談話室、シャワー室に洗面所。一つずつ丁寧に案内をしてくれる。


 ぐるりと寮の中を一周し、寮の玄関へと来たところであることに気が付いた。日常生活で必要なある物が無いのだ。



「洗濯ってどうしてる?」


「洗濯……? ああ、僕は水魔法で洗うよ」



 ほう? 水魔法? それはきっと水を扱う魔法の事だよね。水魔法という分類の魔法があるのか?



「こうね、水を回す感じでねぇ。服をクルクルっとね」


 彼は人差し指を立てて手を回している。


「ごめんナタム。俺まだ魔法の事を何も知らないんだ」


「あれぇ……そうだったの?」



 話が噛み合わなくなる前に、と彼に告げれば「僕の説明で良ければ教えるよ〜」と彼は再び笑顔を見せてくれた。



           *



 日本では『自然科学に反する現象を引き起こす力』の事を魔法と呼んでいた気がする。

 彼の説明を聞く限り、どうやらこの国でもそれは同じようだった。



 魔力は生まれた時から誰もが持つ力で、その力は人々の生活や社会の発展に活用されている。


 魔法には三大基本魔法があり、水魔法と土魔法、そして火魔法で構成される。他にも魔法の属性はあるそうだが、それは希少だったり未発見のものもあるそうで、他国も含めて殆どの人が三大基本魔法を扱うらしい。



 説明するナタムの手元に水の粒が浮かんだ。ふわりと宙に浮くと彼の指先の周りをクルクルと回り始める。


 凄い。本物の魔法だ、と初めて目にした魔法に感激していると、彼は「僕はタクミのその反応に感激」と眼をキラキラさせ始めた。



「僕はね、水魔法が得意なんだ。だからそれで洗濯はしちゃう。

 そうだねぇ、洗濯は水魔法でする人が圧倒的に多いよ。でも中には土魔法でも出来る人はいるね。逆に火魔法しか使えないって人は……まあ、ほとんどいないけれど、そういう人は多分きっと他人に洗ってもらっているんじゃないかな?


 位の高い人や忙しい人とか、頼んでいる人もいると思うよ。それこそ、水魔法の得意な人が洗濯専門の仕事をしていたりする世界だからね!」



 彼の説明を聞けば聞くほど、本当に魔法のある世界に来たんだな、と実感が湧いてくる。


 今、彼から魔法について少し教えてもらったけれど……それだけでも便利な世の中だと想像できる。得意な魔法を仕事にもできる世界か。俺も自分の使える魔法が分かれば、もしかしたらそれを活かした生活が送れるようになるのかもしれない。



「ねぇタクミ。今、不思議に思ったことがあるんだけど、どうしてタクミの世界には魔法が無かったのに、タクミは魔法の存在を知っているの?」



 色々と想像を膨らませていたら、質問が飛んだ。


 ナタムに聞かれてハッとする。


 魔法の存在か。確かに不思議だよな。




「魔法は、架空の存在としてあったんだ。俺の世界では説明がつかない不思議な現象を表す存在の一つとして魔法があったんだよ」


「へぇ……架空の存在」


 ナタムの質問に答えて、俺も改めて考える。



 そう、つい先日までは架空の存在でしかなかった魔法。フィクションの世界の話だと思っていたその魔法が、今いるこの世界にはあって。


 そして俺のこの身体の中にもあるというのだから、不思議だ。


 思わず手を胸に当ててしまう。



「俺にも魔法があるんだよな。俺は何が得意なのかな」


 そうとなれば気になるのは、俺の得意な魔法についてだ。もしかしたら、ナタムが言うような希少魔法も使えたりしないかな……なんて期待も僅かながらあったりする。



「これから自分の魔法の種類が分かるんだよね? それはワクワクするねぇ」



「そうだな、楽しみだ。


 ってあれ……? ナタムが水魔法が得意なら、もしかして床掃除も魔法であっという間に綺麗になったのか?」


「んふふ」



 魔法だったら一瞬だったかもしれないのに。


 彼に重労働をさせてしまった事に気が付いて、途端に申し訳ない気持ちになる。



「ごめんナタム!」


 手を合わせて頭を下げれば、頭の上から大きな笑い声が聞こえはじめた。



「いいのいいの、気にしないで。魔法使わずに床の掃除なんて、僕なんだか新鮮な経験だったし、それにずっと楽しかったからね」


 涙目になりながら笑う彼。


 理由は分からないがもの凄く笑っている彼を見る限り、本当に気にしていない様子だった。



 ああ、ガルベラに引き続き、彼もいい奴だなんて……俺ってなんて運が良いんだろう。




「いいな、水魔法。俺も使えると良いな」



 自分に込められた未知なる力、それを考えると期待が膨らんで胸が躍る。


 少しでも早くこの国の生活に慣れなきゃ、といっぱいになっていた心の隅に、これからへの期待が小さく芽生えた気がした。

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