花火を打ち上げて。
黒花
第1章 点火
第1話 拓巳は花火の下で
会話が止んだ。
辺りがしん、と静まる。
石畳の床に赤いレンガの壁、そして木造りの長机が並べられたその場所には、色とりどりの視線が集まる。それらはきっと、初めて目にするものへの興味や好奇心と言った類いのものだろう。
ああ、つい何か月か前にも、今と全く同じような視線を感じた気がする。
いやあれは違うな。あの時に感じたあの視線は、どちらかといえば俺への興味や好奇心というより、哀れみの視線だったかもしれない。
なんでこんな職場に来ちゃったんだよ、苦労するぞ、今ならまだ間に合う、と訴える目だったのかもしれない。
それはもう、今の俺には関係ない話になってしまったのだけれど。
しんと静まった教室。色とりどりの視線の多くは、見慣れぬ色の瞳をしていた。髪も見慣れぬ色。顔つきだってそうだ。俺とは系統が違う。
目の前の彼なんか、紫色の髪色をしている。日本でこんな髪色の人を見たことがあっただろうか? あったな。隣の家に住んでいたお婆さんが、まさにその色にしていた。この場においてそれを思い出してしまった自分に心の中で小さく笑う。
そして意識を再び目の前の景色に戻せば、幾つかの瞳と目が合った。
(当たり前だけど、注目されてる)
久しぶりにこうして沢山の視線を受けてか、心臓がドキドキしているのを感じる。
「卒業まであと一年となったが、今日から君たちに新しい仲間が増えたので紹介しよう」
見事に予想していた通りだ。これもまた新入社員として挨拶をした際に、ほとんど同じような言葉で紹介されたような気がする。
思い出された重なる記憶に、今度は思わず口角が上がってしまった。新入生の紹介の仕方って、やっぱり全世界共通のテンプレなのか。いや、この場合は全次元共通というのだろう。
(挨拶もテンプレで行えば、まず失礼をかくことはないよな)
集まる視線の端から端をしっかりと見渡して。胸を張り、明るく、大きな声で、はっきりと言えばいい。
「タクミ・ヒムラと申します。
分からない事ばかりでご迷惑をお掛けすると思いますし、残り一年という短い間ですが精一杯頑張りますので、皆さまどうぞ、よろしくお願いします」
そして冒頭に戻る。静まった教室の中で、俺は考えていた。
俺は、ここの常識というものを殆どまだ何も分かっちゃいない。そのため俺の常識がここでは非常識になる可能性も秘めていた。
だがこの身体に染み付いた、事あるごとに頭を下げてしまう故郷・日本の習慣は、既にお披露目済みであり、失礼には当たらないことも確認済みだった。
そう思いながら丁寧にゆっくりと、頭を下げて一礼をしたのだが。
予想以上に静寂が続いて、流石に不安に思いはじめる。
これはもしかしてTPOとやらを間違えた?
そう思いかけたタイミングで「くくく……」と笑いを堪える声が耳に入った。ほっと息を吐いて顔を上げると、案の定すぐに俺と目が合った青年が、今度は声をあげて笑い始める。
「タクミ、私がいるからってそんな挨拶をしなくても」
その言葉をきっかけに周りからも小さな笑い声があがり、教室の雰囲気がふわりと柔らかくなった。
……よかった、一先ずは俺の事を歓迎してくれたようだ。出だし良好、とりあえず一安心。
「俺、やっぱり何か変な事した?」
「いや、問題ない。安心してくれ」
掛けられた言葉に明るく返せば、彼が隣の席へ視線を送った。
一人分の空きスペースがある。つまり座れという事だろう。足を進めて隣の席に座ると、周りの人たちからも「よろしくね」と挨拶された。どうやら彼のおかげで、周り人たちと馴染むまでにあまり時間は掛からないかもしれない。
(さて。一年間限定の学園生活か。何とかしてこの世界の事を知って、生きていく術を身に着けていかなければいけないな)
そう。俺、緋村拓巳は、この世界の事をほとんど何も知らないのだ。
なぜなら、俺は四日前にこの世界に来たばかりの、恐らくこの国で一人しかいない〝異世界人〟だからである。
『来た』というよりは『飛ばされた』と言った方が正しいのかもしれない。
きっかけは未だ分からない。
ただそれは本当に、突然の事だった。
*
「今日もこんな時間か」
壁の時計をチラリと確認し、俺は本日何度目か分からない溜息と伸びをする。針が示すのは定時から随分と経った時間だ。
春に新社会人として入社し約半年。入社したての頃は、先輩について回る事が新人の仕事だよ、なんて言われていたからこそ、定時で帰れるのが当たり前だった。
が、仕事を覚え、一人で一通りの事をやるようになってからは、思うように事が進まず、ほぼ毎日この時間まで残業だった。
(とりあえず今日分は終わったから、帰るか)
広げていた資料を片付けて立ち上がる。部屋を見渡しても俺以外に誰もいない。いつもなら同じ時間まで残っている同期たちも、今日は先に帰ってしまっていた。
飲みかけのぬるい珈琲をぐっと飲み干した。よく飲む自販機の珈琲だ。投げるように缶を捨てるとゴミ箱がガランと鈍い音を立てる。
昔はこの苦みが美味しくて好きで飲んでいたはずなのに、今ではこの苦い味に味わいの欠片も感じられなくなってしまった。それが悲しい。
大きくため息を吐いて、デスク脇に置いてあったジャケットを羽織ると、鞄を抱え部屋を後にする。
(毎日残業して、家に帰っても飯食って寝るだけの生活で。何のために働いているんだか)
今日は金曜日の夜だというのに。週末休みへの期待のカケラもなく、どこか疲れの取れない身体を動かすだけの日々。
どうせ家に帰っても一人だし。
そう、一人なのだ。
母さんは中学の頃、そして父さんは去年の冬にそれぞれ他界した。祖父母も俺が生まれる前に全員他界しており親戚とも疎遠だったため、一人っ子で生まれ育った俺には身内がいないに等しい。
成人していたのもあってか、父親の死後も実家に一人で暮らす生活をしていて。
ついでに言うと、家族以外に働き甲斐を見出せるような親密な関係の人もいなかった。
生きていくために一生懸命勉強して、親孝行の為にと大学まで行って、なんとか大きめの会社へ就職して。
が、こうして一人ぼっちの生活の中で残業続きとなると頑張る気持ちは徐々に削られていって。もう少し楽な仕事にでも変えられないものか……と最近は毎日考えている。
エレベーターを降りて、出口へ向かう。
会社のビルから外に出ると、いつもなら当に暗いはずの外が明るく、一気に賑やかな音に囲まれる。
太鼓に笛の音。
赤い提灯が並び、その下を大勢の人が歩いていた。
「うわ……凄い人の数」
あまりの人の多さにその場で立ち尽くした。
そうだ、仕事ですっかり忘れていた。
今日から三日間、地元の夏祭りだ。
何日か前に、告知のポスターを見たような気がするが……メインの会場となっているこの大通り。会社の前には溢れんばかりの人、人、人。
この中を通って帰るのか。そう思うとため息が出る。だがここを通らない限りは家に辿り着かない、そう思い人混みの中へと足を踏み入れた。
わっ、と周りの人たちが空を見上げる。
ドーーン! と轟音が街中に響く。
俺も同じように空を見上げれば、赤い大きな花と白い花が交互に続々と咲いていた。
咲いては散り、また咲く花。
夜空に高く上がり花を咲かせる花火は、とても綺麗だと思う。
立ち止まって見ようか、少しだけ考えた。
だがその途端、視界が揺らいだ気がした。
もう少し早く仕事が終わっていたら、祭りを楽しむ余裕もあったのかもしれないが。だが今日は体調ばかりか気持ち的にもどこか調子が悪そうだ。倒れる前に、早く家に帰って休みたい。
俺は、人の波を掻き分けて家路に向かった。
少し遠回りにはなるが、祭りの人で混み合う中を歩くよりはマシかもしれない。
いつもとは違う道を選ぶ。
大通りを抜けて何度か角を曲がる。
街頭がポツリポツリと立つこの道は、少し薄暗いが他の道に比べれば人通りが少なく、歩きやすい道だ。
気付けば人通りも少なくなり、俺は歩幅をやや狭めてゆっくり歩いた。
花火はまだ終わる気配はなく勢いよく打ち上げられていて、何度も地面の俺の影を深く、くっきりと浮かび上がらせている。
今日はゆっくり寝て、明日の夜は花火を見ようか。
そんな事を思いながら歩いていると。
四方八方から歓声が上がった。
大きな花火が打ち上がったのだろう。ぱっと周りが明るくなった。今までの中ではとびきりの明るさだ。
一体どれだけ大きな花火なのかと背後を向こうとしたが、その時、俺は自分の足元にぶわりと広がる黒い大きな影に気が付いた。
「え?! 何?!」
ドーーン! と音が夜空に響き渡る。
続けて色とりどりの花が夜空を彩っていく。赤い花と、白い花。
思えばこれが、俺がこの世界で最後に見た景色だった。
足元の地面いっぱいに何かが浮かび上がる。
大きな、黒い、太い線で書かれた円の模様をした、影。
すると両足がずぶりと沈んでいき、それから身体が落ちていく。
急に崩れた足場にバランスを保てなくなった俺は、咄嗟に地面に手を着こうとする。だが伸ばした手は何も捕らえず、そのまま身体は前のめりに倒れた。
なんなんだ、この感覚は。どんどん下へ下へと落ちていくじゃないか。
気付いた時には、周り全てが真っ暗な世界だった。
初めて経験する感覚に、声を出すことすら出来ない。
右も左も真っ暗な世界。
頭によぎったのは「死」だ。
もしかして。これって死ぬって事なんじゃないか?
死ぬのか俺? それとも、もう死んだ後?
それならそれでもいいか。
もしも死後の世界とやらがあるのなら、まだ見ぬ世界で、また両親に会えるかもしれないから。そっちに行くのも悪くない。
そう思うと怖いものは殆ど無かった。
もがいてみても一向に空を振る腕。
力を抜き、落下していく感覚に身体を預けていると、今度は徐々に底が白く光り出した。
吸い込まれるように白い光へ落ちていく身体。もうどうにでもなれと、そっと眼を瞑った。
再び暗くなった瞼の裏。
そこには両親と三人並んで、打ち上げ花火を見上げた幼き記憶が流れていった。
*
一時間目の、いわゆるホームルームが終わり休み時間となると、俺は青年二人に挟まれ質問攻めとなった。
内容はもちろんこの世界に来た時の話だ。
「それで気がついたら城の前にいたの? よく不審者扱いされなかったねぇ」
「聞いてくれ、ナタム。あの時は、ちょうどお姉様方との間にタクミが落ちてきて。
まあ、王子として責任もって保護しなければと思ってな。それでタクミを連れて場を離れたのさ」
「それ、聞こえは良いけれど、タクミを利用して逃げたって言ってるようなものだよ」
目の前で二人の青年がコソコソと話をしている。やりとりからして、仲が良さそうだ。
「俺が不審者じゃないと分かったのは、特別な魔法陣が出ていたからなんだって」
「あーー、それもしかして『異世界の扉』?」
彼の言った通り。
俺はその『異世界の扉』というものを通って、日本からこの世界に強制的に飛ばされた。
降り立った先は、魔法が存在する小さな島国「ジラーフラ」だった。それもなんとこの国の王子の目の前に飛ばされたのだ。
一国の王子の前に突如現れた、得体の知れない人間。
その場で殺される可能性も大いにあったのだが、こうして今俺が彼と肩を並べているのには理由がある。
現れた俺と共にあった魔法陣は、過去にもこの世界で何例か確認されていた。そしてその都度、異世界から人が送られてきたという事もあり、今回のことも非常に珍しくはあるものの前代未聞の出来事ではなかったらしい。
運良くこの国の王子様の前に落ちた俺は。
運良くこの特殊な魔法陣に関する知識があった王子様と、王子様に絶対的な信頼を置いている取り巻き……ではなく貴族のご令嬢たちの目撃証言があり。
更に過去の例も合わさって、無事にこの国に迎えられた。
それから色々と話が進むうちにここ、王宮学園に入学となったのだ。
王宮学園とは、城の立つ王宮の敷地内に建てられた王立の高校のことだ。
日本じゃもう社会人をしていたのに、また学生に戻るだって?それは最初、俺も思った事だけれど。
入学したのにはちゃんとした理由がある。
魔法陣から異世界人が現れても、大事にならない驚異の世界。
つまりこの世界が魔法の存在する世界で、誰もが魔法を使える世界で、そしてもちろん俺もその魔法が使える人間になってしまったということ。
そして今の俺は、魔法について何も分からないということだ。
「タクミの世界には、魔法が無いそうだ」
「魔法が無い? それは凄い世界だね」
相変わらずコソコソと話し続ける二人に、俺も背を丸めて会話に加わる。小声で話しているのは、俺が別の世界から来た人間だという事実を、クラスメイトに話していないからだ。
「魔法だけでなく他にも色々と知る必要があるだろう。
我々と歳は離れているが、ここで一年間だけ学生をしながら、この国のことを覚えていくのはどうかと提案してみた。それで入学することになったのだ」
そう説明する、金髪に凛々しい瑠璃色の眼を持つ彼は、この国の第三王子、ガルベラ・グランディーン。
身に纏う服は、装飾が沢山施されたまさに王子様の服だ。言葉遣いはやや硬いが纏う雰囲気は柔らかく、話しやすい、俺の恩人でありこの世界で初めての友人だ。
「あれ? タクミって何歳なの?」
「今年、23歳」
「し、失礼しました。よろしくお願いします、タクミ様」
ガルベラ王子の言葉を聞いて、それまで崩していた姿勢を正した青年は。
「いや、敬語も様付けもしなくていいです、ナタム君」
「本当? そしたらタクミも敬語なしね。僕のことはそのままナタムって呼んでねぇ」
俺が訂正をすると再び姿勢を崩し、ニコニコと笑った。青色の髪色を耳の下辺りで揃えた王子の親友、ナタムだ。ちなみに平民出身で苗字は無いのだという。
彼と顔を合わせるのは今日が初めてだったが、入学が決まった時点でお互いガルベラから話を聞いていたためか、すぐに打ち解けることができた。
こうして今話していても、これから更に仲良くなれるんじゃないかと思う。
(それにしても横文字の名前ばかりだな、ちゃんと覚えられるかな)
その後もクラスメイトからも自己紹介をされたが、もう記憶が曖昧だ。これから色々な人たちに会って、名前を覚えていかなきゃいけないのに……大丈夫だろうか、と少し不安に思う。
だが、こうして知らない世界に来てまだ数日しか経っていないけれど、ガルベラ王子にナタムという二人も仲間ができたのは紛れもないな事実だ。
おかげで学園生活もいいスタートをきれそうだ。
異世界から来た人間とはいえ、在校生から見れば俺は転校生のような者で……転校初日から仲間が出来るのは、心強くて安心できるし、何より嬉しい。
「これからよろしく」
二人に向かって挨拶をすれば、シンクロしたようなとびきりの笑顔を同時に返され、俺はこの世界に来て初めて、声を上げて笑った。
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