第4話 花の国ジラーフラ

 この世界に来た次の日の朝のことだ。



 勢いよく部屋に差し込んだ朝日に、自然と目が覚めた。ゴロゴロと寝返りをうって周りを見渡していると、動きはじめた頭が昨日の一部始終を思い出しはじめる。



(ここは……そうだ、俺は異世界に来たんだ)



 昨日はまだ、もしかしたら夢を見ているのかと、どこか他人事のように思っていたのだが。こうして頭が起きはじめると、色々なことを考えてしまう。



 なんせ別の世界に来てしまったのだから。


 まさかそんな事が自分の人生で起こるなんて、考えたことがない。


 作り話の世界だと思っていた。


 事前に計画を練って、準備万端で行く海外旅行ですら、慣れない土地や故郷とのギャップに衝撃を受けることも多くあるというのに。


 前触れもなく世界を越えてしまうだなんて。一体俺はこれからどうなるのだろう、と不安がよぎった。



 それでも昨晩はガルベラ王子と夕食を共にして、彼との会話で不安は紛れ。そもそも仕事終わりのヘトヘトの身体のまま此方に来たからか、ベッドに横になった途端、直ぐに眠れたのはある意味では良かったのかもしれない。



 城の客室であるこの部屋は、大きな部屋だ。


 俺にはちょっと広すぎるな。


 そう思い身体を起こせば、タイミングよくドアを叩く音と共に、お手伝いさんが部屋へと入ってくる。



「タクミ様のご希望に添いましたでしょうか」



 そして渡されたのは、ガルベラ王子が手配して用意してくれたという、シンプルな白シャツに黒のパンツだった。


 腕を通した時の肌触りは、サラッとしていて着心地いい。これなら服への心配はないだろうと胸を撫で下ろす。



 ゆっくりと深呼吸をして、再び部屋を見渡す。


 部屋の窓からは木々の葉がゆらゆらと揺れるのが見えた。


 興味が湧いた。外の様子が見たい、と。



「食事前に少し、城内を歩くことはできますか?」



 王子との朝食の約束までにはまだ時間がある。


 目覚ましがてら散歩したくなったのだが、俺が城の中で一人で彷徨いても問題ないのだろうか。


 お手伝いさんに尋ねれば、今いるこの一階フロアならばどこでも大丈夫だと許可を貰えたので、俺は身支度も程々に、一人、部屋の外に出た。



「………」



 昨日は混乱と疲れで見えていなかった城の様子。


 まるで美術館や高級ホテルにいるかのような綺麗な内装は、どこか日本でもありそうな装いだった。


 違うところといえば、部屋の灯りが蝋燭に灯された火であることと、各所に騎士たちが立っていることだろう。



 王様に騎士か。


 あまりにも馴染みの無い存在に不思議な気持ちになる。


 あちらの世界でも王政の国に行けば、その存在を感じることは出来たのかもしれないが。それを感じた記憶は思い出せる範囲にはない。



(この国には王様が居るんだから、当然それを守る騎士もいるよな。鎧に剣か……そういう物を作れるだけの文明があるって事か?)



 この国が、文明の発展した国であってほしい。

 そう思うのは、やはり日本での生活が便利なものだったからかもしれない。



 だがいやまてよ。


 そもそも今この俺の世界の常識は通用するのだろうか。文明の発展だとか、そういう物差しでは測れない世界の可能性だってあるかもしれない。


 だって現にこの世界には、俺の常識から逸脱した存在がある。




 “魔法”が存在するんだ。




 魔法の世界。魔法で一体何ができるのだろう。

 


 そう思うと未知の力に期待と不安が募る。


 もしかしたら、今こうして目に入る物全てが、実は魔法で作られた物である可能性も十分にあるのだから。


 俺の世界では、架空の存在だった、その魔法で作られたもの。



 どこからどこまでが嘘で、どれが本物なのか。それすら分からない。


 その事に気がつくと、急に怖くなった。



「………外の空気が吸いたい」



 周りの空気が澱んだ気がして、外気を求めて足を進める。


 すると廊下を進んだ先でふわりと風を感じ、視線を向けた。心地のいい朝の空気だ。



「中庭だ。見事だな」



 歩いた先、城の中央は吹き抜けになっていて、そこにはとても大きな中庭が作られていた。


 そして目の前に広がるのは、一面の花畑。黄色やピンクの小さな花が咲いている。


「これは、ちゃんと本物……だよな?」



 目の前の花壇へと近づきその場にしゃがむ。


 先程までの思考展開から、そう思ってしまった。



 この花が本物かどうか疑うなんて、まるでもう異世界に来たことを受け入れたかのような反応に、自分で自分を笑ってしまう。



 本物? それとも偽物?



 この花がもしも魔法に見せられたものではなく本物の花ならば、この花は俺がこの世界で初めて目にする人間以外の生き物となる。


 そう思うとほっとした。

 同時に少しだけ目元が熱くなった。



 目の前の小さな命の存在に、何の変哲もなく風に揺られる花々に、こんな安心感を覚えたのは生まれて初めてかもしれない。


 そのくらい、俺は今、不安なんだ。



「何という名前の花なのかな」



 問いかけながら足下の花へと手を伸ばす。俺の知る花のように、柔らかな感触の花びらなのだろうか。



 伸ばした指先がその花びらへと触れて。




 バチンッ!!



 指先が閃光を放ったと同時に、全身が痺れたような感覚がして、俺は後ろに倒れた。





「………え、何?」



 背中には硬い地面。

 つまり俺は今仰向けになっていて。


 それで、俺の目の前にいるのは………




「ここで何をしているの」



 女の子だ。女の子が馬乗りになって俺を押さえつけている。



 あまりにも急な状況変化が理解出来なくて、そのまま仰向けのままでいると、目の前の彼女が口を開く。



「今すぐに答えなければ、牢へ連れていきます」


「ろ、牢へ?! ……って痛っ」



 押さえつけられた両肩に再び強い痺れが走った。



 視線を動かすと、首元には何かが突きつけられている。光る何か。おそらく剣だろう。首を動かすのはやめよう。そのまま斬られそうだ。



 にしても牢屋ってどういう事だ。


 っていうか何で俺、疑われているんだ。


 さっきまですれ違った騎士たちは、穏やかに挨拶を返してくれて、俺のこと王子様の客人だって理解している雰囲気だったはずなのに。



「あの、俺何か悪いことしました……?」



 とりあえず思う事を口にしてみる。


 すると遠くから足音が近づいて、聞き覚えのある声が辺りに響いた。



「タクミ! ……一体どういう事だこれは」



 第三王子、ガルベラだ。

 話を聞いてくれそうな相手の登場に俺は口を開く。



「分からないんだ。俺はただ花を見ていただけなのに、急に取り押さえられた」



 彼に状況を伝えると、今度は痺れた身体にぐっと重みが加わって、ビリビリと痛みが増した。


 痛い。苦しい。



「嘘を吐くな、盗もうとしたくせに」



 女の子がこちらを強く睨んでいる。

 盗もうとした? 俺が何を……って、まさか花を?



「はあ? 何でわざわざ花なんかを盗まなきゃいけないんですか」



 たかが庭に植えられた花だろうに。そんな物を俺が盗んでどうする。



 感情が昂って、思わず大きな声が出た。自分でも分かる、軽く怒鳴るような声。



 そう問うと彼女が僅かに力を緩めた気がした。

 身体は未だ痺れたまま、自由に動くことは出来なかったが。



 だが今度は少なくとも頭には余裕があった。


 盗みを働こうとしただなんて、冤罪なんて御免だ。


 睨みつけられた瞳を俺も睨み返し反論すると、彼女どころか、何故か辺りまでもがしんと静まった。




「「「……………」」」




 あれ?


 何だこの空気は。皆が呆気に取られたような感じを醸し出している。俺は首を傾げた。



 沈黙を破ったのはガルベラだった。



「ああ、そうか。……タクミ。すまないことをした。


 実はこの国の花には、防御魔法が掛けられている。


 この国以外の者が触ると瞬時に解るようになっている。盗まれないようにする為だ」



「そうだったのか? 俺こそ勝手に触ってごめん」



 花に防御魔法だって?

 なんだそれ。


 そんな魔法で守るような高価な花には見えないが。


 城の中に植えられた、花。まさか知ってはいけない重要な事案だった? もしかして俺、このまま本当に牢屋行きになる?



 恐る恐る彼へ視線を動かすと、彼は未だ俺を押さえつけている彼女の方へと視線を向けていた。



「彼から離れるんだ。


 彼はタクミ・ヒムラ。私の友人だ。以後、覚えておくように」



「…………」



 その途端、痺れていた身体の痛みが一気に消え去り、そして押さえつけられていた時の重みも一気に消えた。


 驚いて何度か瞬きをする。



「な、治った?」


 だが身体を起こし辺りを見渡すも、先程までいた彼女の姿は見えない。



「消えた?」



 あまりの早すぎる展開にポカンとしていると、ガルベラが大丈夫か、と手を差し伸べてくれる。


 立ち上がらせてくれた腕は、とても優しい腕だ。そんな彼は、申し訳なさそうに眉を下げていた。



「本当にすまなかったな、タクミ。彼女も仕事でやった事だ、どうか許してほしい」


「それは全然構わないけれど……そんなに大事な花なのか? 俺、本当に悪いことしてない?」


「なんだ、何かしたのか?」



 質問を質問で返された。どうやら牢屋行きは免れたらしい。ニッと笑うガルベラ。


 彼の言葉を聞いてか、周りで俺の様子を伺っていた騎士たちも、次々と大丈夫ですかと声を掛けてくれたおかげで、中庭がワイワイと賑やかになっていた。



 災難でしたね、とか。

 この中庭は王女様が大事にしているから、特に強い防御魔法がかけられているだとか。

 困ったら王宮内の騎士を頼ってくれ、とか。


 色々な声を掛けてもらった。



 ガルベラ王子の采配なのか。俺の事を気にかけてくれる人がここに沢山いる。それが分かっただけで、不安はかなり減ったような気がした。




 そしてその後、ガルベラ王子と共にした朝食で。


 添えられた紅茶がやけに美味いな、と感心していたら、実はそれが魔法が掛けられた茶である事を聞かされた。


 どうやらその魔法で正式な国民登録がされるという。


 昨晩、就寝前に飲んでもらおうと用意していたそうだが、その前に俺が眠ってしまい、出せなかったのだという。



 昨日のうちに飲んでいたら、先程の花泥棒疑惑はされなかったのか。



 それに気づいた時、俺は大きな溜息を吐いた。




      *




「ごめんなさい、また驚かせてしまいましたね」


「いや本当に、まさか上から人が飛び降りてくるなんて」



 俺に謝る女の子。彼女は職員食堂の屋根から飛び降りてきた女の子だ。



 最初は彼女が誰なのか分からなかった。


 だが、その声には聞き覚えがあり、数日前の中庭での出来事を思い出すにはそう時間は掛からなかった。



「あの、中庭の時にいた方ですよね?」


「…………あの時は、本当に申し訳ないことをして、謝りもせずに去ってしまいすみませんでした」


 彼女は目の前で姿勢を正すと、俺と向き合う。


「大丈夫です。あの中庭は王女様が大事にしている場所で、それを守るのが貴女の仕事だと聞いていますので」



「……ですが貴方は何も悪くないのに。謝ります」



 知らなかったとはいえ、俺が勝手な事をしてしまったのだ。この国のルールを知らずに動いた。なのに彼女がそんな暗い顔をする必要など無いはずなのに。


 

 せめてその俯いた顔を上げてほしい。


 先程一瞬見えた瞳を、俺はもう一度見てみたいと思う。



「ねえ、君の名前を教えてくれる?」


 

 どうしたら彼女が顔を上げてくれるだろうか。そう思いながら開いた口。


 すると戸惑いながらも、ゆっくりと顔を上げた彼女の瑠璃色の瞳が俺を捉えて、そして僅かにだが表情を和らげた。



「私は……ロゼリスと申します」


「タクミです。はじめまして」



 自己紹介をされたので俺も、とペコっと頭を下げて挨拶をする。


 ロゼリス。花みたいな可愛らしい名前だな、と心の中で復唱しながら頭を上げると、何故かきょとんとした表情のロゼリスがいた。



 げ。この感じ。思い出した。


 そうだ、教室でもやったこの日本の挨拶の仕方は、この国では王族など位の高い人相手にしかやらない、とガルベラが言ってたばかりじゃないか。


 すぐに頭を下げちゃう癖は簡単には抜けないな。


 でも彼女に勘違いされたままでは嫌だ。謝ってちゃんと説明しよう。



「これは故郷の習慣なんだ」


「…………」



 返事はないものの、彼女の表情がすぐに戻ったので、心の中でほっとする。悪い気持ちにはさせていないようだ。



 だが彼女は再び視線を逸らしてしまった。そしてどうしたらいいのか分からないのか、視線を泳がせながらも、その場を離れずにじっと立っている。



 深緑色のワンピースに白いエプロン。


 食堂の屋根から飛び降りてきたとはいえ、ここは王宮の敷地内だ。無関係の人が居られるような場所ではない。つまり彼女は、仕事か何かで王宮内にいる人なのだ。

 そういえば同じような格好を城の中にいた女のお手伝いさんたちもしていた気がする。でも確か、彼女たちは青色のワンピースだったから、王宮内に設けられた部署の違いだろうか。


 テーマパークでのエリア分けのように、そこで働く人たちの制服が決められているとして。


 彼女の服は鮮やかな色というよりは、汚れの目立たない色のような緑色をしている。



(花が盗まれると思って、彼女は俺を捕らえようとしてたくらいだ)



 王女様が庭を大切にしていて。

 ガルベラはそれを彼女の仕事だと言っていたのなら。



「もしかして、この国には花専門の機関があるの?」



 花に防御魔法が掛けられているくらいだ。


 そんな機関があっても不思議じゃない。



「この国の事を知らない……?」



「うん。


 ねえ今から時間あるかな? 俺、この国の花について、君から教わりたいんだ」



 すると彼女の顔が、明るくなった。



 よかった。さっきからずっと哀しそうな顔ばかりだったから。


 俺は彼女の顔を見つめると、少しでも彼女の気が和らぐようにと、歯を見せて笑った。

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