第12話 糸は切れた


 ダスティン・ブラックウッドが逮捕されてから、三ヶ月後。

 イチヨウは、街の外れにある留置所を訪れていた。本格的な裁判が始まる前に、ブラックウッドと面会をしようと思ったのである。

 職員の案内に従って、面会のための小部屋へ向かう。

 染み一つ無いクリーム色の壁。家具は小さな椅子がひとつだけ。窓は無い。部屋を二分するように、黒い鉄格子が設けられていた。

 椅子に腰掛けて、しばらく待つ。ここまでイチヨウを案内してきた職員は、イチヨウが部屋に入ったことを見届けた後に、さっさと踵を返して出て行った。

(あの男、私を見てどんな反応をするかしらね)

 監視役の職員と共に、ブラックウッドが鉄格子の向こう側に現れた。

 この三ヶ月の間に、ブラックウッドは一気に老け込んでしまっていた。顔に刻まれた醜い皺は更に深くなり、目が落ちくぼみ、身体全体が二回りほど小さくなったように見える。

 教会と深い繋がりを持ち、権力を欲しいままにしてきた紳士の姿はそこには無い。まだ善悪の区別もつかないような幼い少年に己の性欲をぶちまけた、薄汚い老人の姿だ。

 ブラックウッドは、イチヨウの姿を認めて、大きく目を見開いた。次の瞬間には、床を蹴り、イチヨウに向かって飛び掛かった。

「この、裏切り者がぁ────っ!!」

 硬いものが壁に叩きつけられる、鈍い音が響いた。

 六十八歳の男が体当たりをしたところで、鉄格子はびくともしない。彼の手は、イチヨウには届かなかった。

「お前、お前お前お前! そこのお前だ! この恥知らずの売女が! お前、誰のおかげで、誰のおかげで生きてこれたんだ!? ああ!? この私が、私が拾ってやったからだろうがぁ!!」

 鉄格子を握りしめ、限界まで顔を押し付けながら怒鳴り散らす。目は血走り、口の端からは泡が飛び散っていた。

 イチヨウは、それを冷めた目で見ていた。監視の職員へとちらりと視線を向ける。彼はブラックウッドを制止するつもりはまるで無いらしく、むしろ面白がるようににやにやと笑っていた。

「男に寄生しなければ生きていけないくせに、男に股を開いて生きていたくせに、何様のつもりだ貴様は! お前のためにどれだけの金を使ってやったと思っている! この恩知らずめ! 恥を知れ! 売女!」

 ブラックウッドが何を喚き散らしても、イチヨウは黙っていた。どうせこの男は、イチヨウの言葉など聞きはしない。

 だから、胸中で呟くだけにする。

 ────ねえ、ダスティン。私、見たのよ。あの出っ歯の男がお前の屋敷に出入りしていたのを。

 あの黄色い歯。薄汚い背格好。忘れられるはずがないわ。

 お前が殺したのよね。お前があの男に殺せと命じたんでしょう? クレハ・ミタニとその家族··········イチカも。

 私の母は、私の父親はクレハ・ミタニなのだと、事ある毎に言いふらしていたわ。だから、お前の耳にも届いたのでしょう。

 意のままにならないクレハ・ミタニとその家族を処分して、彼の隠し子の後ろ盾となり、教会への影響力を更に強化する。よく考えたものだわ。頭が軽い貧民街スラムの小娘なら、簡単にお前の操り人形になったでしょうね。

 でもね、私は覚えていたのよ。あの出っ歯の男を。

 あの男は、アレを神罰だと言ったわ。女のくせに調子に乗ってをするからだって。

 笑っちゃうわよね。神罰だなんて。金に目がくらんで、酒代欲しさにあの子を殺しておいて、御使いにでもなったつもりなのかしら。

 ダスティン・ブラックウッド。

 お前でしょう?

 お前が、あの歯が黄色の男を使って、あの子を殺した。

 だから、私はお前を殺すのよ。どんな手を使ってでも。

「聞いてるのか、貴様ァッ!!」

 ブラックウッドが吼える。

 イチヨウは、静かに席を立った。

「··········残念だわ、ダスティン」

(できることなら、この手でお前の首をへし折りたかったわ)

 実際に口にした言葉にだけは、精一杯の憐れみを込めてやった。胸中の言葉は口にしない。出したところで、男の耳にイチヨウの言葉は届かないだろう。

 ブラックウッドは、一瞬呆けたように口をぽかんと空けた。鉄格子を掴んだ手が、だらりと力無く垂れ下がる。

 イチヨウはさっさとブラックウッドに背を向けた。そのまま出口へと向かう。

「ま、待て! 逃げるな! 裏切り者! この恩知らずが!」

 ブラックウッドがどれだけ喚こうと、イチヨウは足を止めなかった。

 もうあの男に従う必要はない。あの男がどれだけ怒鳴り声を上げようと、拳を振りあげようと、その罵声も拳もイチヨウには届かない。

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