第85話 キス待ち

 キスが、小説や漫画の中だけの話じゃないと初めてちゃんと理解した。

 ドラマでキスシーンがあるのは、見せ所を作るため。小説や漫画にキスシーンがあるのは読者を胸きゅんさせるため。

 そんな浅はかな妄想は今この瞬間打ち砕かれた。


「……っ」

「……!」


 僕が過って足を滑らせたあまりに、沖矢さんをマットに押し倒すような体勢になってしまった。

 だが沖矢さんはそんな僕を跳ね除けるのではなく、制服の袖を摘み、目を瞑った。


 まるでキス待ちしているかのような……


 いいのか?キスしても。

 状況証拠から見ても、ほぼ間違いなくキスする流れだ。

 でも怖い。僕の勘違いだった時が。

 もし勘違いだったら?僕は沖矢さんにとんでもないこと……取り返しのつかないことをしてしまうことになる。


 勘違いじゃないという保証が欲しい。

 臆病な僕に勇気を与えて欲しい。


 でも、そんなものを与えてくれる人は誰もいない。

 だから、


「……遠山くん?」


 ついに痺れを切らしたのか、沖矢さんは目を開けた。

 やっぱり……やっぱり……


「……ダメだよ沖矢さん」

「え……?」

「こういうのはその……好きな人とするべきだよ……」

「…………」


 すると沖矢さんから表情が消えた。


「どいてください」

「……う、うん……」


 僕は体勢を起こし、沖矢さんはマットから起き上がる。


「そろそろ監督の先生も来る頃でしょう」

「……そうだね」


 数分後、監督の先生が「遅いぞーどうしたー」と様子を見に来た。僕と沖矢さんは事情を話し、無事体育倉庫から出ることが出来た。

 でも、沖矢さんは一度も僕と会話をしなかった。

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